家族法を研究する者の視点から、目下再燃しつつある「女性天皇」と「女系天皇」の是非をめぐる議論について考えてみたい。

日本では家族の基本単位は「親子」、欧米では?

 家族の最小単位は何だろうか。欧米では、人生をともに乗り切るパートナーとして自分が選んだ相手との関係が重視されることから「夫婦」と答える人が多いだろう。それに対して、日本では家族の基本単位は「親子」なのではないか。そう考えると、欧米の価値観は家族においても選択を重視する、日本は血縁を重視する社会のようにも思えてくる。

 そして、そういう価値観が日本の天皇制の基礎にあるとの意見もあるだろう。王位継承において、イギリススペインは直系男子を優先させるが、女子にも継承権はある。結果、エリザベス女王が君臨している。

 スウェーデンオランダに至っては、男でも女でも第一子に王位継承権がある。女性に皇位継承権を認めない日本の皇室は血縁重視で、男尊女卑的な日本の「家族」の価値観を反映しているという批判が聞こえてきそうだが、それはやや単純過ぎるだろう。

 まず、欧米は男女差別の価値観と決して無縁ではない。例えば、英米の歴史を紐解けば、かなり差別的なシステムが現れる。結婚と同時に妻は夫の影となる。自らの財産は夫のものとなり、それを処分することはおろか誰かと契約することも一切認められない。伝統的な英米法の家族観は、日本よりもさらに家長の権限が強い。

家族のあり方が多様化して行ったアメリカ

 英国法を引き継いで家長の絶対的な権力からスタートしたアメリカだが、1970年代以降、家族のあり方は急激に多様化していく。

 浮気のような責めるべき理由が相手側になくとも、関係が破綻していれば離婚が認められるようになる。離婚率が急速に上がると同時に、再婚率も高くなる。そしていくつもの血の繋がらないステップファミリーができ、母の再婚相手に温かく迎え入れられ、強い絆で結ばれる子どもたちが、そこかしこに見受けられるようになる。さらに90年代以降には、ゲイビーブームの波に乗って同性カップルの子育てが増加する。

「家族」というのは、血で結ばれた集団とは限らず、「荒波で揉まれた船が、いつ帰ってきても錨を下ろせる港」—家族という拠り所を感動的に表現する判例も現れる。

 60年代のアメリカ女性差別はひどかった。ついこの間まであんなに差別していたのにと鼻白む向きもないではないが、極端から極端へと振れる国がアメリカである。いまやアメリカの「家族」は、血縁をその真ん中には置かず、そこからどんどん遠ざかりつつある。

「大人になってからの養子縁組」という風習

 では、日本の家族は血縁を重視してきたのだろうか。この点は、家族法の学者の中でも意見が分かれる。日本では大人になってからの養子縁組の風習がある。これは海外から見ると異例である。血のつながらない人を連れてきて家を継がせる。これだけ見ると、血縁へのこだわりは、近隣の中国や韓国と比べるとかなり薄い。

 さて、このような養子縁組は、なぜ行われるのだろうか。それは、跡継ぎがおらず、そのままでは断たれてしまう「家」を次の世代に残すためである。日本の家族制度が重視してきたのは、自分の血脈を孫子の代まで残すことよりはむしろ、「家」を絶やさずに世代を超えて残していくことであるとの説明がある。

 では、「家」って果たして何なのだろう。ものすごく、古臭~い、黴臭~いニオイがしてきそうな言葉である。だが、これを現代にも続く「企業」の仕組みとする家族法の説明に出会ったときに、私はすとんと腹落ちした。それぞれの家には「家業」がある。歌舞伎がその一例だ。代々お煎餅を作っている老舗もあるだろう。この家業を世代を超えて連綿と残していくための装置が「家制度」なのである。

 だから、経営者は次世代の有望な者を探してきて継がせる。ソフトバンクグループ代表の孫正義さんの後継者探しがニュースになった時期もあるが、あれと同じである。「家」という、一見すると古臭い制度が、見方によっては、現代まで続く合理的なシステムであると分かる。

