闇サイト殺人事件 残虐な犯行に対する「死刑判決」はなぜ覆ったのか から続く

 ネット掲示板「闇の職業安定所」で集まった互いに素性を知らない男たちが起こした凄惨な事件「闇サイト殺人事件」。何の落ち度もない被害者女性に対し、金目的で無差別に牙を剥くという無軌道な犯罪を起こしていながら、実行犯3人のうち2人は無期懲役判決が確定した。果たしてこの判決は正しいものなのだろうか。

 日本の刑事裁判の理不尽さを知悉する弁護士、ならびに被害者遺族による著書『死刑賛成弁護士』(文春新書)より、被害者遺族が語る現行の死刑制度についての思いを引用し、紹介する。

筆:磯谷富美子(被害者遺族)

◇◇◇

集まった33万筆の署名

「一人の被害者では、日本の司法では、なぜか死刑にはならないだろう」

 事件が起きて早々に、見ず知らずの方から送られてきた手紙の一節です。

 娘の磯谷利恵は、2007年8月24日から25日にかけて起きた強盗殺人事件の被害者となり、見知らぬ3人の男たちの手によって31歳という若さで人生を終えました。事件の概要は、名古屋闇サイト殺人事件の紹介のとおりです。判決は、被告3人の死刑求刑に対し、神田が死刑、堀と川岸は無期懲役でした。その後、神田は2015年6月に刑が執行されました。

死刑にならないなんて考えもしなかった

 この手紙を読むまでは、娘を殺害した3人の男たちは、当たり前のように死刑になると思っていました。しかし、何の関係も落ち度もない娘の命を奪ったのに、奪った者の命は保障されるというのです。当然納得などできるはずもありません。法律の知識など全くない私どもが思いつくのは、「3人の極刑を求める」ための署名活動しかありませんでした。

 事件からわずか20日後に、姉と2人で活動をスタート。署名用紙を送る宛名書きは毎夜2時、3時まで続き、手首は腱鞘炎のような痛みを覚えるほどでした。娘の死を悲しむいとまもない多忙さが、精神的にはかえって良かったように思います。仕事に復帰してからも多忙な状態は続き、身体を心配した姉に説得され退職。また、署名用紙を求めて見知らぬ人が訪ねてくることもあり、ひとりで生活する事を考えると、怖くて転居せざるを得ませんでした。

 署名活動は、死刑を求める内容にもかかわらず、多くの方々が私たち遺族の気持ちに寄り添って賛同してくれました。「鬼畜としか思えない彼らの極刑を願います」「周りの友人知人に声をかけ、署名を募ります」「お母さんは一人ではありません。お母さんの後ろには応援する人が沢山ついています」などなど署名に同封されたお手紙や送られてくるメールがどれほど大きな支えになったことでしょうか。暗くて深い闇の中でひとりポツンと取り残され、涙も出ないほどに打ちのめされた私が一歩踏み出す勇気と元気になりました。皆様にはただただ感謝の気持ちで一杯です。この活動は全ての裁判が結審した事を受けて、娘の5年目の命日に終了しましたが、ご協力いただいた方は33万2806人になります。この間、一度も活動をやめようと思った事はありません。

白無垢に見えた白装束

 娘は事件に巻き込まれる前に、このような言葉をミクシィの日記に残していました。会社関係の方が突然お亡くなりになった時に書いたものです。「人と人との繋がりって、普通に今日も明日も変わらずに続くと無意識に信じてしまっていますが、今回みたいな事があると思い知らされます。どうして明日もまた、無邪気に会えると信じてしまっているのでしょう。もっと身の回りの人との関係を、大事にしていかないとなって思いました。今、この時が、最期になるかもしれないのですよね」

 まさか、この3カ月後に、自らの命が犯罪によって喪われるとは想像だにしていなかったことでしょう。日記にこう書き込んだ本人が当事者になる──。誰が被害者や遺族となってもおかしくない社会なのです。

 私にしても、突然の悲報は当然受け入れることなどできませんでした。警察署で会った娘は、ブルーシートに包まれて首から上だけが出ている状態で、顔には何カ所も青あざが広がっておりパンパンにむくんでいました。眉間や左ほほ、顎には傷があり、バリバリに固まった髪の毛は、大量の出血を想像させました。その左側頭部はガーゼが当ててあり、傷口を隠してありました。

 そんな娘の顔を見て、強く抱きしめると痛いのではないかと思い「お母さんがいるからもう大丈夫よ。安心して。もう怖くないからね」と言いながら、そっとなでることしかできませんでした。

