今年6月、政府は陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(以下「陸上イージス」)の導入断念を決定した。

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 北朝鮮は「核兵器の小型化・弾頭化を実現しているとみられ、わが国全域を射程に収める弾道ミサイルを数百発保有・実戦配備」(防衛白書2020年)しており、「わが国の安全に対する重大かつ差し迫った脅威となっている」(同白書)状況は何ら変わらない。

 従って、「平素からわが国を常時・持続的に防護できるよう弾道ミサイル防衛能力の抜本的な向上を図る」(同白書)必要性も、我が国の安全保障政策の主要命題として引き続き残っている。

 自民党検討チームは8月4日陸上イージス導入断念を受け、今後のミサイル防衛のあり方として「相手領域内でも阻止する能力を、憲法や国際法の範囲内で保有」する必要性を提言として安倍晋三首相に提出した。

 提言では、これまで「敵基地攻撃能力」と言っていたものを、「ミサイル阻止力」と言い換えている。

「ミサイル阻止力」と言おうが「敵基地攻撃能力」と言おうが、これだけでは「常時・持続的な防護」を目指す陸上イージスの代替にはなり得ないことは、拙稿「廉価版イージス・アショアを配備せよ」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61539)で指摘したのでここでは省略する。

 筆者は「敵基地攻撃能力」が不要と主張しているのではない。

 従来のミサイル防衛では対処できない新型ミサイルが出現してきた現在、常時・持続的な対処態勢がとれる陸上イージス的な機能と共に、迎撃では対処できない新型ミサイルに対応するための「敵基地攻撃能力」の両方の機能が必要だと主張してきた。

 提言を受けた安倍首相は「提言を受け止め、新しい方向性を打ち出し、速やかに実行していく」と述べた。

 政府は国家安全保障会議(NSC)で検討し、9月中にも一定の方向性を示すとみられている。

「相手領域内で阻止」と言った途端、メディアを含め、条件反射的にネガティブな反応が生じた。だが、それには誤解や思い込み、ためにする議論、あるいは専門的知識の欠如からくる的外れな批判が多い。

 曰く「専守防衛の逸脱」「違法な先制攻撃」「整備には天文学的経費が必要」「まずは外交努力」などである。これらについて一つひとつ誤解を解く必要がある。

 まずは「専守防衛」との整合性である。筆者は「専守防衛」は賢明な政策とは思わないが、その是非についてはここでは触れない。

 そもそも「専守防衛」という言葉は、日本だけに通用する政治的な造語であり、国際的には通用しない。国際的には「戦略的守勢」という言葉が正しい。

 簡単に言えば、こちらが先に手を出すことはなく、攻撃されてから立ち上がる。その時の対応は自衛のための必要最小限に限るというものである。防衛白書(2020年)は以下の通り説明する。

「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」

 これには自衛権を行使する領域は制限されていない。

 今回、提言の「相手領域内でも阻止」の言葉に無条件に反応し、「相手領域への攻撃は、専守防衛から逸脱」との批判は誤りである。

 自衛のため「相手の領域内でしかミサイル阻止」ができない場合、それは必要最小限の自衛措置であり、専守防衛の逸脱ではない。

 仮に北朝鮮が従来のミサイル防衛では対応できない新型ミサイル1発を日本に発射したとしよう。

 それが国内に着弾後、2発目のミサイル発射準備をしている情報が入った場合、2発目のミサイルも日本向けに発射されると考えるのが合理的である。

 このミサイルによる被害を避けるため、唯一の手段である発射前に地上でミサイルを破壊する行為は、まさに必要最小限の自衛措置であり専守防衛には反しない。

「専守防衛」は、当然、兵器技術の進歩によって武力行使の態様は変化し、活動範囲も変わる。変わらないのは「武力攻撃を受けたときにはじめて」自衛権を行使するという点である。

「専守防衛とは、攻めて来るものは叩くが、こちらが攻め込まないことだ」との批判は、現代のミサイル戦の実相を理解していない感情的な発想に過ぎず、いわばためにする批判である。

「専守防衛」は「武力攻撃を受けた」後に立ち上がるため、わが国民に被害が出て初めて、自衛権行使が可能になる。

「専守防衛」は一見、美しい言葉のように思えるが、実際は棄民とまでは言わないまでも、自国民に被害が出ることを前提とした非人道的で残酷な政治姿勢であることを国民は理解しておく必要がある。

