大阪吉村、和歌山仁坂、鳥取平井は○、広島△、兵庫、福岡は×…政治学者・御厨貴「知事たちの通信簿 西日本編」 から続く

 新型コロナウイルス感染拡大の第2波が日本を襲う中、政治がタイムリーな対策を打ち出せないばかりか、官邸と都道府県知事の対立も顕在化している。なぜ“国難”を前に政治は空転しているのか。

 まだ緊急事態宣言が発出されていた5月に「知事たちの通信簿」と題して、全国の知事のコロナ対応を評価してもらった政治学者の御厨貴氏(東京大学名誉教授)に、その後の変化を踏まえて改めて聞いた。

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「vs.官邸」で浮き上がった小池知事の「×」

 全国で新型コロナの新規感染者が増加し続けているのに、国民が納得いくような具体的なコロナ対策が進みません。

 いまの全国の政治の現場から聞こえてくるのは、「国がダメだから対策が打てない」「知事が反発するから物事が動かない」といった声ばかり。まるで国と地方が都合良く、お互いを「できない言い訳」に利用し合っているような状況です。

 分かりやすい例が、「Go Toトラベル」キャンペーンをめぐる官邸と東京の対立です。

 感染再拡大の責任を東京に押しつけて、キャンペーンを強行したいという思惑があったのでしょう。菅義偉官房長官は「新型コロナウイルスは東京の問題」(7月11日)と発言し、当然ながら東京都小池百合子都知事は猛反発しました。小池氏は反撃し、「(Go Toキャンペーンと感染拡大防止の)整合性をどう取るのか。冷房と暖房を両方かけることにどう対応すればいいのか」と国の姿勢を批判しました。

 その結果、政府は議論を深めることもなく、東京を“無視”することで“決着”します。1兆3500億円もの予算を費やした政府肝いりの消費喚起キャンペーンは人口1400万人を誇る東京を除外することになり、スタートから大きく躓きました。

 もちろん、政府側の小池都知事個人に対する反発も強いのでしょう。官邸からすれば、この半年間、小池都知事に好き放題にやられました。「ロックダウン」「東京アラート」と、小池さんは官邸を突き上げるように次々に記者会見を行い、「国は東京よりも遅れている」「私に付いてきてください」と言わんばかりのアピールを続けたからです。この「演出巧者」ぶりは、実際に国を動かした部分もありましたから、私も5月の文春オンラインで評価しました。

 しかし、流石にやりすぎた面もある。というより、小池さんの持っている「手口」が使い尽くされた。小池さんには頼りになる参謀や盟友もいませんから応用が利かない。次の一手もなく、限界に直面しています。

 7月の都知事選までは勇ましかった小池さんが、選挙後には感染者数が増えても「皆様のご協力をさらに強めていかなければいけない警告」(7月23日)と状況説明に終始し、先導役を降りて「一緒に考えましょう」と都民の側に入ってきたようにも見える。小池さんが第2波を巡って会見を繰り返しても、春先のように迫力がないのは、このせいなのです。

 国も東京も「口は動くけど手は動いていない」状態で、これでは具体的な対策が進むわけもありません。

地方の反発で東京は孤立した

 私が興味深いと思うのは、こうした官邸と東京との激しい対立が続いても、東京を擁護する声が全国の知事から上がらなかったことです。それどころか、東京を攻撃することが、ある種の地元民へのコロナ対策のアピールの場になっていきました。

 東京都内での新規感染者数が2日連続で100人を超えた7月3日には、島根県の丸山達也知事が県民に対して「新宿区歌舞伎町に類する繁華街」への夜間の外出を自粛するよう要請。「都は都民に向けてもっと具体的な感染防止のための要請や注意を示すべきだと思ったが、その期待を裏切られた」とも踏み込みました。さらには7月9日兵庫県の井戸敏三知事が、「諸悪の根源は東京」とまで言い切りました。

 実際に東京で突出して感染が拡大したのは事実ですし、長年の東京一極集中に対する反発もあるのでしょう。ただ、感染が全国に再び広がる前だったこともあって、東京を攻撃すれば自分たちが「浮き上がれる」状況もありました。

 さらに、地方にも感染が広がると、7月31日岐阜県の古田肇知事が県独自の「第2波非常事態宣言」を、8月1日には沖縄県玉城デニー知事も県独自の「緊急事態宣言」を出しました。8月3日には三重県も独自の「緊急警戒宣言」を出しています。

 いまや各知事は、コロナを巡って「とにかく言ったもん勝ち」とも言える状態になっている。

 知事たち側の事情を考えてみれば、国があまりに無策で、日本中の知事が積極的に発信を続けたことで、独自のコロナ政策を訴えるのが「ウケる」ということが明らかになったという事情もある。もはや「いわないと損」な状況とも言えます。

