元徴用工訴訟問題がいよいよ未曾有の局面に入った。

 8月4日、元徴用工訴訟で被告となっていた日本製鉄(旧新日鉄住金)の韓国内資産の売却命令が可能となった。現金化へ一歩進んだことになる。

 そんな中、韓国でにわかに注目されているのが、韓国の鉄鋼大手企業「POSCO」だ。

裁判所は売却命令を出すことができるように

 訴訟3件により差し押さえられているのは日本製鉄の韓国内資産はPOSCOとの合弁会社「PNR」の株式19万4794株、9億7300万ウォン(約8634万円)相当で、今回売却命令が可能となったのは、そのうちの1件、8万1075株、約4億537万ウォン(約3603万円)だ。「PNR」は還元鉄の供給と乾式ダストリサイクルを行う企業で、POSCO70%、日本製鉄30%の出資比率で2008年に設立された。日本製鉄は、234万3294株(約117億ウォン=約10億3000万円)を保有している。

 日本製鉄への公示送達(資産の差し押さえの通知書類)が届いたとみなされる8月4日0時が過ぎ、裁判所は今日から差し押さえられていた資産に対して売却命令を出すことができるようになった。

「(韓国の)POSCOが(日本製鉄が保有し、今回現金化の対象になる株式を)買い取るしかないんですよ。仮に中国企業に入札されるようなことがあれば厄介なことになります。

 日本製鉄が今のように一切、話し合いにも応じないのであれば、日韓請求権協定の経済協力金で設立した歴史を持ち、日本製鉄とは相互に株式を保有しているPOSCOがその責任を代理でとるという形をとればいい」

 元徴用工訴訟の原告代理人(三菱重工業関連)のひとり、崔鳳泰弁護士はさらりと言うのだが……。

日本の経済協力金を元に作られたPOSCO

 POSCOは、世界の鉄鋼生産ランキングで日本製鉄に続き上位に入るグローバル企業だ。その成り立ちは日本と密接な関係にある。1965年に締結した日韓請求権協定により韓国が日本から受けた経済協力金(無償3億ドル、有償2億ドル)を元に朴正熙大統領(当時)の肝いりで1968年に作られた。当時の名は、「浦項総合製鉄」。技術は日本の八幡製鉄所(現日本製鉄)などから導入したといわれる。

 当時は、韓国政府が7割の株を保有した国営企業だったが、2000年に民営化された。POSCOの名は、「浦項総合製鉄」の英語読みの頭文字をとったもので、2002年から現在の名称となっている。

「POSCOが国民に説明すれば、被害者も納得する」

 前出の崔弁護士の話を再び引こう。

「日本製鉄は2018年の大法院(韓国の最高裁判所)の判決前までは話し合いには応じてきてくれていた。ところが判決が出た後、一切応じてくれませんでした。門前払いです。

 原告代理人側は円満な解決を求めていました。

 それが、日本政府は日韓請求権協定で解決済みというガイドラインで日本製鉄に圧力をかけて話し合いに応じないようにしている。しかし、今回の訴訟は、今も有効な個人請求権による、個人と企業の民事訴訟です。行政は司法に介入できません。

 このままの状態が続けば解決はできない。ですから、日韓の経済協力金でできたPOSCOが日本製鉄の代わりに動くべきなのです。POSCOがきちんと国民に説明すれば被害者も納得することができる」

「話し合いで解決できるように待った。でも外務省が……」

 朴槿恵前政権で先送りされていた徴用工訴訟が大きく動いたのは、2018年10月30日。元徴用工4人が日本製鉄(当時の新日鉄住金)に「精神的被害に対して」賠償請求していたこの裁判で、韓国の大法院は原告の訴えを認め、日本製鉄へ元徴用工一人当たり1億ウォン(約900万円)の賠償を認めた。判決は、「原告の慰謝料請求権が(日韓)請求権協定の適用対象に入っていたとみなすことは難しい」とした。

 日本政府は判決後すぐに、「(徴用工賠償問題は)1965年の日韓請求権協定で解決済み」との立場を明らかにし、韓国政府に対応を求めた。しかし、韓国政府は「司法の判断を尊重する」という姿勢で、対応策がでないまま、年を越した。この間、原告側代理人は2回ほど日本製鉄本社を訪れたが、話し合いには至らず、2019年1月には日本製鉄の韓国内資産の差し押さえが認められ、5月には原告が裁判所に資産の売却を申請。

