在日朝鮮人3世の李誠雅、11年のなでしこ世界一で意識した「朝鮮代表でW杯優勝」の夢

 日本体育大学女子サッカー部、およびなでしこリーグ日本女子サッカーリーグ)2部に参戦する日体大FIELDS横浜は、今年5月に公式noteを開設した。新型コロナウイルスの大流行で外出自粛が続き、「自分っていったい何なんだ」「なぜサッカーをやっているんだろう」と思いを馳せることが多くあったなかで、在籍する3年生部員の発案で「#私の咲く場所」をテーマに、選手・運営・スタッフが持ち回りでエッセイを投稿している。

 それぞれの熱い思いが文章化されていくなか、7月21日に「祖国と自分」と題された記事は大きな反響を呼んだ。2900文字超の投稿者は、3年生FWの李誠雅(リ・ソンア)だ。在日朝鮮人3世の彼女が自分のルーツと向き合い、「朝鮮代表でワールドカップに出て優勝する」という夢を追い続ける原動力に迫る。

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 生まれも育ちも日本は大阪の李誠雅は、朝鮮半島にルーツを持つ。日本で生まれ、日本で暮らす両親の下、1999年6月22日在日朝鮮人3世として誕生した。サッカーボールを蹴り始めたのは、幼稚園の頃。家族や親戚はサッカーをやっていなかったものの、運動好きだった少女は小学2年生の時に本格的にサッカーを始めた。

「家族はあまりサッカーに興味がなかったなかで、私が突然習いたいと言い出した感じです。でも、朝鮮の国技というのもあって在日の中でサッカーは有名で、身近にあったので、抵抗もなく入っていきました。ゴールを決めたのが嬉しくてすぐにサッカーの虜になりましたし、FWだけじゃなく、中盤、サイド、DFでもプレーしましたね」

 地域のサッカークラブ、そして朝鮮学校のサッカー部でボールを追いかけていた李誠雅が、「朝鮮代表」「ワールドカップ優勝」を強く意識するようになったのは、2011年にドイツで開催された女子ワールドカップで、なでしこジャパン(日本女子代表)がセンセーショナルに世界一に輝く瞬間をテレビで見た時だった。

「私は日本人ではないですけど、日本という国はとても身近にあります。その女子代表チームであるなでしこジャパンが、ワールドカップで優勝してブームになった。noteには『ライバル心むき出しで』と書きましたが、それは日本を負かしたいというわけではなく、身近ななでしこジャパンが優勝できたのなら、きっと自分もできるなと。あの場に必ず立って、優勝したいと思ったのを覚えています」

小学生時代には壮絶な差別も経験「ひどい言葉が書かれた紙くずや物を投げられたり…」

 もっとも、在日朝鮮人3世としての宿命に思い悩んだこともあった。中大阪朝鮮初級学校、東大阪朝鮮中級学校、大阪朝鮮高級学校と、朝鮮学校に計12年間通った李誠雅は、朝鮮半島にルーツを持つがゆえに差別にも直面。それは、いじめとは比べものにならないほど過激で、つらい経験だったという。

「日常生活のなかで、見た目で(在日朝鮮人と)判断されることはほぼありません。でも、朝鮮学校の制服を着ていると、通学中、あるいは学校内にいてもひどい言葉が書かれた紙くずや物を投げられたり、通りすがりの見知らぬおじさんに差別的暴言を浴びせられたりもしました。いじめなんかよりも、はるかに上だと思います、小学校低学年の子供相手に大の大人がそんなことをするなんて。今考えると本当に許せないですけど、その当時は何をされているかさえも分かっていませんでした。これは決して私だけではなくて、もっとひどい経験をしている在日の方もたくさんいます」

 朝鮮人である自分を隠したい、知られたくない――。

 自分のアイデンティティーを否定するかのように、心を閉ざしかけた時期があったと李誠雅は明かす。

 noteには彼女の壮絶な体験談が赤裸々に綴られている。ともすれば、かつてのようなつらい思いをまたするかもしれない。そんな不安にも苛まれたというが、新型コロナウイルスによる人種差別や誹謗中傷、自殺のニュースを目にするなかで、「自分と同じような境遇の人に、勇気を持って生きてほしい」との思いが李誠雅を突き動かした。

「最近、世界中で誹謗中傷があって、自殺される方も少なくない。私もそういう経験をして、まだまだ自分自身をさらけ出すには怖い社会なんだと、たくさんの人に知ってもらいたいなと。差別や孤独はやっぱり、自分がその当事者にならないと絶対に分かりません。でも、実際に体験しなくても気持ちを汲んであげることはできると思うし、リアルな体験談を読めば読むほど想像は容易くできるはずです。さすがに恐怖心もありましたけど、今の小学生たちに自分と同じようなつらい思いをしてほしくなくて、朝鮮人に限らず、在日外国人、留学生、世界から差別がなくなるように、と思いを込めて書きました」