 次に「違法な先制攻撃」ではないかとの批判である。

 某新聞は「敵基地攻撃の問題は、違法な先制攻撃との区別が明確でないことだ」との記事を載せていた。

 そもそも「先制攻撃」は国際法上、必ずしも違法ではない。この新聞は「予防攻撃」と「先制攻撃」を混同していると思われるが、ここでは触れない。

 悩ましいのは、発射準備中の1発目のミサイルが日本向けかどうか、またそれがミサイル防衛では対応できない新型ミサイルかどうか判断できるのかという問題である。

 これが明確に判断できる場合、1発目であっても発射前に地上で破壊するのは国際法的にも合法であり、「専守防衛」にも抵触しない。

 だが不明確な場合に敵基地攻撃を実施すると、国際法上不法な「予防攻撃」となり、「専守防衛」からも逸脱することになる。

 政府は「『東京を灰じんに帰す』と宣言し、ミサイルを屹立させ、燃料の注入を始めた」時点で敵基地攻撃が可能と説明している(石破茂防衛庁長官2003年)。

 ただ、机上の空論とまで言わないが、こうやって明確に分かる場面は想定しがたいのが現実だろう。

 日本の場合、敵基地攻撃は国内にミサイル被害が出た後でなければ、おそらく実施できないだろう。

 だが2発目以降の被害局限のために実施する敵基地攻撃は先制攻撃でもないため、その能力は独立国としてしっかり保有しておく必要がある。

 次に敵基地攻撃能力の整備には「天文学的経費が必要」との批判についてはどうか。

 この批判は、これまで敵基地攻撃の目標は何かを曖昧にしたまま同床異夢で議論してきたことに由来する。ヒステリックな反対もここに原因があると思われる。

 白紙的に攻撃目標を大別すると次の3種類に区分できる。

①政治、経済の中枢、大都市等

②司令部、通信施設、ミサイル貯蔵庫、発射関連施設などの軍事施設

③発射準備中の弾道ミサイル本体

 最初の①について、真顔で議論の俎上に載せ、ヒステリックに反対する人がいるが、これはあり得ず虚空に吠えているに等しい。

 これは核を使用して攻撃する戦略攻撃であり、通常兵器では意味がない。我が国に対するミサイル攻撃を抑止する手段として適切とはいえず、敵基地攻撃能力の目標としては論外である。

 次の②については、抑止効果はある反面、能力整備には莫大な経費と時間がかかるのは事実である。司令部や通信施設、貯蔵庫など軍事施設は各地に散在しており、その数も多い。

 攻撃にあたっては同時制圧が必要であり、そのために攻撃目標把握、防空網制圧、攻撃効果判定等の能力が必要となる。これらすべてを航空自衛隊が単独で実施するには、莫大な経費と時間がかかる。

 だからといってすべて米軍任せというのも独立国として許されない。また日米同盟の存続上にも問題がある。

 この能力はミサイル防衛だけでなく、国家の抑止力として必要な機能であり、日米共同作戦を念頭に、日本がその一部を担当できるよう逐次整備していく必要がある。

 今回の敵基地攻撃の目標は③である。

 これで頭揃いをしたうえで議論しなければ議論は発散するだけである。つまり1発目のミサイルが撃たれた後、2発目以降の被害を防止するために、発射準備中のミサイルを地上で破壊すること。これに必要な能力を整備することだ。

 この能力であれば「天文学的経費」がかかることはない。

 現在、ミサイル発射には移動式発射装置が使用されるため、この位置をリアルタイムで特定する能力と長射程ミサイルが欠かせない。

 このためには、とりあえずは島嶼防衛用に導入した長射程ミサイルの活用が現実的であろう。

 リアルタイム情報の収集能力については、当面は米軍に依存するとしても、中長期的には独自にリアルタイム情報が得られるよう努力していくことが求められる。

 次に「まずは外交努力である」との指摘である。

 筆者はこれには同意する。しかしながら、「外交努力」を口実に敵基地攻撃能力の整備を棚上げすることがあってはならない。

「力のない外交は無力」である。外交努力と並行して敵基地攻撃能力といった抑止力は整備しておかなければならない。抑止力が外交を支えることも事実なのだ。

「外交努力」が先か、抑止力整備が先かという問題の捉え方は誤りである。

 防衛力の整備は10年単位で考えねばならない。他方、敵国の意図は一夜にして変わり得る。

 どちらが先かといった優先順位ではなく、軍事と外交は安全保障の両輪であり、同時並行的に実施していかねばならない。

 これまで「座して死を待つ」論、つまり「誘導弾等の攻撃を受けて、これを防御するのに他に手段がないとき、独立国として自衛権を持つ以上、座して死を待つべしというのが憲法の趣旨ではない」との鳩山一郎内閣が示した政府見解(1956年)は言及されることはあっても、具体策が論じられることはなかった。

 今回、陸上イージス導入中止を契機として、具体的に論じられるようになったのは、とても良いことである。

 提言通り敵基地攻撃能力を保有することになると、鳩山一郎内閣以降、観念論でしかとらえてこなかった解釈が具体化されることになる。これまでとってきた安全保障の基本方針の転換といえよう。

 わが国はこれまで、安全保障方針の転換時には、ためにする議論、あるいは扇動的なスローガン、レッテル貼りなど、とても成熟した議論が行われたとは言えなかった。

 ことは自国の防衛なのである。正しい情報を元に、冷静かつ生産的で丁寧な議論をしてもらいたいものだ。

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