天皇家の「家業」の中心は宮中祭祀

「家」の目的は、家業を次世代に継がせることであり、血縁へのこだわりは、東アジアの中ではむしろ薄く、有能ならば血縁がなくとも跡目を継がせられる。ならばどうして、女系天皇があれほどまでに否定されるのだろうか。

 実は、天皇家には特殊な事情がある。天皇家の「家業」の中心は宮中祭祀を執り行うことであろう。そのための資格として「男系の血脈」が要件となる。いわば、家業そのものが、部分的であれ血脈で定義される。

 天皇の伝統的な権威は、個人の人格的徳望のみならず、世界でも例がないほどの時を超え、男系の血脈を絶やさず承継してきたことにある。そうなると、女系天皇では男系の血脈を含む「家業」を十分に承継していることになるのか疑義が残る。

男系の血脈が本質ならば

 今後は、天皇家の「家業」の本質を明らかにしていく必要がある。皇室典範は男系男子に限定する。しかし、男系の血脈が本質ならば、男系女子に皇位継承が許されない理由もない。リリーフとされてはいるが、過去に女性天皇が存在したのは事実である。さらに、帝王学による個人の人徳こそが今後の天皇制の本質であるとするなら、男系に限らず女系を容認する道もある。

「皇位継承資格を男系男子に限るなら、側室を認めるしかない」としたり顔で語る「リベラル」な男性がいる。彼は、そんなことは許されないから男系男子に限る理由はないとして、女性に理解を示すのである。だが、本当にそうだろうか。不妊の原因は女性にあるとの無言の前提を押しつけてはいないか。不妊の原因を明らかにし(その半分は男性にある)、子どもを産む不妊治療の技術が高度に発展した現在、側室という議論設定自体が、あまりに「男目線」ではないか。

 西洋の家族は多様化する。個人の選択を是とする合理的な価値観は、否が応でも日本に影響を与え、私たちに伝統の本質を問いかける。伝統にカモフラージュされた「男目線」こそ、見逃してはならない。

 以上の考察をもとに、ここでは家族、家業、家制度が描かれた小説3冊と歴史家の視点で書かれた女性・女系天皇論2冊をお薦めしたい。

家族と家と天皇制を知る5冊

【1】青い眼がほしい(トニ・モリスン/大社淑子=訳)
 両親と二人の子どもと大きな家——アメリカの標準的な家族を描く書き出しは、しかし、次のページで見事なまでに破壊される。その手法をうまく表現できない。「普通の家族なんてどこにもない」という作家の実験的な試みは、ぜひご自分でご覧になって欲しい。ハヤカワepi文庫 860円+税

【2】非道、行ずべからず(松井今朝子)
 歌舞伎の家のお話である。稀代の名優・三代目荻野沢之丞が兄弟のいずれに名跡を継がせるか、巷では話題となっていた。ネタバレになるのでこれ以上は控えるが、歌舞伎の「家の技」が決して血縁のみによって承継されてきたわけではないことがよく理解できるだろう。集英社文庫 900円+税

【3】私という運命について(白石一文)
 雇用機会均等法第一世代の女性が運命の男性と出会い、結婚を通して彼の「家」に組み込まれていく。「家制度」なる価値観は現代にも息づいていると分かる。ところどころカチンとくる表現が、逆に「保守的な男の視点」を通して見た世界を浮かび上がらせ興味深い。角川文庫 720円+税

【4】皇位継承のあり方 “女性・母系天皇”は可能か(所功)
 歴史家である著者は、天皇制の本質を皇籍にある方に担われることに置く。したがって本書は、皇族の女性にも皇位継承資格を認める「女性天皇・女系天皇容認論」である。穏健な筆致は、極端になりがちなこの議論に品格を与えている。PHP新書 品切れ・重版未定

【5】女帝の古代日本(吉村武彦)
 六代八人の女性天皇について、他の天皇にはない特徴を拾う。結果、女性天皇の誕生に潜む、男系の血脈を維持するという血統主義的な思惑が明らかになる。女性天皇は、女系天皇につながる存在ではなく、むしろ、男系天皇を維持する側面もあったのである。岩波新書 760円+税

(山口 真由/週刊文春WOMAN 2020年 創刊1周年記念号)

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