最新鋭ステルス戦闘機F-35ライトニングII」の前には初代「ライトニング」というべき戦闘機が存在します。F-35の開発元であるロッキード・マーティンが初めて造った本格的軍用機の評価と、それに乗っていた意外な有名人とは。

「ライトニング」 名門ロッキードが開発した異形の双発エンジン戦闘機

2020年は『星の王子さま』などで知られる作家サン=テグジュペリの生誕120周年です。

サン=テグジュペリは1900(明治33)年6月29日フランスリヨンで生まれ、1944(昭和19)年7月31日に44歳で亡くなりました。彼は元々パイロットです。そのため第2次世界大戦ではフランス空軍の飛行教官を務め、アメリカに亡命したのち自由フランス空軍に志願し、最終的に地中海上空を飛行中、行方不明になりました。

そのときに彼が乗っていたのが、P-38ライトニング戦闘機の偵察型F-5Bです。原型であるP-38ライトニング」は、ドイツ軍関係者から「双胴の悪魔」と呼ばれ恐れられた双発の大型戦闘機ですが、日本軍パイロットからはその形状から「メザシ」と呼ばれたり、「ペロはち」と呼ばれたりもしました。

「ペロはち」とは、簡単に撃墜できることから、「ペロリと食えるP-38」をもじってつけられたものでしたが、なぜドイツと日本で真逆の愛称になったのでしょうか。そこにはP-38が追い求めた性能が関係していました。

いまでこそロッキード・マーティンは世界屈指の航空機メーカーですが、その前身であるロッキードは創設からしばらくのあいだは民間機ばかりで、同社が初めて本格的に開発した軍用機といえるものが、このP-38ライトニング」でした。

航続力、スピード、上昇性能の3拍子揃った優秀機の「評価」

P-38が誕生する端緒になったのは、1935(昭和10)年にアメリカ陸軍が要求した高高度迎撃戦闘機の開発計画です。

アメリカ陸軍では同時期、高高度飛行性能に優れた4発エンジンのB-17戦略爆撃機を開発していましたが、敵国が同じような戦略爆撃機を用いた場合、自国に迎撃できる戦闘機がないことが不安視されました。その結果、高高度における飛行性能が優れた戦闘機を並行して開発することにしたのです。

ロッキードの設計案はアメリカ陸軍のコンペを勝ち抜き、1937(昭和12)年6月に「XP-38」の型式名で試作機の発注を受けます。それから約1年半後の1939(昭和14)年1月27日に初飛行に成功すると、わずか2週間後の2月11日には、西海岸のカリフォルニア州から東海岸のニューヨーク州にむけて北米大陸横断を行い、途中で給油のために2回着陸したものの7時間2分で達成。最高速度や上昇速度などもアメリカ陸軍の要求を上回っていたため、さっそく量産が命じられ、同年9月にP-38戦闘機として制式化されました。

当初、P-38は翼の異常振動や片側エンジン停止時の横転のしやすさといった問題を抱えていたため、危険な戦闘機というイメージがアメリカ陸軍パイロットに蔓延していたそうですが、各種改良によってそれらも徐々に改善されます。

第2次世界大戦では、1942年半ば以降から実戦投入されるようになり、ヨーロッパ戦線太平洋戦線の両方で用いられました。しかし、高速性を追求して開発された戦闘機であったため、太平洋方面では、旋回性能に優れた日本軍戦闘機と相まみえた場合、格闘戦に持ち込まれると分が悪かったことから、緒戦では日本軍戦闘機に撃墜されることが多く、そこから冒頭の「ペロはち」と呼ばれたようです。

山本五十六を撃ち取った「ライトニング」

しかし、アメリカ軍日本軍戦闘機の特性を調査し対策を講じていくなかで、P-38も高速性を生かした一撃離脱戦法などをメインにするようになった結果、日本軍戦闘機を圧倒するようになっていきます。

一方、ヨーロッパ方面では、ドイツ軍イタリア軍戦闘機日本軍機ほど旋回性能(格闘性能)を重視していなかったことから当初から優位性を示し、中低高度の格闘戦に持ち込まれない限り強敵であったことから、ドイツ軍からは「双胴の悪魔」と呼ばれたのです。

またP-38は航続距離も長かったことから、太平洋と大西洋の両戦域で大型爆撃機の護衛機としても用いられました。

この足の長さを生かして大戦果を上げたのが、1943(昭和18)年4月18日山本五十六海軍大将乗機の撃墜です。当時、旧日本海軍連合艦隊司令長官であった山本大将が乗る一式陸上攻撃機をブーゲンビル島上空で待ち伏せし撃ち取ったもので、計画を立案したアメリカ海軍ニミッツ大将に対し、同じく海軍のハルゼー大将はアメリカ陸軍のP-38ならば航続距離ならびに滞空時間が長いから実施可能と回答しています。

ちなみに、大西洋単独無着陸横断に成功したことで有名なチャールズリンドバーグP-38を駆った有名人のひとりです。彼は民間人技術者として南太平洋の島々などを巡回し、P-38の航続距離の延ばし方などを現役パイロットに伝授しています。

そのなかで何度か日本軍機とも交戦しており、赤道至近のインドネシア・セラム島上空では、旧日本陸軍の九九式襲撃機1機の撃墜も記録しました。

なお2020年現在、航空自衛隊ロッキード・マーティン製ステルス戦闘機F-35ライトニングII」を調達していますが、同機の愛称になぜ「II」と付くかというと、P-38ライトニング」が存在するからです。逆にいうとP-38は、ロッキードの軍用機の礎を築いた機体として、アメリカにおいて偉大な存在なのかもしれません。

P-38「ライトニング」戦闘機が原型のF-5B偵察機(画像:イギリス帝国戦争博物館/IWM)。