男の名は岩松翔太で、女の名は山下タカラ。共に心に傷を負い、未来を諦めかけている若き二人はある事件を契機に、無謀な逃避行へと踏み出す──村上虹郎と芋生悠がダブル主演を果たしたこの『ソワレ』は、外山文治監督の長篇第2作。二人の先の見えない道行きの果ての希望、一縷の光を模索していくロードムービーである。脚本も自ら手がけた外山監督が、作品の数々のキーポイントを明かしてくれた。

【写真を見る】『ソワレ』とはフランス語で「夜会」「夜公演」を意味する

■「人格形成が半ばの未熟な若者たちの物語です」

「端的に言えば、人格形成が半ばの未熟な若者たちの物語です。人間って追い詰められると間違いをおかしてしまうものだし、とくに若いとそういったことって誰しもあると思う。翔太とタカラの二人は不意に窮地に立たされ、“逃げる”という誤った選択をするのですが、でもそうせざるを得なかった背景があったんですね。つまり二人ともずーっと、自己肯定できないような人生を歩んで来ていて、現状からどこかへと脱したかった。それが逃避行の中で、翔太もタカラもお互いを通じて自分の新たな価値が見えてくる。その軌跡を描いた映画なんです」

役者を目指して上京した翔太だが、鳴かず飛ばずの毎日を送り、振り込め詐欺の片棒まで担いでしまう始末。やがて所属する劇団と共に、郷里の海辺の町の高齢者施設で演劇を教えることになる。そこで働いていたのがタカラだ。本作はアバンタイトル、それも映画が始まって30分ほど経ってからタイトルが入る。

「そうしたのはタイトルを出して以降、残りの時間はほとんど、翔太とタカラ、二人っきりに近い映画になるんです。逆に前半は大勢の中に埋没していて、とても主人公には見えない。逃避行をキッカケに、タイトルと合わせて二人にスポットが当たるような構成にしたんですね。それとこれまで主に短篇をつくってきたのですが、タイトル前の序盤はドキュメンタリー性を大切にした『此の岸のこと』(10)の手法の応用で、タイトル後は『わさび(17)や『春なれや』(17)の時のようにきちっとカット割を積み重ねていこう、と。30代最後の作品だったので自分の持っているものを全て投入し、集大成を目指した意気込みがこの構成に繋がった気がします」

■「自意識と葛藤する翔太と強さを内包したタカラ

『此の岸のこと』は蜷川幸雄が創設した高齢者演劇集団“さいたまゴールド・シアター”のメンバーを起用、老老介護の厳しい現実と夫婦愛を見つめ、『わさび』は当時18歳の芳根京子を主役にみずみずしさを引き出した。『春なれや』は長編映画デビュー作『燦燦 -さんさん -』(13)に続いて大女優・吉行和子とタッグを組み、共演は村上虹郎が務めている。本数は少ないが、濃厚なキャリアの持ち主なのだ。そんな外山監督であるから、逃避行がラブストーリーに転じるようなベタな展開にはしない。

「翔太とタカラは、抱えているものが全然違うんですよね。翔太はうまく社会の中で生きていくことができず、また“何者でもない自分”と向き合うこともしないで、才能があるフリをしている。そんな自意識との葛藤が彼の全てであったりする。この葛藤はこじらせると視野狭窄に陥りやすく、わりと自分もそうだったのでよく分かります(笑)。タカラは父親に虐待された過去があり、心に深い傷を負っている。ただし、単に可哀想なキャラクターにはしたくなかった。被害を受け、引きずってはいるけれどももう一度、他者を信じて生きようとする強さを内包したヒロインなんです。ラブストーリーではありませんが、タカラが眠っている間に翔太がマニキュアを塗ってあげる場面があって、そこは二人の交流と再出発を象徴するようなシークエンスになったと思います」

翔太役のキャスティング、村上虹郎の登用は最初から決めていたが、タカラ役はオーディションで。芋生悠は100人以上のエントリーの中から選ばれた。

「虹郎くんは改めて言うまでもなく、魅力的なパフォーマー、表現者として圧倒的に優れています。しかも今回、先頭に立ってこの座組みを引っ張ってくれました。芋生さんは近年、インディペンデント映画を支えてきた方ですが、どこか影のある空気感に惹かれますね。喩えると山口百恵さんみたいな。劇中、彼女は地べたを何度も這いつくばるんですよ。負のスパイラルから抜けだすために。人間の業(ごう)に塗れ、それを背負える、強靱な魂と肉体の持ち主です」

■「豊原功補さん、小泉今日子さんと闘いながら脚本をつくっていった」

すでに話題となっているが、この映画は外山監督と俳優の豊原功補、小泉今日子らと立ち上げた映画製作会社「新世界合同会社」の旗揚げ作品。豊原と小泉は脚本を再三ブラッシュアップしていき、キャスティングにも関わった。

「豊原さんは舞台の演出家でもあって、その目線はとても高いところにあるんですね。で、小泉さんはこれまで相米慎二さんや黒沢清さんなど錚々たる監督と渡り合ってきた方。脚本に甘い箇所があると、すぐに見抜かれるんです。課題となったのはシーンの強度。ほとんど3人で闘いながらつくっていきました。嬉しかったのは“令話の時代”にあって、作家性を強く押し出していたかつての日本アート・シアター・ギルド(ATG)のような志向があったこと。自分でもATGテイストを少し感じながらやっていましたね。だからか、芋生さんの佇まいが『青春の殺人者』(76/監督:長谷川和彦)のヒロイン、原田美枝子さんを彷彿させたりするんです。ATGの攻めの姿勢は、今の日本映画が失ってしまったものですけど、『やりたいことを貫け!』と背中を押してくれたのは、間違いなくプロデューサーのお二人でしたね」

■「『温かな、優しい涙を流しましょう』という映画では失礼にあたる」

タイトルの『ソワレ』とはフランス語で「陽が暮れた後の時間」「夜会」、または劇場用語で「夜公演」を意味する。外山監督はさらにそこに、暗闇の中でもがきながら“夜明けを待つ人々”のイメージを重ね、こちらの斜め上をいくラストを用意する。

「観てくださるお客様の人生だって重いものを抱えている。『温かな、優しい涙を流しましょう』という映画では失礼にあたるのではないかと。夜明けが訪れる瞬間って、暗闇の世界に微かな光が差し込んできて始まっていくじゃないですか。重要なのはこの“暗闇”をしっかりと凝視すること。そうでないと、夜明けの“希望”の光も映し出せないと僕は思うんです」

取材・文/轟夕起夫

『ソワレ』は『燦燦 -さんさん -』(13)に続く外山文治監督の長編第2作