忘れられない娘の冷たさ

 当時の事はあまり覚えていませんが、今でもはっきり覚えているのは、ほほをつけた時の娘の異常な冷たさです。亡くなったという現実を突き付けられたショックが、記憶としてとどまったのかもしれません。

 また、司法解剖を終え、物言わぬ姿で帰宅した娘の両手首は、手錠を掛けられていたために変色し腫れていました。どれほど怖かったことでしょうか。どれほど苦しかったことでしょうか。どれほど痛かったことでしょうか。そして、どれほど生きたかったことでしょうか。

 荼毘に付す前、私は娘の顔の青あざを少しでも隠してあげたいと思い、姉と2人で化粧をしてあげました。すると、娘は花嫁と見違えるばかりになりました。私には解剖の跡を隠すように覆った綿のようなものが綿帽子に見え、白装束が白無垢に見えたのです。

 一緒に娘の花嫁姿を見ることを想像していた主人は、娘が1歳9カ月のときに、急性骨髄性白血病で亡くなっています。それからというもの、私は娘を生きがいに事件までの30年間をずっと一緒に暮らしてきました。片親だからと言って、人に指をさされるような子供には絶対にしないとの思いで厳しく育ててきました。娘もそんな私の気持ちをわかってくれて、真面目で優しく、よく気がつく子に育ってくれました。娘の幸せが私の一番の幸せでした。

貯金を守り通した母への思い

 でも、そんな娘の命を、大の男が3人がかりで奪ったのです。娘は、本当に惨い殺され方をしました。腕や紐で首を絞め、ガムテープを顔面に縦横と23周も巻き、レジ袋を頭からすっぽり被せ、首から顎にかけてガムテープを8周巻いて止め、既に痙攣の始まっている娘に対し、その頭に30回から40回ほどハンマーを振り下ろしたのです。

「殺さないって言ったじゃない……お願い助けて……死にたくない……お願い話を聞いて……」と、とぎれとぎれの絞り出すような最期の言葉を聞いても、「まだ生きてやがる」と行動はエスカレートするばかりでした。娘は3人がかりのために手足の自由を奪われ、抵抗もできない状態の中で虫けらのように殺されていきました。検察は生き埋めと同じだと言いました。死因は窒息死です。

 親として、子供をこのような形で亡くすことほど辛く苦しい事はありません。

 娘は生前親しい人に、「一番の親不孝は親より先に死ぬ事だから、私は絶対にそんな事はしない」と言ったそうです。ですから薄れゆく意識の中で、ひとり遺していく私の事を心配していたのではないかと思うと胸が苦しくなります。

 こうしてあえて惨い内容を記したのは、「死刑反対」と軽々しく口に出して欲しくないからです。私が3人の死刑を望むのは当然のことです。皆様も、最愛の人が何の落ち度も関係もないのに、このような形で命を奪われたとしたら、同じ思いになるのではありませんか。それでも生きて償わせるとおっしゃるのでしょうか。

 一方で、娘は、彼らのどんな脅迫にも屈しませんでした。語呂合わせでニクムワと読める2960という嘘の暗証番号を彼らに伝えたのです。狭い車の中で、自分よりずっと体格の大きい見知らぬ3人の男たちに囲まれ、手錠をかけられ、包丁で脅された状態で、嘘の暗証番号を選択した娘の心情を思うと、いたたまれない気持ちで一杯になります。

 神田はこの時の震える娘の状況を、友人に立ちあげてもらったブログで「ガッタガタのマグニチュード10」と表現しています。当然誰も、こんな状況で聞き出した番号が嘘の暗証番号だとは思いません。確認もせずにすぐに命を奪ったのです。

 私は、主人とマイホームを持つという約束をしていました。その事は娘も知っていました。分譲マンションのチラシや、家に関する番組があるとよく娘と一緒に見たものです。それは2人にとってとても楽しい時間でした。

 そして、亡くなった後に知りました。守り通したお金は、亡き主人との約束だったマイホームを持つという夢を、娘が叶えようとして貯めていたものだったということを。

「誰のおかげで事件が解決したのか」

 1審の論告で検察は、「この母親の切望に応えることこそ、法に課された使命とも言うべきである」と言ってくれました。そして、「被告人らの死刑を望む遺族らの意思は、被告人3名の量刑を決めるにあたって、最大限に考慮されなければならない」と。

 死刑は絞首刑で娘と同じ窒息死です。できる事なら、娘と同じやり方で刑を執行してもらいたいほどでした。

 しかし、自分が復讐できないなら、せめて死刑判決をとの願いも「被害者が1人」という事で叶いませんでした。

 被害者の数を重要視する裁判官こそ、人の命を軽んじているのではないかとさえ思いました。全ての裁判が結審し私の心に残ったのは、娘の無念を晴らせなかった悔しさと、司法に対する不信感だけです。

