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洋楽のカバーや和製ポップのヒット曲で1960年代から活躍した歌手の弘田三枝子さんが7月21日夜、心不全のため73歳で亡くなった。20日に千葉県にある自宅で倒れて緊急搬送されたが、倒れる前日までは元気だったという。27日に訃報が流れると、弘田さんと共演経験がある2人組バンド・バンバンバザールの黒川修がTwitterでパワフルなステージを振り返りつつ冥福を祈った。

弘田三枝子さんと言えば、コニーフランシスによるオリジナル曲を日本語でカバーした『ヴァケイション』で爆発的な人気を得た。1962年に競作で同曲をカバーしたのは他に数人いたが“弘田三枝子バージョン”は20万枚の大ヒットとなり、同曲で1962年の『第13回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。

その後、ジャズのスタンダードナンバー『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』(アーヴィング・バーリン作曲)をカバーして1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』に出場するなど『NHK紅白歌合戦』には全8回出場しており、1969年に『第20回NHK紅白歌合戦』で歌った『人形の家』(作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真)はカムバックに繋がった代表曲の1つである。

GSブームの台頭で時流に乗り遅れてしまいヒットに恵まれなくなった弘田さんが、それまでの洋楽カバーの歌手というイメージを変えるため『人形の家』を発表したところ、1969年10月20日オリコンチャートで1位となり、さらに『第11回日本レコード大賞』の歌唱賞を受賞した。

1977年に弘田さんはニューヨークへ渡りアルバム『Mieko In New York』を自主制作すると、現地で結婚して女の子に恵まれ母になる。1979年9月に帰国して活動を再開すると全盛期のような活躍こそ見られなかったものの、2006年にはレコードデビュー45周年を迎え8枚組CDBOX『弘田三枝子じゃずこれくしょん』を発売した。

そんななか芸術をテーマにしたバラエティ番組『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)で、2008年10月17日に放送された「綾小路きみまろプレゼンツ グランドキャバレーSP」のライブステージに弘田三枝子さんが登場。綾小路きみまろの司会でバンバンバザール・デラックスの演奏をバックに『ヴァケイション』を元気いっぱいに歌えば、打って変わって『人形の家』は情感タップリに熱唱したのである。

その際にバンバンバザール・デラックスでベースを担当した黒川修は、弘田さんの訃報を受けて『黒川“チャンクロ”修』Twitterで7月28日の朝、「ヴァケイションのテンポ、もっとこいもっとこい!と求められてユカリさんと一緒に必死こいて弾いたのを思い出します」と『たけしの誰でもピカソ』のライブステージを振り返り、「ご冥福をお祈りいたします」と結んだ。

弘田さんはYouTube「一般社団法人日本歌手協会」チャンネルで6月14日に公開された『第46弾日本歌手協会リレー歌謡祭』に電話による音声で「今、私はコロナの影響がありまして、ずーっと家の中で、何年ぶりでしょう?」「早くコロナが落ち着いて皆様に会いたいです」とメッセージを送り、2015年9月10日の『第42回歌謡祭』で歌った『人形の家』の映像を届けた。今年はレコードデビュー60周年とあり記念コンサートを予定していたが新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期になっていたという。

黒川修はパーソナリティーを務めるFM FUKUOKAのラジオ番組『Hyper Night Program GOW!!』でも28日に弘田三枝子さんの訃報を取り上げると、ライブ前に弘田さんが「もっとノリノリで! 皆がもっとワクワクするようなショーを!」とバンドマンを奮い立たせる姿を思い浮かべ、「弘田さんが一番パワフルだったのではないか」、「まだこれからも元気なステージを見られると思っていたのに」と急逝を惜しんでいた。

画像は『コロムビアレコード 2020年7月27日付Twitter「#弘田三枝子 さんがお亡くなりになりました。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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