 いままで地方の知事は、その県のトップとして地方のメディアに取り上げられればそれで十分でした。しかし、コロナの問題では、ほかの都道府県よりどれだけ目立てるかの競争となり、全国メディアに大きく取り上げてもらうことも大切になってきた。

 直接選挙で選ばれる知事にとって、「うちの知事はこの危機に何もやらない」「他の県は色々やっているけど、うちの県は……」と無能のレッテルを貼られるほど怖いことはありません。たとえ「言いっぱなし」に見えたとしても、口に出していかないと他県との比較で埋没してしまうのです。

 このようにして、中央と地方という対立軸だけでなく、地方同士も「アピール合戦」に突入して、議論が積み上がらず、国と地方が一致団結して立ち向かう雰囲気はなくなってしまったのです。

なぜ安倍首相リーダーシップが見えないのか?

 これほどの“国難”を前にして、なぜこんな「何も決まらない」混乱が起こったかといえば、安倍首相リーダーシップがまったく見えないからです。

 最後に記者会見を開いた6月18日。第2波が見えてきた7月には、31日に立ったままの囲みの会見が行われた程度で、安倍首相緊急事態宣言をめぐる春先のように、国民の前に立って会見を行うことはありませんでした。「Go Toキャンペーン」をめぐっても、西村康稔経済再生相や菅官房長官しか表に立たず、首相の存在感はまったくありません。

 8年間続いた長期安倍政権の特徴は、個々の課題を深く掘り下げることなく、次々に新たな政策を打ち出して「やってる感」を演出してきたことです。多少トラブルがあっても、安倍首相から「次はこれをやる」と指令が出され、新しいテーマを“消費”することで乗り切ってきました。

 ところが、今回はコロナという課題があまりに大きいために、安倍首相も次の指令を出せないでいる。その結果、司令塔を失った政府からは一貫性のない政策が小出しにされるだけで、迷走を続けています。

「無理」と分かっていても止められない政治

 明治維新以降の日本政治を振り返っても、コロナ禍はこれまで直面したことのないほどの“国難”です。

 太平洋戦争は大きな危機でしたが、戦争には勝敗という「終わり」があった。また、東日本大震災などの大災害にも見舞われましたが「復興」という形で「終わり」を描くことが出来ました。いいかえれば、これまで政治は、ゴールとなる目標を立てて、その目標のためにやるべきことを考え、実行してきたのです。

 しかし、今回のウイルスは姿も見えず、着実に迫ってくる危機でありながら、「終わり」が見えません。ワクチンはいつ開発されるかわかりませんし、副作用があるかもしれない。そして、経済はどうなるのか。さらにウイルスも、経済も自国にとどまる話ではありません。分からないことだらけなのです。

 この「終わり」の見えなさに頭を悩ませているからこそ、政府はオリンピックをいまなお「出来る」とこだわります。コロナも解決できず、オリンピックも出来ないとなると、与党の政治家たちにとっては「国家目標」を失ったも同然。いわば「政治の敗北」です。たとえ内心では無理だと思っていても、「やれる」と目標を掲げざるをえないのです。「GoToキャンペーン」を感染拡大が危惧されながら強行したのも、同じようなことでしょう。

 誰もが「厳しい情勢」だと分かっていながら、やめると言い出せないまま事態が進んでしまう――まるで太平洋戦争の国内状況のようだと思う人もいるかもしれません。

 しかし、本当の危機に直面した政治の現場では、誰もが本当のことを口に出来なくなってしまうものなのです。何も古い話ではありません。

「あなたは政治が分かっていない」

 私自身も体験があります。3・11のあと、「東日本大震災復興構想会議」の議長代理を務めていた私は、被災地を回って、各地の再建プランを語る多くの地元の政治家たちと対話していました。

 印象的だったのは、どの再建プランにも「復興すれば、新しく小学校が出来て、病院が出来て、道路が広くなって……」と夢物語のような成長プランが書いてあったこと。しかし、さすがに非現実的とも思えるようなプランもあって、疑問を投げかけると、ある被災地の首長がボソリとこうつぶやいたのです。

「こんなこと出来るとは誰も思っていない。でも、現実に合ったプランにしようといえば、私は袋だたきにあって次の選挙で落ちる。出来ないとわかっていても、出来ると思って向かう共同幻想が必要なんだ。あなたは政治が分かっていない」

 もちろん復興プランは、実際には現実に合わせざるを得ませんでしたが。

 このように「終わり」が見えなくなったことで、目標を掲げても空々しさばかりが漂い、具体的なことが何も進まなくなってしまったのが、いまの日本の政治なのです。

 目標を掲げられなくなった政治が陥る最悪のシナリオは、政治家たちが「コロナは退治できないから、まずは横に置いておこう」「それより、分かりやすい別のことに目を向けよう」と、刹那的な行動に突き進むことです。もうすでに、与党も野党も中央政界ではそれが起こり始めています。