 堀は死刑から無期懲役に減刑された途端、それまでは申し出ていた謝罪の手紙を送りたいとの偽りの懺悔もなくなり、何も言ってこなくなりました。本気で反省し謝罪する気があったら、これまでに行った犯罪を自供していたはずです。さらに、減刑した2審判決でさえ、「自らが行った行為に対し、正面から向き合って真摯に反省しているとまでは言えない」としています。無差別強盗殺人を犯し、4年近く経っても反省できない人をどうして更生の可能性があると判断できたのでしょうか。

 堀は無期懲役が確定してからひと月も経たないうちに、娘の事件の9年前に犯した、面識のない人を2人も殺害した強盗殺人事件で逮捕され、その翌年には、娘の事件の1年前に犯した別の強盗殺人未遂事件で逮捕されました。

 これで2審の裁判官や犯罪心理鑑定人の、「犯罪傾向性は進んでいない」「犯罪への親和性は低い」とした判断が誤りだったことが明らかとなりました。この2つの事件の裁判では、堀は死刑、共犯者の2人は無期懲役が確定しています。

 もう1人自首減刑で無期懲役が確定した川岸は、1審の判決が下されたその日の取材で、「誰のおかげで事件が解決したかとの思いだったから満足している。今でも悪い事はばれなきゃいいという気持ちは変わらない」と答えています。

不確定な「更生」が前提になっている司法のままでいいのか

 これまでの裁判を通し、自らの身勝手な欲のために、何の関係も落ち度もない人の命を簡単に奪える者は、善悪に対する根本的な考えが一般の人とは違うという事を知りました。被告の1人は、殺害行為は仕事感覚だと言いました。ゴキブリを殺すのと一緒だと。人はどのような人でも最低限の道徳心は持ち合わせていると思っていましたが、それは大きな誤りで、綺麗事では済まされないどうしようもない人間が存在する事を認識する必要があります。このように考えると、加害者の更生という未来の不確定なことを前提に裁くのではなく、真面目に生きている人を守る事を優先して裁く司法であって欲しいと思います。

の笑顔が変わるとき

 次の言葉は、2審の裁判の時に裁判長に向かって話した内容です。

「私はある日突然、見知らぬ3人の男たちによって、たったひとりの家族である娘を惨殺され亡くしました。その事により仕事を辞め、30年住んだ住居を去り、裁判や署名活動で多額の費用を使いました。

 娘は、真面目に生きていただけなのに、31 歳という若さで強制的に人生を閉じられ、夢や希望、未来の全てを奪われてしまいました。

 かたや罪を犯した者は、三食税金で食べさせてもらい、体調が悪いと診てもらえ、裁判ではひとりに2人や3人の国選弁護人をつけてもらい、犯罪心理鑑定などの手厚い弁護を受け、あげくに好き勝手な言動でより以上に遺族の心を逆なでします。

 娘の最期の言葉に耳を貸さずに命を奪ったのに、自らの命は守ろうとして叶えてもらいます。これってとてもおかしなことに思えます」

 残念ながら、3人の裁判官には遺族の思いは届きませんでした。

 私は被害者やその家族の人権や処遇を、被疑者や被告人同様に憲法に明記して欲しいと思います。

「死刑」が遺族の唯一の望み

 大切な人が殺されたら、ほとんどの遺族は死刑を求めます。裁判でより重い刑を科してもらうことしかすべがないのです。しかし、被害者より加害者の利益を優先する今の裁判では、遺族はさらに辛い苦しみを強いられてしまいます。遺族の唯一の望みである死刑判決まで取り上げるような日本にならない事を切に願います。

 月日の経過とは別に、娘との時間はあの日以来止まったままで進むことはありません。今でも31歳のままの娘が生き続けています。その娘は、いくら声をかけても決して言葉を返してはくれず、黙って笑顔を見せるだけです。いつしかその笑顔が、警察署で見た悲惨な顔や証拠写真の無残な姿に変わる時、耐えきれずに泣きながら頭の中から娘を消し去ります。時間にするとほんの数分のことですが、私が生きている限りこの繰り返しが続くのでしょうか。できることなら、娘との楽しかった思い出だけを胸に生きて行きたいと願います。

 最後に、死刑反対の人にお聞きしたいことがあります。あなたの娘や息子、愛する家族の命を奪った加害者に対しても、あなたは堂々と死刑反対と言えるのでしょうか? 本当に親として家族の一員として、反対で満足なのでしょうか。他人事としてではなく、自分に降りかかったらどうだろうかと、今一度お考え下さい。

(犯罪被害者支援弁護士フォーラム

©iStock.com