介護業界の風雲児宮崎県にいる。社会福祉法人「スマイリング・パーク」の理事長、山田一久だ。都城市を拠点に、特別養護老人ホーム「ほほえみの園」など事業所数は25にも及ぶ。売り上げは開業当初から6倍、職員数は8倍に膨れ上がった。

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都城市のいろんな地域から老人ホームをつくってくれという要望が殺到していて、需要に追い付かない状況なのです」

 私は急成長の秘密を探るため、現地を訪れた。山田と会ったのは、「ほほえみの園」だ。都城市から車で20分ぐらいのところにある。田んぼが広がる風景の中に、平屋建ての建物が建つ。私はそれを目にした瞬間、なぜか違和感を覚えた。よくよく見ると、柵や門がない。中に入ると、受付、さらには面会簿もない。見るからに、自由に出入りできる。

「かつては柵で取り囲まれていましたが、取っ払いました。そして、面会簿を廃止し、自由に出入りできるようにしました。とにかくコンビニのように入りやすい雰囲気、環境作りを心がけています」

わずか築11年で全面改修を断行したワケ

 ユニークなのは、玄関だ。8カ所もある。それぞれの玄関の横に駐車場を設けた。玄関の傍に入居者の部屋があり、車で乗り付けた入居者の家族はすぐに部屋にまで足を運べる。玄関は1カ所だったが、改修した。また、4人部屋を個室にした。施設全体を、コンビニ感覚で24時間面会可能な設計にしたのが特徴だ。

「建物を全面改修したのは、築11年の段階でした。『まだ古くなく、もったいない』という声もありましたが、入居者やその家族の視点を大事にしました」

 山田の狙いは当たった。施設には、10床のショートステイ含めて60床あるが、そこに面会者と来場者合わせて、年間2万人が訪れる。全国でもトップクラスの多さだ。

 玄関が8カ所あり、どこからでも入ることができるが、基本的に、面会者が利用するのは、自分の家族が入居している区画の玄関だ。1丁目、2丁目、3丁目と区画を区切ることで、一般の「家」と同じように、部外者が入りにくい雰囲気を作り出す。

「コンビニに行った際に、いちいちチェックさせられるとしたら、お客さんはそのコンビニには行かなくなると思う。来訪者に負担をかけないことが最優先」。それが山田の信念となっている。

 この施設の中でもう一つ、目を引くのは、昭和の街並みを残した商店街だ。木製の電柱が立ち、酒屋、八百屋、駄菓子屋、ソフトクリーム店、床屋などの看板を掲げ、一つの町のようになっている。もともと大食堂だった室内空間だ。それをゆったり利用して、店舗が軒を並べる。一軒一軒が職員手作り。入居者だけでなく、近くの住民や、隣接するデイサービスの利用者も、買い物を楽しめる。

 店舗はそれぞれターゲットを絞る。酒屋があるのは、入居者が家族をお酒で歓待するためだ。自分が飲まなくても、家族や知り合いに「飲んでいけ」と勧める高齢者は少なくない。面会者に対する「おもてなし」と言えよう。また、駄菓子屋やソフトクリーム店は、入居者のいわば、ひ孫ら向けだ。家族で長時間、施設を訪問しても、飽きないようにする仕掛けが施されている。

「地方再生の神」を敬愛

 山田によれば、躍進のきっかけは、前回このコーナーで、ご紹介しただ。

<やねだん>は、鹿児島県鹿屋市にある人口300人の柳谷集落のことを指す。そこは、限界集落を克服した「奇跡の村」として知られている。このの公民館長こそが、豊重哲郎だ。

(参考記事:住民300人の集落が甦る、公民館長が起こした奇跡
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59137

 山田は豊重を尊敬する。

「私、そして職員がで学び、人づくりの土台ができた。だからこそ、ICTを積極的に活用できた。職員はで学び、指示がなくても、自分で考えて行動するようになりました。豊重塾長には本当にお世話になりました」

 豊重は公民館長の傍らで、故郷創世塾の塾長を務める。全国の公務員や社会福祉法人の職員らを対象にした人材育成塾である。山田も塾生の一人。2011年5月、3泊4日の合宿に参加して以来の付き合いとなっている。それは、ちょうど、老人ホームの責任者になる直前だった。今後いかに運営するか。悩んでいた。

東日本大震災後でした。今後いかに施設を運営していくか。地域とどう向き合っていくか。悩んでいた時に塾に入りました。最初は<やねだん>の真似事をやりました。反目者を味方につける。地域住民の気持ちに寄り添う。豊重塾長に教えていただいたことを、実践しました」

 まずは、「町内会に入ること」を考えた。地域に溶け込むためだ。

 ところが想定外の事態が起きる。入会は断られたのだ。「住民を利用しようとしているのだろう」というだ。

 町内会の総会では「1年間様子見をする」というのが結論だった。

慌てず、急がず

 そこで、山田は汗を流した。ごみ拾い、トイレ掃除、公園の草刈りなどで地道な作業に取り組んだ。豊重流を踏襲し、「慌てず、急がず」を実践した。そして1年後、ついに町内会への入会は認められた。

 それから地域づくりに積極的にかかわるようになった。施設内で行っていた祭りを取りやめ、地域の祭りに参加した。施設の入居者、その家族、さらには職員も、地域の祭りに飛び込んだ。地域の祭りは参加者が増えると、出店が増える。そうすると、地域の子どもの参加が見込まれる。さらに子どもが参加すると、その親たちも顔を出す。プラスの経済循環を実現したのだ。

 さらに大きな“変革”を起こす。施設の入居者などが消費する年間6トンのコメについて、地元調達に切り替えた。

「以前は大手チェーン店などから購入していたが、完全に地域からの購入に切り替えました。その結果、地域の農家の人たちがやりがいをもってもらえる状態になった」

 スマイリング・パークの職員は続々、の故郷創世塾に入って、地域づくりを勉強している。これまでに27人参加した。山田は強制しない。職員はあくまで自発的に、自腹で塾生となる。

「命じられて塾に通っても身につかない」。それが山田の考えだ。

 山田はきめ細かく職員に声を掛け、職員の悩みを聞く。職員も「理事長がよく声を掛けてくれて仕事が楽しい」と笑顔で語る。

「<やねだん>で学んだからこそ、イメージしやすかった。補助金に頼らず、仕事を生み出す。地域の人たちに役割が生まれるようにする。こうした豊重塾長の教えも実践しました」

 結局、<やねだん>の手法は見事なまでに老人ホームの経営に応用できた。

 このスマイリング・パークは単に急成長しているだけではない。介護業界が抱えている離職という問題も、クリアした。業界では圧倒的な離職率の低さを誇る。次回はその背景を探る。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  住民300人の集落が甦る、公民館長が起こした奇跡

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*写真はイメージ