(崔 碩栄:ノンフィクション・ライター)

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 日韓関係が歴史上最悪だと言われて久しいが、日本のメディアでは今も毎日のように「韓国」関連の話題が報じられている。第2の韓流、すなわち「韓国の△△が流行している」という内容のニュースだ。これらのニュースを観察してみると、「定番」とでもいうべきパターンが見えてくる。日韓の政府は、あるいは政治家たちの関係は良くないが、一般国民の関係はいい。和解して友好関係を築いていこう・・・と結論づけるパターンだ。

 私は韓国人だ。母国の文化やコンテンツなどが、良い意味で取り上げられ、広く紹介されるのは素直に嬉しい。だが、いつでも結論が「日韓友好の証」だとまとめられてしまうことについては、若干鼻白んでしまう。

「友好」という言葉には相互作用が必要なはずだ。一方通行な愛情で成立するものではない。とくに「友好」という言葉を頻繁に使う日本のメディア、文化人は安易にその言葉を使う前に韓国に目を向けるべきだ。「日韓友好」と断定する前に韓国の現状を一度くらいは確認した方がいいと思うからだ。

 そして、韓流の流行が日本国内の反韓感情を消し去るための助けになると考えるのであれば、日本内での韓流の流行についてだけ伝えるのではなく、韓国内の反日感情をなくすための一つの手段として、日本文化の流行にも関心を持つべきだ。それこそが「友愛」であり、友情関係を育むための第一歩ではないだろうか?

幻の「日本文化開放」――韓国社会から締め出される“日本文化”

 多くのメディアによって伝えられているところによると金大中―小渕時代には日韓関係が良好だったが、その状況を作るきっかけとなったものの一つが韓国の日本文化開放だという。だが多くの日本人は、その「日本文化開放」で具体的に何が変わったのか知らないのではないだろうか。メディアで「文化開放」という言葉だけが繰り返されたために、その言葉から受け取れる「イメージ」だけが記憶されているのに過ぎない。結論から言えば韓国の日本文化開放は名ばかりの開放であり、日本文化は依然として社会的「禁止」「制約」の元にある。

 例えば最近の日本では地上波で韓国ドラマが毎日のように放送されている。だが韓国では日本ドラマが地上波で放送されることなどまず考えられない。日本ドラマを見られるのはケーブルテレビとNetflixのような有料動画配信サービスだけだ。韓国では有料ケーブルテレビの普及率は相当に高く、また、今はインターネットで海外のコンテンツも自由に視聴することができる時代なのだから、積極的に日本ドラマを見たいと思う人は視聴することができないわけではない。だが、それでも依然として地上波テレビの影響力が大きいことは否めない。この差は歴然としている。

 ラジオの場合も同じだ。日本では韓国人歌手の曲、韓国語歌詞の曲がラジオで流れることはあるが、韓国では日本人歌手の曲、日本語歌詞の曲は放送局の自主規制により事実上放送禁止になっている。法律で禁止されているわけではないが、放送局は「国民感情」を理由に事実上の禁止曲扱いだ。それだけではなく、日本語の単語が一つでも入っている曲なら、韓国人歌手の曲でも「放送不適切」という名の事実上の放送禁止処分を受ける。日本語が一つでも入っている曲は道徳的に、倫理的に「聴いてはいけない歌」とされるのだ。

 日本語に対するアレルギー的な反応はテレビとラジオに限った話ではない。日本では「オルチャン(美少女・美男子)」「チンチャ(本当)」「ハッドグ(ホットドッグ)」といった韓国語の単語が新聞、雑誌、テレビ放送などで紹介され、それが韓国に対する憧れであったり、好意的姿勢の証拠であるかのように紹介されるが、韓国の状況は正反対だ。

 韓国人が日常生活でよく使う単語、例えば「うどん」「マンタン(満タン)」「いっぱい」のような日本語の単語は、放送不適切の処分を受けるだけではなく、国立国語院によって「純化対象」に指定され、排除すべき言葉、校正しなければならない言葉として分類される。

