日本海軍が使用した飛行機には、零戦や一式陸攻のように漢数字付きで呼ばれる機体と、「雷電」や「彗星」のように愛称で呼ばれる機体の2種類があります。混在するのは、なぜなのでしょうか。

日本独自の紀元、「皇紀」を基にした命名方法とは

日本海軍の軍用機として屈指の知名度を有する零式艦上戦闘機、通称「零戦」は、1940(昭和15)年に制式採用された機体です。日本書紀に登場する神武天皇の即位紀元を基準に計算する、いわゆる「皇紀」が、昭和に入ってから多用されるようになり、1940(昭和15)年が皇紀2600年とされたことで、下ひとケタから「零式」とされました。

なお、これは零戦に限ったことではなく、同年に制式採用になった旧日本海軍機には、零式観測機や零式水上偵察機、零式輸送機などがあります

零戦は、既存の九六式艦上戦闘機の後継として開発されました。九六式艦上戦闘機は1936(昭和11)年、すなわち皇紀2596年に制式採用になったため、下ふたケタから「九六式」と呼称されます。

一方、太平洋戦争中に零戦の後継として開発されていたのが艦上戦闘機「烈風」です。同機は逆に零戦や九六式とは異なり皇紀に由来する漢数字が使われず、単に愛称で呼ばれます。

これには、太平洋戦争中に旧日本海軍が定めた軍用機の命名規則が関係しています。

旧海軍が定めた数字を使わない軍用機の命名方法とは

太平洋戦争は1941(昭和16)年12月8日に始まりましたが、それから1年半後の1943(昭和18)年7月、それまで皇紀の数字が基になっていたものから、命名基準に則り、気象や空、海、草花などを基にした名称に改められました。

たとえば、戦闘機は3種類に分けられます。航続距離や格闘性能を重視した戦闘機(甲戦)は「風」由来の名称とされ、艦上戦闘機「烈風」や水上戦闘機「強風」が用いられました。一方の局地戦闘機(乙戦)、いわゆる陸上運用がメインとなる速度重視の迎撃戦闘機は「雷(電)」由来とされ、「雷電」や「紫電」、「震電」などと命名されています。

またレーダーなどを搭載し、複数のエンジンを装備する大型の夜間戦闘機(丙戦)は、「光」由来で、「月光」や「極光」などと名付けられました。

同じように、爆撃機は「星(星座)」から「彗星」や「流星」など、攻撃機は「山」から「天山」や「連山」など、偵察機は「雲」を用いて「彩雲」や「瑞雲」、「紫雲」などと付けられています。

この命名規則の変更があったからこそ、「烈風」には〇〇式という呼び方がないのです。

航空機の運用当初は皇紀ではなく和暦を使用

ちなみに、皇紀が採用される前には和暦で〇〇式と名称が付与されていました。そのため1921(大正10)年に初飛行した旧日本海軍初の国産艦上戦闘機は「一〇式艦上戦闘機」と命名されたほか、ドイツで開発され、1927(昭和2)年頃に日本で生産された水上機は「二式水上偵察機」と命名されています。

一方で、1942(昭和17)年、すなわち皇紀2602年に制式採用された機体にも再度「二式」という名称が用いられました。このとき制式化された機体には「二式水上戦闘機」などがあります。

しかし、二式水上偵察機二式水上戦闘機は、同じ「二式」ながら開発には約15年の開きがあります。ある意味、これなどは制式名称を和暦から皇紀に変えたことによる影響といえるでしょう。

※一部修正しました(7月27日17時00分)。

1940年、すなわち皇紀2600年に制式採用された零式艦上戦闘機。通称「零戦」(画像:アメリカ空軍)。