フィリピンの慰安婦問題は解決したのに韓国はなぜ? 30年関わった日本人が語る「韓国政府の妨害」 から続く

 挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。

 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。彼女らの実態をよく知る日本人がいる。その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏は、半生を韓国太平洋戦争犠牲者遺族会を支援するための活動に費やした。90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。

 本連載では臼杵氏から見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。(連載7回目/#1から読む/前回から読む)

◆◆◆

「最高裁判所は最低裁判所だよ!」

 2004年11月29日、太平洋戦争犠牲者遺族会(以下・遺族会)が日本政府に対して〈戦後補償〉を求めた裁判、通称・東京裁判が終わりました。最高裁が原告の上告を棄却、遺族会側の敗訴が確定したのです。 

 東京には遺族会共同代表(当時)の梁順任(ヤン・スニム)氏や元慰安婦の沈美子(シム・ミジャ)氏らも駆けつけていました。みな呆然とした表情で上告棄却の報を受けました。 

 私たちは肩を落としながら最高裁判所の正門を出ました。 

「最高裁判所は最低裁判所だよ!」 

 憤懣やるかたない様子の梁氏は、ハイヒールを脱ぐと、門にある〈最高裁判所〉のプレートを何度も殴りつけていました。 

 上告棄却という判断はある意味、門前払いと同じことです。覚悟をしていたものの、遺族会と私たちで共に歩んできたこの十数年が否定されたような気持ちになりとても辛い気持ちになりました。 

 帰り道、私の携帯は鳴りっぱなしでした。全て韓国メディアの取材電話でした。梁氏は日本の携帯電話を持っていなかったので、同行している私に電話をかけ梁氏のコメントを取ろうと記者達は電話をしてきていたのです。 

敗訴で“主戦場”が日本から韓国へと移った

 東京裁判の敗訴は一つの転換点となりました。 

 韓国内では日本では戦後補償問題は解決しないという雰囲気が醸成されていき、“主戦場”が日本から韓国へと移る大きなきっかけとなったからです。 

 2004年3月5日に韓国国会で「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法(時限立法)」が制定されました。2004年11月10日には日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会(以下・真相糾明委員会)が発足します。 

 真相糾明委員会はソウル市内に大きな事務所を構え、100人近い職員を抱えた大組織でした。ところが問題はこの職員の大半が民族問題研究所(徴用工裁判の支援で知られる市民団体)出身の市民活動家や研究者で占められたことでした。遺族会の実被害者たちは職員として入ることが出来なかった。 

 遺族会は長い年月をかけ戦争被害者や遺族の名簿を作成していました。一人一人面談し調査票を作成するという地道な努力によって作られた、いわば血の滲んだ名簿です。梁氏に聞くと、真相糾明委員会によって遺族会はこの名簿を提出させられたというのです。 

 私と梁氏は言い争いになりました。 

――名簿をタダであげたの? 

梁氏「名簿を出さないと懲罰があると聞いたのよ」 

――どうして真相糾明委員会に対して人事権や発言権を求めなかったのよ! 

梁氏「法律で決められているというから……」 

 この時はまだ遺族会も楽観的でした。 

  真相糾明委員会の登場により、戦後補償問題は完全に市民活動家たちが支配するようになりました。彼らは韓国政府から給与を貰いながら活動し、日本政府との交渉権も一手に握るようになったのです。遺族会は完全に蚊帳の外に置かれてしまい、戦後補償問題は真相糾明委員会に乗っ取られ、利権化していきます。 

 手弁当や募金で運営されていた遺族会は発言権を失ったことで弱体化の道を辿ります。1万6千人の会員を誇り、全国に16支部を持っていた遺族会は、存在感を失ったことにより分裂、縮小していくことになってしまうのです。 

「我々がやる」真相糾明委員会による横槍

 真相糾明委員会自体も不誠実な組織でした。 

 外務省に梅田邦夫氏(2020年に退官)という外交官がいました。始めてお会いしたのは1990年代で、当時の梅田氏は外務省アジア局地域政策課長として日韓歴史問題に取組んでおられました。とても情に厚い方で、アジア女性基金設立や遺族会支援にも尽力してくれました。 

 一度、梅田氏から元慰安婦に会いたいと言われました。私は金田きみ子氏を引き合わせました。梅田氏は金田氏の体験談を、涙を流しながら聞かれていました。 

 私は軍人軍属の遺族方が戦後60年経っても未だに戦地慰霊に行ったことがないと聞き何とかしないといけないと考え訴えていました。日本の遺族は戦後間もなく戦地慰霊を行っている。一方、韓国から徴兵され、日本軍の兵士として戦死した人々には何もない。日本政府が何かすべきだ、と私は思いました。そこで改めて2006年ごろ梅田氏に相談しました。 

「これは日韓基本条約とは別の問題です。戦地慰霊は人道的な問題だと思います。日本政府の方で何とかならないでしょうか?」 

 梅田氏は「何とかしてみる」と答えてくれました。紆余曲折はありましたが、政府予算から慰霊事業に対して約2000万円が拠出されることが決まったと聞き嬉しくなりました。 

 ここで問題となったのが真相糾明委員会でした。彼らが「我々がやる」と横槍を入れてきて、慰霊事業は日韓共同事業の形で行われることになったのです。 

2000万円の予算はどこへ?

