2017年10月、「ニューヨークタイムズ」による1本のスクープ記事が世界に衝撃をもたらした。ハリウッドの大物映画プロデューサー、ハーヴェイワインスタインが何十年もの間、周囲の女性たちにセクハラや性的暴行を繰り返していたという内容で、この記事をきっかけに日本でも「#MeToo運動」が広まるなど、“ワインスタイン報道”の影響は全世界に及んだ。

 そのスクープ記事を手掛けた2人の記者が、取材の舞台裏を明かした書籍『その名を暴け』が、この度日本でも刊行された。彼女たちは、自身の記事が発端となった「#MeToo運動」が、世界に混乱を招いた一面もあると指摘している。それは一体何なのか。そして、世界を揺るがした調査報道は、どのようにして生まれたのか――。話題の同書より、冒頭部分を特別公開する。

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 2017年わたしたちがハーヴェイワインスタインの調査を始めたときには、世の中の女性はこれまでにないほどの力を手に入れていた。

 警官、兵士、パイロットといった、かつては男性で占められていた職業に女性が参入し、ドイツイギリスの首相を務めたり、ゼネラルモーターズペプシコといった大企業を率いたりする女性も現れるようになった。30代のひとりの女性の年収が、その母や祖母の生涯賃金を合わせた額より多くなることもあり得る時代になった。

 それなのに、女性たちは絶えず性的嫌がらせを受け、その加害者はおとがめなしだった。「女性である」というだけで科学者やウェイトレスチアリーダー、管理職、工場労働者は、体をまさぐられたり、嫌らしい目つきで見られたり、言い寄られたりしてきたが、チップや給料や出世のことを考えれば、笑みを浮かべてやり過ごすしかなかった。

ワインスタイン報道”で世界は一変した

 性的嫌がらせは違法行為であるにもかかわらず、ある種の職業ではごく当たり前におこなわれていた。たとえ抗議の声を上げても、解雇されたり侮辱されたりすることがよくあった。被害者の多くは身を隠さざるを得ず、支援されることもなかった。被害者の取るべき最善策は、沈黙を条件に賠償という名の口止め料をもらうことだった。

 その一方で、加害者である男性の多くは、ますます出世し、称賛されることが多かった。嫌がらせをした当事者が悪戯っ子のごとく受け入れられ、喝采されることもよくあった。深刻なダメージを受けることはほとんどなかった。本書の著者のひとりであるミーガン・トゥーイー記者は、ドナルド・トランプにひどい目に遭わされたと訴える女性たちに取材して記事を何本か書き、2016年にはトランプが勝利した大統領選を追いかけた。

 2017年10月5日ワインスタインがおこなったとされる性的嫌がらせや性的虐待に関する記事を公表してから、わたしたちジョディ・カンターとミーガンは、ダムが決壊する様子を驚きをもって見つめてきた。世界中の何百万人もの女性が一斉に、ひどい目に遭った体験を話し始めたのだ。夥(おびただ)しい数の男性が突然、自分たちがおこなっていた略奪に等しい行為について申し開きをしなければならなくなり、前例のない説明責任を果たすことになった。

「なぜこの記事が?」という疑問

 ジャーナリズムは、確かにこれまでもパラダイム・シフトを起こす役割を担ってきた。とはいえわたしたちの仕事は、変化の有様(ありさま)を伝えるだけのことで、その変化自体を長年にわたって作り上げてきたのは、先駆的なフェミニストや法律学者たちだった。アニタ・ヒル〔1991年、米上院司法委員会で、最高裁判事候補になっていたクラレンス・トーマスからかつて受けた性的嫌がらせについて証言した女性〕や市民活動家で#MeToo運動の創始者タラナ・バーク、さらには同業のジャーナリストたちなど、大勢の人々のおかげなのである。

 しかし、わたしたちが大変苦労して究明した真実が世の中の意識を変えるのを見て、「なぜこの記事が?」という疑問が残った。「ニューヨークタイムズ」紙の編集者のひとりが指摘したように、ハーヴェイワインスタインはそれほど有名ではなかった。閉塞感のあるこの世界で、どうすればこれほどまで世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか?