日本文化の流行を「危機」「占領」と表現する韓国メディア

 マスコミも黙ってはいない。韓国において日本式「居酒屋」が急増したときには、「倭色が酷い。若者たちは日本語をそのまま持ち込んで使うという奇怪な現象について問題意識ももたない。植民地文化は日常生活の中にこのように強力に浸透した」(ファイナンシャル トゥデイ 2019.8.9)と批判し、日本文化が流行したときには「日本風が強力だ。消費者たちの間では歴史的な痛みがあるのだから日本風の消費を止めなければならないという自制の声が大きくなりつつある状況だ」(マネートゥデイ 2019.5.5)と、暗に自制を求めるような論調で警戒している。

 日本のメディアは韓国の言葉、料理、文化、化粧品が流行することを友好や交流の象徴かのように伝えるが、韓国のメディアは日本のものが韓国内に広がることを「注意」あるいは「警戒」の対象として取り上げるのだ。

 それは文学においても見られる風景で、日本小説の人気に対する韓国マスコミの記事を見るとその様子がはっきり表れている。

書店で韓国の若い作家たちが日本小説家たちにいつも追いやられる現実は危機と受け取らざるを得ない部分だ。
(2017.2.6 MBNニュース)

推理小説が占領する出版市場、国内産出の推理物の反撃
(朝鮮日報 2019.1.23)

「ジャンル不問」 日 小説攻勢―ベストセラー大挙占領
(連合ニュース 2017.2.18)

 韓国マスコミは日本の小説が韓国で流行することを「日本文化による占領」、「危機」と表現し警戒心を示す。韓国で日本のものを楽しむことが白い目で見られる風潮は昔からあったが、去年の「日本製品不買運動」によりさらに深刻化した。

 今は日本製商品を買うだけではなく、タレントが日本料理を食べたという理由で叩かれ公開謝罪をしたり、日本旅行の動画を流しただけで懺悔の謝罪を余儀なくされたYouTuberがいるなど、日本の歌、料理、遊びを楽しむだけでも社会的なバッシングを受ける事態まできている。そしてそのバッシングにはマスコミまで加えているのだ。日本マスコミが「K文学」という表現で韓国文学を宣伝、広報するのとはあまりにも対照的だ。私はこの両国の不均衡な姿、非対称な状況に深刻な問題が潜んでいるように思えてならない。

日本メディアはなぜ「一方通行」に疑問を呈さないのか?

 もし、韓流の広がりが日韓の友好を深めるための要因になるとするならば、韓国において起きている日流バッシングは日韓友好の障害となっているのではないか? このような不均衡こそが日韓友好の障害であり、韓国の反日感情が消えることのない理由のうちの一つだと断言してもいいだろう。

 日韓友好を主張する日本のマスコミや文化人が、日本のドラマや歌が韓国で放送不可となっている現実について、日本のコンテンツの流行を占領、危機と表現する韓国マスコミについて、日本文化を楽しむだけで叩かれる現実について黙っているのはあまりにも無責任だ。韓国が日本文化に対し依然として排他的であり、鎖国を貫くことについて、異議を申し立てるべきではないか。

 つまり、日本の「親韓派」と呼ばれる人たちが本当に両国の友好を望んでいるのであれば、日本に入ってきた韓国文化を無常件に賞賛するだけではなく、日本が好きな韓国の若者たちが日本文化を楽しむことに対して社会的なバッシングを受けるような風潮がなくなるように、韓国マスコミに対し苦言を呈すべきだろう。「友好」関係を築くためには相互理解、つまり対等な立場での交流、コミュニケーションが不可欠であるからだ。

 最後に一つ、個人的に韓流を一方的に賞賛する日本の文化人、メディアに対し次のような問いを投げてみたい。

「あなたは子供で、隣の家にはあなたと同い年の子がいます。あなたは笑顔が素敵なその子が好きで、友達になりたいと思っています。しかし、その子はあなたに関心を持つだけで、あなたと言葉を交わすだけで親から厳しい体罰を受けます。その子が好きと言いながら、体罰で傷だらけになっているその子の姿には関心を持たないあなた。あなたと友達になりたいとその子も思っているでしょうか?」

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