新型コロナウイルス感染症ワクチン実用化が一気に進もうとしている。ダークホースというべきか、第一陣としてロシアのガマレヤ研究所が世界最速で承認を出して実用化にこぎ着けた。欧米でも、英アストラゼネカや米ファイザー、モデルナ、中国のカンシノなどがワクチンの臨床試験を最終段階まで進めている。

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 ワクチン開発はこの第一陣で終わりではない。世界保健機関(WHO)のまとめでは、8月13日の段階で、人を対象とした臨床試験に進んでいるワクチン候補が29ある。さらにその前段階のワクチン候補に至っては138もある。中国カンシノグループは、既にあるワクチン候補で人を対象とした臨床試験を始めているが、別のタイプのワクチン開発でも人を対象とした臨床試験の手前まで来ている。ワクチンが早晩実用化されたとしても、新型ワクチンの開発はさらに続くとみていいだろう。

 ワクチン開発はバイオテクノロジーの競争という面が主ではあるが、一方で、情報科学(インフォマティクス)を適用した開発の重要性も増している。最新研究を踏まえて情報戦を考察する。

エピトープとは免疫細胞が攻撃する目印

 この8月に、ファイザーの傘下で新型コロナワクチンの開発を進めているBioNTechの研究グループが、ウイルスの持っている情報をコンピューターで分析し、免疫反応を引き出すための最適なワクチン設計に関する論文を発表した。コンピューター上で計算された数百のワクチン候補から、実際に生物学的な実験につなげて有望なワクチン候補を同定するという研究だ。

 ワクチンの性能を決める鍵を握るのは、この研究でも注目している「エピトープ」と呼ばれるウイルスの持っている部品の構成だ。アミノ酸がつながったものは、短いものはペプチド、長いものはタンパク質と呼ばれている。これは遺伝情報に基づいて作られており、ウイルスもこうしたタンパク質を持っている。このタンパク質の配列の一部分、アミノ酸9つ分くらいのものがエピトープで、免疫反応はこのエピトープをめがけて起きている。

 言い換えると、抗体やキラーT細胞が反応している「抗原」は、このエピトープを目印に病原体を攻撃している。これを応用したのがワクチンだ。病原体の持つエピトープを人工的に体内に送り込むことで、そのエピトープを攻撃する免疫反応を体に準備させる。うまくいけば、その免疫反応によって病原体は狙い撃ちされる。ただ、うまくエピトープを設計するのが難しく、世界のワクチン開発では、エピトープの最適化が重要になっている。

 エピトープと免疫反応の関係はバーコードとバーコードリーダーにたとえると分かりやすいかもしれない。

 免疫反応は「キラーT細胞」などの免疫細胞がウイルスに感染した細胞を探知し、攻撃する一連の反応のことだ。その際、免疫細胞はバーコードリーダーのように、細胞一つひとつのエピトープ(バーコード)を読み取り、感染の有無を確認している。つまり、新型コロナのエピトープが的確に設計されていればいるほど、免疫反応が強くなり、感染防御の効率が高まる。

 新型コロナウイルスワクチン開発で何が行われているかといえば、このバーコードを選別し、選び抜いたバーコードの情報を活用してワクチンを設計することだ。ただ、このバーコードの選び方がなぜ難しいかということも明らかになってきている。

想像以上に困難なエピトープ選定

 このエピトープの特定においては、今年6月にスペイン、米国、英国などの研究グループがワクチン開発におけるエピトープ特定の課題を総説で伝えている。

 まずは、どのエピトープをどう選ぶかに課題がある。新型コロナウイルスは、遺伝物質として2万9900の文字の羅列を保有している。この配列に基づいてエピトープにつながるタンパク質を作り出している。1990年代にこうしたエピトープの仕組みが明らかになり、先にも触れたが、当初は9つのアミノ酸の配列がエピトープになるとされてきた。ただ、最近では9よりも長いもの、短いものとさまざまな長さでエピトープとして機能すると分かってきたと、研究グループは説明する。