 日本製鉄には、差し押さえ命令を決定したことなどの書類が送られたが、外務省からは返送され、再送したが返答はなかったという。「こちらはもっと早くに執行できましたが、話し合いで解決できるように待った。ですが、(日本外務省は)通達してくれなかった」と崔弁護士は言う。

 この6月1日、大邱地方裁判所浦項支部は日本製鉄に関連書類が届いたとみなす公示送達手続きを行ったが、その効力が発生するのが8月4日0時だった。この日を以て公示が日本製鉄に送られたことが認められ、韓国の裁判所は差し押さえた日本製鉄の韓国内資産の売却命令を出すことが可能となった。

「買い取る意向はない」とほのめかすPOSCO

 対象となる日本企業へ賠償を求める元徴用工訴訟が日本で始まったのは1997年。2003年に日本の最高裁判所で敗訴が確定したが、2年後の05年には韓国での訴訟が始まった。一審、二審では原告が敗訴となったが、反転したのは2012年。韓国の大法院(最高裁判所)は二審判決を破棄し、ソウル高等裁判所へ裁判の差し戻しを命じた。13年の差し戻し審で被告の新日鉄住金(現日本製鉄)は敗訴し、大法院へ上告していた。そして、2018年の運命の判決へと続いた。中道系紙記者は言う。

「この判決を一番怖れていたのは(韓国)政府かもしれません。韓国は盧武鉉元大統領時代の過去史清算事業の際にも強制動員の賠償問題(徴用工問題)は韓日請求権協定に含まれたとしましたし、以来、韓国政府はずっとその立場をとってきましたから。ただ、司法の判断に政府は介入できないのは日本も同じでしょう。

 それが、妙案が出ないままずるずると引き延ばした。韓国政府にもその責任はありますが、日本が輸出規制という報復措置をとったことで問題が別の次元でこじれてしまった」

 韓国で注目されているPOSCOは、「日本製鉄が保有しているPNR株を買い取る意向はない」(亜州経済、7月31日)ことをほのめかしている。前出記者は言う。

「POSCOにしてみれば、買い取れば日本からは反日のレッテルを貼られ、買い取らなければ、韓国から親日のレッテルを貼られることになる苦しい立場です。韓国政府も日本政府も触りたくない火中の栗をPOSCOが拾うでしょうか。決定的な瞬間までは静観を決め込むと思います」

日本製鉄は即時抗告する方針

 昨年末に提案され日韓政府が前向きな姿勢を示した通称「1+1+α(日本と韓国企業の自発的な寄付金と個人からの寄付金)」の文喜相前国会議長案は前国会で破棄されたが、6月から始まった今国会で再び、野党の保守系「未来統合党」議員らにより発議されている。ただ、この案も訴訟を起こしている被害者側から「被害者の清算にすぎない」と反発されており、実現するかどうかはかなり厳しい。

 差し押さえられた日本製鉄の韓国内資産の売却命令に対し、日本製鉄は即時に抗告する方針を明らかにした。8月3日に原告代理人が発表した資料によると、現在、株式鑑定の手続きが進んでいて、日本製鉄へはこれに異議申し立てを求めることができる債務者審問書の公示送達の手続き中だという。「どれだけの時間がかかるかは分からないが、年内の現金化は難しいのではないかといわれている」(前出記者)。

 韓国では日本は売却命令の有無にかかわらず対抗措置をとるだろうという報道が流れているが、「圧力をかければ引き下がるという考えは捨てたほうがいい」と崔弁護士は話しており、原告代理人はこう見解を明らかにした。

「日本政府は最近現金化について追加の報復措置を言及しています。国家の最高裁判所が確定した判決により該当国家の裁判所が進めている適法であり正当な執行手続きについて他国が報復をすることは違法であるだけでなく、非理性的です。

 それだけではなく、この差し押さえ命令の効力はすでに2019年1月9日に発生しており、2020年8月4日にこの差し押さえ命令についての公示送達の効力が発生したことにより日本製鉄に新たに生じる不利益はありません。日本政府は今回の公示送達をもとに違法な報復措置をとるべきではないでしょう」(8月3日、原告代理人による説明資料より)。

(菅野 朋子)

2018年の最高裁判決後、会見する原告 ©AFLO