経営破綻したヴァージン アトランティック航空は、かつて日本にも就航していた航空会社でした。ほかにも、日本で日常的にその飛行機を見られた航空会社がいくつもありましたが、それぞれの顛末はどうなったのでしょう。

米航空界の王「パンナム」もかつて日本に

イギリスの航空会社、ヴァージン アトランティック航空が2020年8月始め、国際的な破産手続きを進めるため、米連邦破産法15条の適用をアメリカ・ニューヨーク州の連邦破産裁判所に申請しました。同社は1989(平成元)年から2015(平成27)年まで、成田~ロンドン線を就航させており、成田空港では日常的にその飛行機を見られた航空会社でした。

同様に、日本で見られなくなっていった航空会社は多数あります。かつてアメリカの航空会社の顔ともいえた、「パンナム」ことパンアメリカン航空が最たる例でしょう。同社は「ジャンボ」ことボーイング747型機のローンチカスタマーとしても知られています。

パンナムの日本路線への参入は1947(昭和22)年。羽田空港、そして成田空港でもその飛行機が多く見られました。1976(昭和51)年には、当時最新の、胴体の短い「ジャンボ」ことボーイング747SPを羽田~ニューヨーク線へ投入。日本ではテレビコマーシャルも打たれるなど、パンナムは日本人にとっても馴染み深い航空会社でした。

ただ、オイルショックや高コスト経営があだとなり、徐々にその路線網を縮小することに。1985(昭和60)年には成田空港の発着枠や、それに伴う権利、そして747SPを含む飛行機までユナイテッド航空に譲渡し、1991(平成3)年に経営破綻しました。

ちなみにユナイテッド航空も、その後アメリカのコンチネンタル航空と合併。2020年現在の塗装は旧コンチネンタル航空のものをベースに、ロゴが「UNITED」といったものになっています。

成田名物「赤い尾翼」の航空会社 なぜ見なくなった?

パンナムが就航していた昭和の時代から、成田空港関西空港、そして当時の名古屋空港などでも頻繁にみかけた航空会社といえば、「赤い尾翼」がトレードマークのアメリカの航空会社、ノースウエスト航空が挙げられるでしょう。

同社は古くから日本での関わりが深い航空会社でした。たとえば、JAL日本航空)のデビューフライトである1951(昭和26)年10月25日の羽田~伊丹~福岡線を担当した「もく星」号をはじめとする、5機のマーチン202型機などは、ノースウエスト航空から借りたものです。

とくに成田空港は、ノースウエスト航空にとってアジア太平洋地域の拠点空港とされており、整備場や機内食の大型工場まで持ち合わせるほどの注力ぶり。拠点としていた第1ターミナルに「赤い尾翼」がズラリと並ぶのは日常茶飯事でした。

ところがノースウエスト航空は、2008(平成10)年に同国のデルタ航空と合併。機体デザインや社名はデルタ航空に合わせることとなり、事実上吸収された形です。その後は「赤い尾翼」に代わりデルタ航空機の「紺色の尾翼」が見られましたが、羽田空港の発着枠増加に伴って、2020年3月28日成田空港を撤退。路線は羽田空港に移管されました。

ちなみに先述した、ノースウエスト航空が整備しデルタ航空に引き継がれた成田の機内食工場は、現在スーパー銭湯になっているとのことです。

ヴァージン アトランティック航空のエアバスA330型機(画像:ヴァージン アトランティック航空)。