 この本を書こうと思ったのはそうした疑問に答えるためだった。この変化が必然的なものであったとか、あらかじめわかっていたということは書かれていない。本書でわたしたちは、ワインスタインのまわりにあった分厚い沈黙の殻を破って最初に声を上げた勇敢な情報提供者たちが、どのような動機でこの危険を伴う決断をおこなったのか、ということを述べている。

告発者たちは身を危険にさらし……

 ワインスタインのかつてのアシスタントで、ウェールズ在住の四児の母ローラ・マッデンは、ちょうど離婚したばかりで、しかも乳がんの切除手術が迫っているようなときに声を上げてくれた。

 女優のアシュレイ・ジャッドは、世間にはあまり知られていないが、ハリウッドを離れて男女平等に関する研究に没頭していた時期がある。そのときの経験を踏まえて、キャリアを危険にさらしてまで語ってくれた。

 ロンドン在住の製作者(プロデューサーゼルダ・パーキンズは、20年前にサインした秘密保持契約書のせいでワインスタインについて告発ができずにいた。契約違反のために法的かつ経済的な報復を受けかねなかったにもかかわらず、わたしたちの取材に応じてくれた。

 ワインスタインのもとで長期間働いていたある人物は(ここでは名前を公表することはできないが)、そこで見聞きしたことにますます悩まされるようになり、とうとう上司の犯罪を暴くために、重要な役割を演じてくれた。

ワインスタインは編集局に乗り込んできた

 この本のタイトル『彼女は語った』〔本書の原題は『SHE SAID』〕には多様な意味が込められている。声を上げてくれた方はもちろん、声を上げないことにした方々のことや、いかに、いつ、どうして彼女は語ったのか、という意味も含まれている。

 これは調査報道についての本でもある。調査が始まったころは雲を摑むような具合で、わたしたちの知っていることなど無きに等しく、自身の体験を打ち明けてくれる人もほとんどいなかった。そこからわたしたちがどのようにして秘密の情報を入手し、その情報の裏を取ったのか、ひとりの権力者がこちらの調査の妨害をするために不正な手段を用いるなか、その権力者の真実をどのように追い続けたかが書かれている。さらにこれまでの記事には書かなかったが、今回初めて、記事が出る直前に、追い詰められたことを悟った当のワインスタインが、「ニューヨークタイムズ」の編集局に乗り込んできて、最後の直接対決をおこなった時の様子も収録した。

ニューヨークタイムズ」がワインスタインについて報道したのは、「フェイクニュース」が非難され、「真実に対する国家の合意」という概念そのものが崩壊しているように思える時期だった。ワインスタインの犯罪が暴かれたことによる衝撃は非常に大きかったが、それは「ニューヨークタイムズ」のジャーナリストたちが、その犯罪について、だれが見ても疑問の余地のないくらい確固とした証拠を固めることができたためでもあった。その記事では、被害者本人による証言や金銭的な記録、法廷記録、会社のメモ、その他の明らかにされたデータを使って、わたしたちがどのようにして繰り返しおこなわれていた犯罪を実証したか、を記している。

なぜ被害者は沈黙を強いられたのか?

 最初のワインスタインの記事が発表された後の公開討論などで、彼が女性に対しておこなったことに関して話し合われたことはなかった。もっぱら、どんな対応をすべきだったかが話し合われていた。しかしワインスタインは、合意なき性行為をしたという告発をすべて否定し続け、いまもわたしたちの報道が事実に反していると繰り返し主張している。ワインスタインのスポークスマンは、わたしたちが彼の犯罪を立証した記事に対する回答を求めたとき、「あなたがたの記事にあるのは非難や言いがかりであって、完璧な事実はない」と述べた。

 本書は、2017年ワインスタイン報道をおこなう過程でわたしたちが知った情報と、それ以降に収集した大量の情報とで成り立っている。ワインスタインに関する新しい情報もかなり加えられているが、それは被害者に沈黙を強い、いまも社会の変化を妨げているのが司法システムと会社の雰囲気であることを理解するうえで役に立つはずである。

 ビジネスの場では、加害者を守ろうとする力が働く。また、女性を擁護する人のなかにも、犯罪を隠蔽するために示談に持ち込んで利益を得る者がいる。この問題に薄々気づいていた人は大勢いるのに――本書のために取材に応じてくれた、ハーヴェイの弟でビジネスパートナーのボブ・ワインスタインもそうだが――犯罪行為をやめさせようとはしないのだ。

「#MeToo運動」が招いた混乱

 2019年5月、本書を執筆している今も、ワインスタインはレイプと他の性的虐待の容疑で刑事裁判を待つ身であり、女優や元従業員やほかの人々が彼に経済的責任を負わせるために起こした多くの民事訴訟も控えている。この裁判の結果がどうなるにせよ、ワインスタインがもたらしたもの――つまり彼が女性を騙し、女性に圧力をかけ、脅迫するために職場を利用してきたこと――の永久に残る記録として本書が読まれることを願ってやまない〔2020年3月11日ワインスタインはふたりの女性への性的暴行の罪で、禁錮23年の判決を受けた〕。

