TBSで毎月第1、第3日曜深夜放送の取材報道ドキュメンタリー「JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス」。8月16日(日)夜1:20からは、TBSテレビ制作の「非戦の軍人・堀悌吉の譲れない信念」を放送。海軍軍人の中でも、稀有な平和主義者だった堀悌吉(ていきち)の思想や行動を、残る史料からつぶさにたどる。

【写真を見る】堀悌吉は山本五十六からの28通の書簡を残していた

真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六と同期生として海軍兵学校に入校、彼と生涯の友であった軍人・堀悌吉。この二人の海軍人生のスタートは、1905年の日本海海戦だった。そこで堀は、ロシア兵が艦船とともに海に沈んでいく姿を目の当たりにし、ある戦争観を持つことになる。

「戦争善悪論」という論文で、「戦争は悪」と論じた堀は、軍縮の道に奔走。山本五十六とともに日独伊三国同盟に反対し、日米開戦に至らないよう発信していた。だが、対米強硬派の動きにより海軍を追われ、そこから日本は、戦争への道を突き進むことになる。

堀は、その経緯も含め、人生の記録を克明に残すとともに、山本五十六からの28通の書簡を保管し続けていた。書簡には、皮肉にも真珠湾攻撃を指揮することになった山本が堀にだけ明かした真意など胸の内がつづられていた。

戦後75年の夏。なぜ堀や山本の非戦の信念が封じられ、日本は開戦に至ったのか。先人の思いから現代の我々が何を教訓とすべきかを考える。

番組の制作はTBSテレビ。ディレクターは「JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス」のプロデューサーであり、映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(2017年)、「米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」を監督した佐古忠彦氏。今回の放送に当たり、佐古氏にインタビューした。

■ 佐古忠彦ディレクターインタビュー「記録を残しておくことの重要さを堀悌吉は教えてくれている」

――堀悌吉という人物を番組にしようと思われたきっかけを教えてください。

2013年8月にOBS大分放送が制作した「最後の特攻~彼らはなぜ飛び立ったのか~」という番組があります。玉音放送の後に、大分から飛び立った特攻隊のドキュメンタリーで、放送後さらに掘り下げようと、大分放送と一緒に番組(「茜雲の彼方へ~最後の特攻隊長の決断」2014年8月)を作りました。

その特攻隊の隊長が宇佐航空隊の教官だったこともあり、宇佐の方々に取材させていただいたのですが、その縁もあり宇佐で講演を行うことになりました。そこに堀悌吉を研究されている方がいらしていて、その方から堀悌吉の話を聞きました。

大分に「先哲史料館」という施設があり、「先哲叢書(せんてつそうしょ)」という大分の先人たちの業績や伝記を編さんして刊行しているシリーズがあります。その一冊に堀悌吉の評伝があり、その本で彼を詳しく知ることになりました。

山本五十六の「心友」と言われた人ですが、資料に触れ、山本という有名な人物の陰にいた人物の大きさを知りました。海軍兵学校で知り合った二人は同じ価値観を持ち、独身時代に二度も同居するなど本当に仲が良かった。

あの時代にあって、平和主義というか、非戦の思いをずっと持ち続けていた人がいた。けれど、それが封じられて、日本はまったくの逆方向、戦争に突っ込んでいってしまった。

山本五十六も、真珠湾攻撃を指揮しながら、実は開戦に反対していたという話は有名ですが、その背景を、堀悌吉を知ることでより深く知ることができた。堀の考え方を知れば知るほど、どんどん興味は広がっていきました。

――堀悌吉の人物像を、どんな風に伝えられるのでしょうか?

資料の一つ一つを読んでみると、軍人を目指し、そして軍人の現実にぶちあたって悩んでいたことが分かります。考え続けて、「結局戦争って何なんだ」という疑問の中で、戦争は「乱・狂・悪」であるとする「戦争善悪論」という論文を書き、問題視されます。他の論文などでも世界の平等文明とか、平和という言葉を使い、当時としては「異端」だったと思います。

堀悌吉は、軍人を目指して軍人になったけれども、現実に直面して軍人が嫌いになったのではないかと思うんですね。でも、彼は決して軍人を辞めようとするのではなく、軍人としてあり続ける中で、戦わないために何ができるか、ということを突き詰めて考えて、行動に移していたのだと思います。

軍縮、国際協調にどんどん踏み込んでいき、それを軍縮条約に反対する艦隊派から突かれました。上海事変の際には、堀は住民に被害が及ばないように考えながら、一時退避もし、民家を破壊することなく戦おうとした。それに対して堀を追い出そうとする一派は、戦闘準備を怠って逃げたという評価をし、行動そのものが排斥に利用されてしまった。そして、ある種の人事抗争に巻き込まれる形で海軍を追われました。

番組で「堀悌吉の運命が日本の運命となった」という表現があります。堀悌吉がそういう運命をたどらざるをえなかった、それによって日本がどういう運命をたどることになったのか、まさに直結している話だと感じさせられます。

堀悌吉本人は「悔恨の念」という言葉を使っています。自分が違う行動をしていたら日本の運命は変わっていたのではないかと、悔いを残している。自分の筋を通せば通すほど、自分の思いとは違う方向に行ってしまうところが見えていた。

そんな困難な状況でも、信念だけはずっと貫き通した彼の人間像を素晴らしいと思うと同時に、生き方の難しさも思い知らされます。

――人として学ぶべきところ、感銘を受けたところはありましたか?

