少子高齢化と人口減少が進むわが国の社会の質を維持し、さらに発展させるためには、データの活用による効率的な社会運営が不可欠だ。一方で、データ活用のリスクにも対応した制度基盤の構築も早急に求められている。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、これまでの経済、社会のあり方は大きく変わろうとしている。

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 その中で、日本が抱える課題をどのように解決していくべきか。データを活用した政策形成の手法を研究するNFI(Next Generation Fundamental Policy Research Institute、次世代基盤政策研究所)の専門家がこの国のあるべき未来図を論じる。今回は理事長の森田朗氏による日本の「戦争総括」について(過去10回分はこちら)。

徐々に風化しつつある戦争体験

 毎年この時期、8月15日の終戦の日が近づくと、メディアでは戦争特集が繰り広げられる。75年前に、わが国の敗戦で終結した太平洋戦争の薄れゆく記憶を呼び戻し、その悲惨さを戦争を知らない世代の人たちに語り継ぐことで、二度とあのような戦争を引き起こさないように、またわが国が戦争に巻き込まれないようにしようという企画である。

 戦後75年を過ぎるとさすがに戦争を体験した生存者も少なくなり、存命であっても高齢化している。それもあって、わが国がたどってきた歴史、とくに普通の国民にとって戦争がどのようなものであったか、戦争によってどのような過酷な生活を強いられたかということを、しっかりと後世に伝えていく重要性は改めていうまでもない。

戦争への反省、反戦運動についての疑問

 私の父も義父も、招集されて戦地に赴き、終戦後、朝鮮半島で武装解除され、数年の間シベリアに抑留されていた。また、叔父は大学卒業後すぐに召集され、ガダルカナル島で戦死した。母も親戚の多くも、空襲で家屋を失い、疎開を余儀なくされた。

 今では、こうした体験をした家族や知人を持つ人たちは減った。これらの人たちが生きていたときは、日常的に戦争の時代はどのような生活であったか、空襲によって身近な人が死に、家族が離散し、苦しい戦後の生活をどのように送らなければならなかったか、そのような話を日常的に聞くことができた。

 しかし、戦争を体験した世代の人たちも少なくなると、戦時下で辛酸を嘗めた一般市民の生活も、東京大空襲の被害も、そして広島、長崎の原爆投下後の目を覆うばかりの惨状も、意識的に記憶を掘り起こし、戦争を知らない世代の人たちに伝え、平和の尊さ、その平和を脅かす核兵器の保有や軍備増強の愚かさを教えていく必要がある。そうでないと、多くの人たちが払った貴い犠牲を生かせない。

 このような平和を希求する信念、反戦の主張を批判する気はまったくない。それでもかつて政治学を専攻し、とくにリアリスティックな政治や行政現象の分析を研究テーマとしてきた者として、これまでのわが国の戦争に対する反省のあり方、反戦運動の進め方について、長い間解けない疑問を抱いている。

 それは、一言でいえば、現在の平和運動によって、どのようにして戦争を防ぎ、その危機を回避するのか、その論理的な道筋が明らかではないことだ。平和を希求するだけ、祈ることだけ、反戦を説くことだけで、平和が実現するほど、現実の世界は甘くはない。

 この疑問を掘り下げていくと、第二次世界大戦の開戦や原子爆弾の投下、都市への空襲の責任の問題に行きつく。地震や台風は自然災害であり自然現象であるが、戦争は、たとえ偶発的なものであれ、人間が引き起こすものだ。

 この世に正しい戦争があるのか、勝者は常に正しいのかという形而上学的議論はともかく、誰がいかに戦争を始めることを決定したのか、逆にいえば、どの時点で異なる決定をすれば戦争を回避できたのか。それをしっかりと研究し、戦争開始の決定に至る政治的リーダーの思考過程と、回避の方法を分析することによって、初めてより効果的な戦争回避と平和実現の方法を知ることができるのではないのか。

チェ・ゲバラが広島で質問したこと

 戦後わが国のみならず世界の多くの国で、戦争についておびただしい数の研究が発表されていることはもちろん承知している。わが国でも、丸山真男による軍国主義の精神構造についての分析をはじめ、優れた研究が多数ある。しかし、その研究から得られたことが、果たして現在の戦争への反省や平和を維持するための具体的な考え方や方法に結びついているのだろうか。私には、そのようには思えない。

 8月6日配信のHUFFPOSTに「『きみたち日本人は腹が立たないのか』チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った」という記事が掲載されていた。 ゲバラは、キューバの政治家として1959年来日し、当初の日程を変更して広島の原爆資料館を訪れたという。そして、陳列品をみて、不意に通訳に「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と憤りをみせて語りかけたという。