安倍首相の任期が来年の秋までだが、オリンピックはどうするんだ」「選挙はいつやるんだ、それまでに勢力を集めよう」「内閣を改造して支持率を上げよう」と、中央から聞こえてくるのは、そんな矮小な話ばかり。その結果、あれほど国民に「大勢で集まるな」と言っておきながら、派閥のパーティーは平然と開かれ国の最高幹部が参加するような状態になっているのです。

なぜ地方には救いがあるのか?

 こうした壊滅的な中央に対して、私は、混乱は続いているとは言っても地方に救いがあると思っています。

 地方の知事たちが何もしなければ、目の前で人が倒れ、店が閉まり、街の活気は日増しに失われていきます。現場を抱えているだけに、何かをやらなければならないという使命感や焦燥感が、中央とは比べものになりません。

 もしかしたら、こうした「現実」を抱える地方の首長たちの存在があることが、敗戦まで誰も止められずに突き進んだ太平洋戦争との違いで、光明となりえるのです。

 地方は「終わり」が見えないからと言って、現実に目をつぶるわけにもいかない。住民のニーズをどれだけ把握し、地域の実情に合わせて問題を極小化できるか。本気で知事たちがコロナ問題に向き合うことで、これまで見えてこなかった「うちの県の課題はここにある」という発見もあると思います。ひとつひとつ課題をクリアしていけば、これまでは語られるばかりだった「地方分権」が一気に進むかもしれません。

行き詰まる北海道・鈴木、大阪・吉村は「×」

 新型コロナウイルスの初動対応で活躍した知事たちも、いま第2波に立ち向かいながら、小池知事と同様に、壁にぶつかっています。

 たとえば、北海道の鈴木直道知事の勢いは、春先以降、徐々に失われつつあります。圧倒的な道民からの支持と中央政界とのパイプで引っ張ってきましたが、長期戦になるにつれて中央行政との連携がさらに求められるようになってきているのです。公務員出身ではありますが、中央官庁出身ではない難しさにぶち当たっています。

 また、「大阪モデル」など独自政策を打ち出して脚光を浴びた吉村洋文知事も、正念場を迎えています。「5人以上の会食はやめてください」(7月28日)など具体的な数字をはっきり出す「言葉の人」ではありますが、これだけ大阪で感染拡大が起きている中でどういう手を打てるのか。コロナ解決には地域に密着して、小さな単位に落とし込んで解決していくことが不可欠ですが、秋に住民投票を控えている大阪府大阪市の統合は、ともすれば逆方向の話。長期戦の中でどういう手を打っていけるのか。若い知事たちが真価を問われています。

今後のキーマン「3人の共通点」とは?

 こうした現状の中で、私が今後の日本政治のキーマンとなり得るのは「地域に根ざしながら中央に顔の利く知事」たちではないかと考えています。

 元通産官僚で、地域の実態を読み切ってPCR検査などで国とは異なる独自路線を歩んだ和歌山県の仁坂吉伸知事。総務省出身で中央省庁の機微を熟知し、感染症対策として医療や保健所の体制整備を進めながらエリアを区切って対策を進める鳥取県の平井伸治知事などが挙げられるでしょう。

 さらには、外務省出身で衆院議員を4期務めた岩手県達増拓也知事。広い県面積ながら中心地・盛岡以外の場所でも医療体制を充実させるべく、「地域外来・検査センター」を東北で一番多く作り、検査による陽性発覚を恐れないように「陽性者は咎めない」と積極的に発信し続けました。

 3人に共通するのは、地元の状況を的確に把握したうえで、中央の官僚や政治に顔を利かせ、予算に限りがある中でコロナの問題を小さく切り分けて、一つ一つ解決していること。中央の政府・官庁の状況がよく分かっているからこそ、無用な対立をおこすことなく、住民と一緒になってコロナ対策に当たることができているのです。

 この流れの先には、やがて都道府県間の連携をとるために、調停者として国が活躍する機会も出てくるでしょう。中央が現実から逃げ出し、地方もバラバラに対策を打っている日本政治の惨状は、コロナという外敵を契機に日本の政治のあり方が変わるプロセスの最中と言えます。

 一日も早く適切な対策を打ち出せるように日本政治を立ち直らせるためにも、地方政治にもっと注目していくべきかもしれません。

(御厨 貴/Webオリジナル(特集班))

うがい薬の使用を呼び掛ける大阪府の吉村洋文知事(8月4日) ©共同通信社