 初年度はフィリピンやグアムの慰霊ツアーが組まれました。ところが、その後まったく慰霊ツアーの話が聞こえなくなってしまったのです。 

 軍人軍属の遺族は約1万6千人います。一回のツアーに参加できるのはせいぜい20人ほど。遺族といえどもみな70代を超え高齢な方ばかりです。なるべく早急に慰霊をしたい、と願う人が多くいました。 

 真相糾明委員会に問い合わせると「予算がないから慰霊ツアーを実施できない」と言うのです。しかし日本政府からは2000万円の予算が付いているし、韓国政府からも資金が出ているはずなので解せない話です。 

 私は旧知の李洛淵(イ・ナギョン、元首相)氏に相談することにしました。李洛淵氏は以前東亜日報に勤めており、アジア女性基金の取組みを好意的に記事にしてくれた韓国メディアでは数少ない記者の一人だったのです。その後、政治の道へ進み、当時は国会議員をしていました。 

 状況を説明するとこう言ってくれました。 

「韓日共同事業は大事です。私から真相糾明委員会に聞いてみましょう」 

 李洛淵氏が電話をすると真相糾明委員会の事務局長が飛んできました。 

 後に聞いた話によると、真相糾明委員会は慰霊事業の予算を職員給与や他事業に流用し、食い潰していたというのです。 

 慰霊ツアーは遺族の悲願でした。真相糾明委員会の実被害者を蔑ろにするようなやりかたを聞き、私は呆れて物も言えませんでした。 

巻き上げられた名簿や資料は立派な建物へ

 真相糾明委員会が巻き上げた遺族会の名簿や資料の一部は、釜山近代歴史館に展示されています。建物は立派です。しかし、その展示内容は“空虚”の一言です。 

 私が訪れたときは、大量の遺族や被害者の写真が天井一面に貼られているスペースがありました。凝ったデザインではある。でも、その展示からは遺族の思いや人生が伝わって来ないのです。 

 ある遺族はこう嘆いていました。 

「ここは自分たちの記念館とはいえない。資料はあっても、被害者の心というものが感じられない」 

 私も、真相糾明委員会で働く市民活動家たちに“心”を感じることが出来ませんでした。 

 同じことは挺対協の資料館やナヌムの家の歴史館にも言えます。いずれも元慰安婦の言葉を尊重して作られたというより、市民活動家たちが自分たちのイメージで展示を作り、プロパガンダしているだけなのです。 

 挺対協は未だに少女像を増やすと公言し、新しい箱モノも作り続けようとしています。 

 元慰安婦を利用している。 

当事者の意向を無視して刻まれた名前

 その最たる例が、ソウル市南山公園にある「慰安婦の碑」です。故朴元淳ソウル市長が土地を提供し、挺対協によって建立された慰安婦の碑には、247名の元慰安婦の実名が刻まれています。この実名は元慰安婦や遺族たちの許可を取らずに、勝手に刻まれた名前なのです。 

 元慰安婦の中には「私たちは歴史になりたくない! 忌々しい記憶をいつまでも残したくない。死んでパッと消えてしまいたい」と語る人もいます。この言葉からわかるように元慰安婦には自らの過去を隠したいと思っている人もたくさんいます。それなのに挺対協は慰安婦の碑を勝手に建立した。つまり挺対協にとって元慰安婦は利用対象でしかなく、彼女らの人権については一切考えていないのです。 

 しかも、挺対協にとって気に入らない元慰安婦である金田きみ子氏や、のちに挺対協を提訴した沈美子氏も名前は外されている。いかに恣意的に元慰安婦を利用しようとしてるのかが、わかります。 

 私たちは被害者から学ばないといけません。正しい歴史を知り、後世に伝えて行く必要があります。 

 元慰安婦には様々な物語があります。その一つ一つを調査、検証していくべきだとは前回お話ししました。 

 元慰安婦の言葉には、韓国人だけではなく、日本人だって戦争の被害者だったと実感するエピソードも多くありました。日本兵の恋人がいた元慰安婦もいます。招集され連れてこられた日本兵が戦場で負傷し、ベッドの上で苦しみながら母親の名前を叫び、死んでいったとハルモニから聞かされたこともあります。どんな戦争にも正義はなく、ただ殺戮が繰り返されます。苦しむのは“民”なのです。 

 こうした真実やリアリティが挺対協や市民活動家が語る言葉にはない。 

 挺対協が後世に残そうとしているものは、歪曲された慰安婦の浅薄な物語であり、反日を目的とした慰安婦イメージだけだと私は感じていますーー。 

(最終回「慰安婦問題、利権化した原因は……30年間関わった日本人が語る『市民団体の“両班意識”』」へ続く)
(インタビュー・赤石晋一郎)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や元慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。

「挺対協の償なえない大罪」 元慰安婦に韓国人より愛された日本人が語る“悲劇の真相” へ続く

(赤石 晋一郎)

元従軍慰安婦らの敗訴確定 従軍慰安婦訴訟で原告敗訴が確定し、報告集会で発言する梁順任・太平洋戦争犠牲者遺族会会長(右)=2004年11月29日午前、東京・永田町の参院議員会館 ©共同通信社