 ゲバラが、反米キューバの政治家であるとしても、彼の問いかけに対して、われわれ日本人は何と答えるのだろうか。

 これまでもときおり、原爆が非人道的で残虐な兵器であるとすれば、それを投下したアメリカの責任を問うべきであるという声はあった。しかし、それが日本国民の間で広がることはなかったし、これからもあるとは思えない。

 原爆投下時、日米は戦争状態にあり、日本が敗北した結果、勝者の行為に責任を問うことはできないのかもしれない。でもそうだとしたら、戦争を引き起こした、原爆投下の原因となった当時の日本政府の責任は問われないのか。もちろん、日本の戦争責任については、戦後、連合国が追及し、戦争の首謀者は戦犯として処罰された。しかし、連合国の占領が終了した後に、日本国民が彼らの責任を問うことはしなかった。

 戦争によって悲劇は起こったが、その原因となった決定を行った人物の責任とその決定過程についてはあいまいなままだ。むしろ誰か特定の人物が悪いのではない、当時の「空気」がそうした、その意味では国民全員に責任がある、という「一億総懺悔」のような形で処理されてしまった。その認識は現在でも多くの国民に共有されている。

 ここで改めて、誰に責任があるのか、アメリカに原爆投下の責任追及と補償を要求せよなどというつもりはない。ここで指摘したいのは、このような甚大な被害をもたらす戦争が起こった原因とその決定過程についての評価がきちんとなされていないために、戦争が起こるメカニズムを解明し、それを防ぐ方法、勃発したときに執るべき対応についての議論が深まらないということである。

「戦争は悪い、原爆は悪い」がもたらす思考停止

 そのことを如実に示しているのが、「戦争は悪い」「原爆は悪い」という言い方だ。原爆を投下したアメリカの責任を追及することはしない。かといって、原因を作ったわが国の責任者を糾弾することもしない。結果として、原爆投下が正当化される根拠等について、国民の間で議論されることもなく、ただ「モノとしての原爆」が絶対悪だというのみで、その兵器としての使用可能性や抑止のための方法についての議論は停止してしまっている。

 悪いものであっても、作らなければ兵器にならず、使わなければ被害も生じない。誰がどのような場合に使用を考え、それをどのようにすれば阻止することができるのか、その場合に抑止力という考え方はどうなのか。冷静に現実を直視し、そこから最善策を選択するという発想がみられないのは残念というほかない。

「戦争」という言葉も同様だ。抽象的な戦争という概念を呪い、それをわれわれの思考から排除することが平和に結びつくという考え方は、そろそろ卒業すべきではないだろうか。

 こうした発想が典型的にみられるのが、大学において軍事研究は行わないという戦後長く受け継がれてきた原則である。たしかに学生を戦地に送り出した戦前の経験から学習すべき点は多い。しかし軍事研究をすれば、それが戦争に結びつくという短絡的な論理は、むしろ戦争発生のメカニズムの科学的究明を妨げ、平和の構築に結びつかない。

平和を勝ち取るリアリスティックな議論を

 このような「戦争」の捉え方は、憲法の理念から導かれているとはいえ、理念を具体化するクールな分析、検討こそが重要だ。ここで、憲法を改正すべきであるとか、すべきではないとか、あるいは軍備を強化せよとか、敵地攻撃も検討せよ、などと主張するつもりもない。しかし、現実に、軍事力によって領土が脅かされ、サイバーテロによって国民生活を支える社会的基盤が危機にさらされているときに、どのようにして戦後75年かけて築き上げてきた平和で豊かなこの日本社会を守ることができるのか。あえて侵略を受けても抵抗せず、侵略者への隷従を受容するのか。

 戦後75年を経て、国際情勢も大きく変わった。現在の国際社会において、わが国と世界の平和を実現するために、国家として何をなすべきなのか。われわれの世代がなすべきことは、言葉として「平和はよい」「戦争は悪い」と言い、過去の戦争体験のトラウマを若い世代に伝えることではなく、現実に戦争のリスクを避けるために、あるいは戦争によるダメージを最小化するために、何をなすべきなのか。それを日本と世界の歴史の中から学び、それを教えることではないだろうか。

 2019年に訪れたリトアニアをはじめラトビアエストニアからなるバルト三国は、20世紀に入ってからドイツとソ連の侵略によって想像を絶するような悲惨な運命に遭った。ソ連の崩壊後、独立を回復してからも、隣国ロシアからの脅威の下で、いかに自国民を守るか、そのために知恵を絞っている。これらの国が歴史から学ぼうとしていることを、われわれも大いに学ばなくてはなるまい。

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