 ワインスタイン報道が世に出てから数ヶ月も経たずに、#MeToo運動が爆発的な勢いで拡がり、デートレイプから子どもへの性的虐待、男女差別、さらにはパーティでの出会いに至るまで、さまざまな問題が議論されるようになった。そのおかげで公共の場での会話は豊かになり真剣味を増したが、一方で混乱を招くことにもなった。つまり、この運動の目的は性的嫌がらせを根絶することなのか、刑事裁判システムを改革することなのか、家父長制を打ち砕くことなのか、それとも相手の感情を傷つけずに恋をすることなのか、と。その結果、裏付けのない証拠のせいで、あるいはそこまでいかなくとも、組織の変化が絶望的なまでに欠けているせいで、罪のない男性たちを傷つけることになってしまったのではないか。

 わたしたちがワインスタインの事件を報道してから1年近く経ったとき、カリフォルニアの大学の心理学教授クリスティン・ブレイジー・フォード博士が、アメリカ合衆国上院の司法委員会の公聴会に出席し、当時最高裁判事に指名されていたブレット・カバノーを、高校時代に酔っ払って彼女に性的暴行をしたと訴えた。カバノーは激怒してその容疑を否認した。フォード博士を#MeToo運動の最高のヒーローだと見なす人がいたが、その他の人々は、彼女をペテン師――増える一方のバックラッシュに対する弁護者――と見なした〔バックラッシュとは、ある動きが高まりを見せる時に生じる反撥(はんぱつ)、揺り戻し、バッシングのこと〕。

 わたしたちはフォード博士を、「彼女が語った」話のなかでも、もっとも複雑で人柄がにじみ出る話の主人公だと見ていた。大勢の人々に囲まれた上院の司法委員会で証言するに至るまでの彼女の道のりについて、世間が何も理解していないことがわかったときから、とりわけそう考えていた。ジョディは公聴会の現場で彼女の様子を観察し、フォードの弁護団の働きぶりを注意深く見つめ、その翌日フォードに面会した。12月には、カリフォルニア州パロアルト市で朝食をとりながら、ミーガンがフォードの公聴会後初のインタビューをおこなった。それからミーガンは数ヶ月をかけて追加取材し、フォードがなぜ進んで声を上げることにしたのか、その結果どうなったのかについて話を聞いた。実際に彼女の経験を目撃したりした人たちにも取材した。そして、司法委員会で証言するまでの経緯や、さまざまな意見や慣習、政治的勢力、恐怖心などがいかに彼女を追いつめていったかについても本書にまとめている。

取材に応じた女性たちは今、どうしているのか?

 証言の後、彼女はどうしているか、多くの人が案じている。本書の「終章」には、非常に貴重な集団インタビューが収められている。フォードをはじめ、取材に応じてくれた女性たち(それぞれが異なる記事に登場している)に集まってもらった。フォードの旅路にも、見過ごすことのできない大きな問題があった。それは、なにが進歩を妨げたり促したりするのか、という終わりのない問いだ。#MeToo運動はこの時代に社会が大きく動いた格好の例だが、それは同時に試金石でもある。このばらばらになった状況で、男女双方にとって公平な規則と保護という新しい組み合わせを作り出すことができるのだろうか。

 本書は、アメリカの女性たちのあいだで起きた2年間の驚くべき記録である。この記録はあの2年間を生きたすべての人のものだ。秘密を隠蔽する政府や、企業の秘密を扱う調査報道とは違い、わたしたちの調査は、多くの女性が生活の場や職場、家庭、学校で体験したことをもとにしている。とはいえ、わたしたちがこの本を書いたのは、みなさんをできる限り#MeToo運動の発端へと引き戻したかったからだ。

 あの出来事をできるだけ直接かつ忠実に再現するために、本書ではインタビュー電子メール、その他のさまざまな文章を引用した。ワインスタインの件で映画スターたちと初めて話し合ったときのメモ、弟のボブ・ワインスタインが兄に送った手紙、フォード博士のメールの抜粋のほか、直接入手した資料も入っている。もともとはオフレコ〔報道を前提としていない発言〕であったが、追加取材をして関係者に再度話を聞くうちに掲載が叶った発言もある。わたしたちが立ち会うことのなかった対話や出来事を描くことができたのは、さまざまな記録やインタビュー記事のおかげである。本書のなかの発言はみな、ロンドンやパロアルトまで出向いていき、3年間にわたって何百回もおこなったインタビューに基づいている。

(ジョディ・カンター,ミーガン・トゥーイー)

ハーヴェイ・ワインスタイン ©AFLO