 結局、エピトープの長さがさまざまに機能するため、9つの配列のアミノ酸を選んでも十分な効果が出ない可能性がある。例えば、12のアミノ酸配列をバーコードにするのが最適なのに、9つのエピトープでは最適なワクチンにはならない。

 さらなる課題として、エピトープをバーコードリーダーに読み込ませる必要がある。そもそもバーコードを人体の方が認識しないというケースがあるからだ。エピトープを組み込む側がそのエピトープに対応していないと、うまく免疫反応を引き出せない。それゆえに、免疫反応を発動させる防衛システムに合った、ベストなエピトープを選ばなければならない。

 そうして最終的にエピトープに従い、ウイルスを敵と認識して攻撃を加える免疫細胞にバトンをつなぐ必要がある。うまくエピトープが組み込まれれば、免疫細胞はそのバーコードを見分けるバーコードリーダーを備えることができる。これまで筆者が伝えてきたように、抗体依存性感染増強のようなワクチンによってかえって免疫が暴走することも防がなければならない。ここにもバーコードが関係している可能性がある。このあたりのT細胞の反応を引き出す仕組みについては、まだ十分に検討されていないとスペインの研究グループは指摘している。

熱を帯びる「イムノインフォマティクス」

 新型コロナウイルスに対抗するためエピトープを最適化する研究が世界で進むにつれて、がんの免疫領域などで進化していた「イムノインフォマティクス」と呼ばれる専門分野の研究者が活躍している。

 冒頭で述べたファイザーの研究グループが論文化しているように、ウイルスの持つタンパク質データのどの部分をエピトープにするのか、それらの中で人体との相性がよいのはどれなのかといったことを決めるところで高速のコンピューター処理を活用するわけだ。むしろ人手では不可能といっていいだろう。エピトープと人体との相性は人種差も関係しており、幅広い人種に対応するものを選び出す際も大量の計算で割り出す。こうした免疫学(イムノロジー)と情報科学(インフォマティクス)を融合させるところからイムノインフォマティクスと呼ばれるようになっている。

 大阪大学発ベンチャーのアンジェスを主とする研究グループが進めるワクチン開発においても、まさにこうしたイムノインフォマティクスの技術開発が進められている。例えば、フューチャーとファンペップというIT企業が参加し、最適なエピトープの検索に当たっている。

 ファンペップは、抗体誘導ペプチドを効率的に開発する人工知能(AI)の共同研究に加えて、機械学習や深層学習の技術を活用した抗原配列探索システムの開発を進めていると説明している。人工知能によって、最適なバーコードを見極めることになる。

 日本では、NECのグループも最適なエピトープの研究に着手したことを発表している。仏企業と連携し、AIを活用して最適なものを選び出す。ワクチン開発は文字通り情報戦に突入しているといっても言いすぎではない。

参考文献

Draft landscape of COVID-19 candidate vaccines(WHO)

Poran A, Harjanto D, Malloy M, et al. Sequence-based prediction of SARS-CoV-2 vaccine targets using a mass spectrometry-based bioinformatics predictor identifies immunogenic T cell epitopes. Genome Med. 2020;12(1):70. Published 2020 Aug 13. doi:10.1186/s13073-020-00767-w

Silva-Arrieta S, Goulder PJR, Brander C (2020) In silico veritas? Potential limitations for SARS-CoV-2 vaccine development based on T-cell epitope prediction. PLoS Pathog 16(6): e1008607.

アンジェス社と大阪大学と共同で進めている新型コロナウイルス(COVID-19)向けペプチド技術を用いた次世代ワクチン共同開発にフューチャー社が参画

Artificial intelligence predicts the immunogenic landscape of SARS-CoV-2: toward universal blueprints for vaccine designs
doi:

「新型コロナウイルス」のワクチン開発に乗り出したNECの新たな挑戦(NEC)

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