西暦1940年――東京では五輪と万博がダブルで予定されていた。しかし、日中戦争などの影響で見送りになった。大河ドラマいだてん」などでも紹介され、今ではよく知られている話だ。

 この1940年という年は、「紀元2600年」でもあった。実は話が逆で、「紀元2600年」を盛り上げるイベントが、五輪や万博だったのかもしれない。本書『皇紀・万博・オリンピック 皇室ブランドと経済発展』(吉川弘文館)はそのあたりの事情を、幕末明治までさかのぼりながら解き明かす。

「紀元2600年」で多数の関連奉祝行事

 著者の古川隆久さんは1962年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在、日本大学理学部教授。『昭和天皇』(中公新書、2011年サントリー学芸賞)など天皇や現代史について多数の著作がある。BOOKウォッチでも、『建国神話の社会史――史実と虚偽の境界』 (中公選書)を紹介済みだ。

 本書は古川さんの最新刊かと思ったら、そうではなかった。吉川弘文館の「読みなおす日本史シリーズの一冊。原著は1998年中央公論社から刊行されている。古川さんがまだ30代半ばだったころだ。

 今回のあとがきによれば、原著は刊行後に研究者の間で注目され、参照、引用が今も続いているという。古川さんとしては2冊目の著書だったが、思い入れが多い一冊となっているようだ。

 五輪・万博は見送られたものの、「紀元2600年」では多数の関連奉祝行事があった。儀式・式典・催しなどの参加者は、政府の公式記録によれば、のべ5000万人に達したという。本書では様々なイベントの内容や参加者数が克明に掲載されている。

暗黒史観や賛美史観ではとらえきれない

 こうした国民の「熱狂」について、戦後の歴史学では、天皇の名のもとに国民が盲目的に戦争に動員されていく姿の一コマとしてとらえられてきた。しかし、古川さんは、「一方的な暗黒史観や賛美史観ではとらえきれない、近現代史の豊かさ」に気づき、光を当てることになったという。本書は以下の構成。

第1章 皇紀法制化(一八七二年)と国家イベント 第2章 幻に終わった明治の大博覧会計画 第3章 「紀元二六〇〇年」(一九四〇)に向けて 第4章 日中戦争のなかで 第5章 「紀元は二六〇〇年」 第6章 戦後への遺産・影響

 まず「皇紀」から説き始めている。神話にもとづき、初代の天皇とされる神武天皇の即位が西暦の紀元前660年に行われたとし、この年を日本の建国元年とする紀年法だ。世界史における日本の卓越性を、天皇をシンボルにして表現したものだという。

 正式に定められたのは明治維新後の明治5年(1872年)のことだ。政府が「神武天皇御即位をもって紀元と定められ候」という太政官布告を出している。当時の建議に概略以下のようなことが記されていた。

 西欧諸国はイエスリストの生年をもとに西暦を定めている。1800幾年という。イスラム諸国はイスラム紀元で1200幾年としている。皇国においても明治維新を契機に皇紀の導入をするべきだ・・・。

 すでに幕末の「王政復古」の大号令では、「神武創業の始にもとづき」とうたわれていた。明治政府は、できるだけ早く不平等条約を改正し、日本の国家としての独自性を内外に示す必要に迫られていた。そうした背景から、神武を起点とする「皇紀」という考え方は、「当時としては合理的主張」だった、と古川さんは見る。

大博覧会は挫折の連続

 まず、皇紀のキリのいい紀元2550年(1890年)に向けて記念イベントが計画された。大きなものとして「亜細亜大博覧会」構想があった。しかし、大蔵省が財政面で難色を示し、机上プランに終わる。結局、実現したのは宮中における舞楽の上演と、金鵄勲章の制定のみにとどまった。

 日清、日露戦争に勝利し、国力をアップしていく中で、再び大規模博覧会構想が動き出す。日露戦争では巨額の賠償金が取れると踏んでいた。ところが、実際には見込み違いに終わる。そして、大博覧会構想はまたもや頓挫するのだが、こうした動きが次の大きな山場、紀元2600年に向けて再び盛り上がる。

 本書を読んで納得するのは、「皇紀」というものを、明治期の日本が必要としていたということ。体躯(国力)で劣る日本人が、自分を立派に見せ、先進諸外国と対等に付き合うための方便であり、歴史に履かせたシークレットブーツのようなものだったような気がする。政府も国民も愛用し、自尊心のアップにつながった。

 他国の歴史を鑑みても、国民にプライドを付与するために似たような操作はしばしば行われている。ヒトラーなども、ずいぶんと民族の優秀性を宣伝した。1936年のベルリン五輪はその象徴的イベントだった。

 「皇紀」は戦前、「大東亜共栄圏」の各国でもカレンダー表記が強制されたという。BOOKウォッチで紹介した『論点別 昭和史 戦争への道』 (講談社現代新書)に出ていた。大東亜共栄圏の盟主としての日本の卓越ぶりを、わかりやすく示すシンボル的なツールになっていたということだろう。

 今や「皇紀」はほとんど死語になり、常用された時代があったということさえ忘れられている。しかし、本書を読むと、明治、大正、そして昭和の戦前は、いわば「皇紀」の時代でもあり、「皇紀」とともにあったことが理解できる。

 戦後の考古学的な研究では、神武天皇が在位したといわれる時期は、縄文時代後期か、弥生時代前期になるとされている。もちろん、そのころ「古代国家」はまだ成立していない。「日本神話」の記述とは合わない。そういえば歴史学者でもあった三笠宮崇仁さまは、「紀元節復活」の動きに反対の立場だったことを思い出した。

 BOOKウォッチでは関連で、三笠宮さまの『古代オリエント史と私』(学生社)のほか、『新版 古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫)、『ここが変わる! 日本の考古学』(吉川弘文館)、『孫基禎――帝国日本の朝鮮人メダリスト』(中公新書)、『近代日本・朝鮮とスポーツ――支配と抵抗、そして協力へ』(塙書房)、『ヒトラードラッグ――第三帝国における薬物依存』(白水社)、1940年の万博予定地などを取り上げた『ぐるっと湾岸 再発見』(花伝社)なども紹介している。


BOOKウォッチ編集部
「皇紀」とは、日本人にとって何だったのか