堀悌吉は、いわば「記録魔」で、とても多くの資料を残しています。山本五十六との書簡もそうですし、学生時代の試験の点数や順位も含め、ありとあらゆる記録が残されています。

「歴史は永久に真実を伝えられないで終わることがあるね」という彼の発言に象徴されるように、後世の者が検証できることを考えていたのではないでしょうか。例えば「統帥権干犯」と反対派からの批判も上がったロンドン軍縮条約の調印に至る経緯を、何ら問題がないことを証明しようとしたかのようにしっかりと書き残しています。

また、主戦論だったのでは?とも言われたことのある山本五十六の真意も書いています。それは、保管されていた山本の手紙からも分かりますが、記録が軽んじられる現代の出来事に照らしても、記録を残しておくことの重要さを堀は教えてくれている気がします。

堀が残したものを見ると、あの時代にどういう空気がこの国を包み、非戦の信念が大きなものに飲み込まれていったのか、が手に取るように分かります

決して派手なことを好まない堀悌吉ですが、地道に真実の記録を残すことで、後世への伝言としているような気がしてなりません。

――今の日本が堀悌吉、その時代から学べることがあるでしょうか?

現在、世界が一国至上主義に向かい、利己主義に走る傾向があります。実はこの今と同じ状況が、戦争当時にもあったのではないでしょうか。

今に置き換えて考えることができる材料は、過去にはたくさんあり、今が過去を思わせる状況だからこそ、学べることがある。その意味で、もう一度参考とすべき、とても価値の高いものが堀悌吉の考え方や生き方、残したものにあるのではないかとは思います。

――番組制作、映像化に当たってのご苦労はありましたか?

当時のことを伝えようとしても、当人の残る映像も音声もありません。材料は、堀悌吉本人が残した資料と、関係者の証言です。テレビの世界では、資料の接写は退屈な映像になってしまうからと嫌う人が多いんですね。でも、私は資料そのものが人を表す物語の根本にもなると思います。残された貴重な資料をどう映像化して見せていくか、それが勝負だろうなと考えて作りました。

――「戦争」をテレビや映画といったメディアで伝えることが、佐古さんのライフワークになっているように思います。そうした決意がありますか?

自分の中にはありますね。メディアにはいくつかの役割がありますが、そのうちの一つが「二度と戦争をさせないこと」だと思います。過去に向き合うことがそこに繋がる道だと思いますので、私自身向き合い続けたいと思っています。

戦後75年、どんどん戦争証言者はいなくなっていきます。戦争体験者の皆さんがいらっしゃる限りは、できるだけ証言を聞いて集めて伝えていくことが、私たちのやるべき仕事です。時間との闘いの中で、これからは「物」が語っていくということになるとも思っています。

過去に向き合わなければ未来には進めません。戦争の時代に起きたことや、人々がどう関わっていたかを伝えていくことが大切です。私たちに課せられているのは、先人が何を残したか、そこから何を汲み取るべきかを伝えることです。そこから自分たちの在り様は自ずと見えてくるのではないか、そんな思いを持っています。

2001年の「アメリカ同時多発テロ事件」でアメリカを取材した際、テレビではニュースキャスターが好戦的な発言をし、街中に星条旗があふれ、メジャーリーグの試合でもUSAコールが突然起きるなど、国全体が一気に戦争に向かうムードになりました。世論は一気に戦争へと流れていくのだということを、感じた記憶があります。

私たちの国もそうならないと言えるのでしょうか? そうした流れをなんとか止められないかと頑張ったのが、堀悌吉や山本五十六だったのではないでしょうか。抗いようのない大きな流れの中で、個として何が出来るのか、問われるのだろうと思います。

――最後に、視聴者に伝えたいこと、感じてほしいことをお聞かせください。

番組は、8月16日、堀悌吉の誕生日の放送です。こんな偶然もあるのかなと思います。「8月ジャーナリズム」という言葉があり、8月になると戦争を扱う番組が多くなるが、その他の時期はやらないじゃないかと責められることがあります。それでも、私たちは時期を問わず、戦争を顧みる視点を持っているつもりです。

番組は、なぜこの国が破滅の道に向かっていったのか、その原点を考えさせられる一つのエピソードです。終戦の日のタイミングで、二度と同じ道を歩まないために、自分たちの在り様をもう一度考えるきっかけになればうれしく思います。(ザテレビジョン

ザ・フォーカス「非戦の軍人・堀悌吉の譲れない信念」(TBS)より