―[連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史>]―


◆親の死に目よりも大切?“他人に迷惑をかけない”という頑なな信念

 朝日新聞の記事に以下のようなものがありました。

 終電まぎわのJR長崎線の電車に乗っていた男性の耳元に聞こえてきた小声の会話です。

「病院まで遠い……」
「さいごの会話に……」

 近くに座っていた60代くらいの男女。夫婦だろうか。2人で携帯電話を見つめている。

「電話した方がよかよ」
「迷惑になる。駅に着いてからでよかやん」

 せかす妻。周囲を気にする夫。(中略)2人の声も少しずつ大きくなった。

「意識がなくても耳は聞こえるって。おとうさん、待っとるよ」
「列車だから、かけられんやん」

 夫の父親が危篤で、駆けつけようとしている。でも間に合わないかもしれない。そんな状況が伝わってきた。どうぞ電話してください、と話しかけようか。いや余計なお世話かもしれない。でも――。

 新聞記事によれば、男性は、緩和ケア病棟の看護師として何人もの患者を看取(みと)り、最期に間に合わなかった家族の姿も見てきた人でした。だからこそ、やっぱり声をかけようと思って立ち上がろうとした時――。

 40代くらいの女性が夫婦に近づいた。

「電話した方がいいですよ」

 周りの乗客も、大きくうなずく。

 夫は携帯を耳にあてた。

「お袋、親父(おやじ)の耳元に携帯ば置いて」

 それから、一気に話し始めた。

「親父が一生懸命働いてくれたから、俺たちは腹いっぱい飯が食えて、少しもひもじい思いばせんかった。心配しないでよかけん」

 ありがとう、と語りかける言葉も聞こえてきた。電話を切った夫は下を向き、泣き声をこらえる。その肩を、妻がさすっていた。

 しばらくして駅につくと、夫婦は周囲に頭を下げて降りていった。入れ替わりで乗ってきたのは、ほろ酔いの若い数人。車内が急に、にぎやかな空気に包まれた。

 記事は最後に男性の思いとして、「『ひもじい』という言葉が耳にのこる。戦後の厳しい時代に育ててくれた父親への感謝だったのだろうか。『その声は届いたはず』。たまたま乗り合わせた自分が、見知らぬ誰かの最期を思う。車内みながそうだったように思えた。停車中に流れ込んだ師走の冷気は、いつの間にか消えていた」と締めくくられています。

◆幼いころから聞かされる、呪いの言葉

 電話をしたことは本当に良かったことです。

 その部分は心底、ホッとしました。

 でも、僕は全体として、この記事を読んでとても哀しくなりました。

 電話をためらった60代の男性はきっと真面目な人なんだと思います。

「他人に迷惑をかけない」ということを人生のモットーにしてきたのだと思います。

 そして、その信念は、自分の父親との最後の会話よりも大きいのかと僕は愕然とするのです。

 この60代の男性が特殊ではないと思います。なぜなら、「電話した方がいいですよ」と声をかける女性に日本人はみんな感動するからです。僕は思わずジーンとしました。あなたもじゃないですか?

 それはつまり、この60代の男性の葛藤が理解できてしまうからです。

 いったい、自分の父親の死に目を差し置いても優先しなければいけない「迷惑」とはなんなのだろうかと思うのです。

 けれど、日本人は「人に迷惑をかけない人間になれ」という呪いの言葉を小さい頃から言われ続けるのです。

「日本世間学会」の研究者で、刑事法学が専門の佐藤直樹さんは「『本当は犯罪を犯さない人間になれ』と言わないといけないんだよね。でも、日本では殺人事件がヨーロッパの3分の1、アメリカの17分の1だから、そもそも、犯罪が少ないんだよ。だから『迷惑』なんて言ってしまうんだ」と仰います。慧眼だと思います。

 コロナに感染したことも世間では、「迷惑をかけた」ことに分類されます。無条件で謝らないといけなくなります。地域によってはまさに犯罪者のように感染者の名前が突き止められます。みんなでお互いの首を絞め合っている状態だと僕は感じます。

―[連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史>]―