2016年U-17女子W杯で、在日朝鮮人選手として史上初の代表選出

 李誠雅が朝鮮人としての自分を包み隠さず、ありのままで生きたいと思うようになれたのは、祖国の言葉や歴史について、そしてなぜ日本に生まれ育ったかを学び、“確固たる軸”を培えたからだという。

「『李誠雅』という名前や国籍だけ朝鮮人で、何も学ばずにいたら、『なぜ私は朝鮮人に生まれたんだろう』『なぜ私は日本人じゃないんだろう』と思っていたかもしれません。誇りを持てるくらいしっかり知識がないと、何か嫌なことや壁があった時にすぐに負けて潰れてしまいます。でも、私は祖国についてはもちろん、なぜ自分がここに生まれ育って、守ろうとしているものがあるのかについても学びました。その過程で自然と、『自分は朝鮮人だ』『自分は朝鮮代表になるんだ』という気持ちが強くなりました。

 好きで始めたサッカーは、『サッカーを通して何かを伝えたい』『守るべきものを守りたい』という思いになっていきました。『サッカー選手になりたい』が『朝鮮代表になりたい』に変わって、『朝鮮代表になって影響力を持つようになってから、どう発信していくのか』にも変わった。それは12年間、ウリハッキョ(朝鮮学校)に通ったから、そういうメンタリティーに行き着いたと思います」

 李誠雅が初めて祖国・朝鮮の国旗を背負って戦ったのは、セレッソ大阪堺ガールズに所属していた2016年にヨルダンで開催されたU-17ワールドカップでのこと。朝鮮民主主義人民共和国U-17女子代表に選出され、在日朝鮮人の中から女子代表選手となる史上初めてのケースとして歴史に名を刻んだ。しかも、決勝で生まれ育った日本を破って大会優勝に貢献したのは特別な経験だった。

「在日の男子選手が切り拓いてくれた道だったので、感謝の気持ちでいっぱいでしたし、『やっと代表に行けるんだ』『早く朝鮮に行きたい』と感じました。自身初めての国際大会で、決勝が日本戦だったのも何かの運命だったのかもしれません。いろいろ込み上げてくるものもあるなかで、日本が相手で良かったと思ったし、何より優勝することができて同胞の皆さんが喜んでくれたのが嬉しかったです」

 実際に朝鮮代表の一員としてプレーしたなかで、基礎技術の高さを実感するとともに、改めて祖国の「考え方」と「メンタリティー」に刺激を受けたという。

「私は日本で育ってきたので、真面目な性質というか、ミスをしないように丁寧に丁寧にやる考え方は、日本の方と似ていると思っています。でも、朝鮮本国の代表選手は苦しい時にしんどい表情をするのではなくて、『今日は今日、明日は明日』と楽観的に物事を捉える。私は練習で上手くいかなかったら、すごく落ち込んで帰っていたけど、今日はもう終わったんだから切り替えないといけないよ、という話をしてくれました。もう一つはメンタリティーで、日本の方以上に国を意識しています。家族の生活のためとか背負うものがあって、ハングリーさやスポーツ選手として勝負に懸ける思いは少し違うと感じました」

同じ在日朝鮮人3世のバックグラウンドを持つ元Jリーガーの安英学氏から刺激

 李誠雅はこれまで多くの人に支えられて人生を歩んできた。朝鮮学校の先生や友人にはじまり、高校時代に朝鮮へ行った際には栃木SCのFW韓勇太(ハン・ヨンテ)、昨季までFC琉球に所属していたMF金成純(キム・ソンスン)が一緒に現地へ渡り、およそ2週間をともに過ごした。そして進学した日体大のチームメートやスタッフらと同様に熱心にサポートしてくれたのが、かつてJリーガーとしても活躍した元朝鮮民主主義人民共和国代表MF安英学(アン・ヨンハ)氏だ。日本で生まれ育った在日朝鮮人3世という同じバックグラウンドを持ち、44年ぶり2度目の出場となった2010年の南アフリカワールドカップピッチに立った英雄は、彼女にとって勇気をもらえる存在だった。

「私が言うのもおこがましいですけど、大学1年生の時から食事に連れて行ってくださったり、相談に乗ってくださって、いろんなサポートをして頂いています。ヨンハさんの魂、メンタリティーは本当に凄くて尊敬しています。日本の在日コリアン、祖国の朝鮮、韓国とも触れ合える偉大な存在です。私もヨンハさんみたいに引退しても同胞社会のため、同胞サッカー界のために、力になれることがあればやっていきたいと思います」

 偉大な先輩と自身を重ね合わせるかのように、李誠雅は在日朝鮮人としての宿命を背負って戦う覚悟を強く口にする。

在日朝鮮人という存在からして、本当は孤独なのかもしれません。私は祖国を愛していて、もちろん(祖国から)今も愛をもらっていますけど、それだけじゃ足りなくて、活躍して平壌や朝鮮の人たちに『李誠雅』という名前と顔も覚えてもらわないといけない。私は祖国の国旗を胸に、在日同胞の希望や期待を背負って生きています。だからこそ隠れられないし、いつどんな環境でも恥ずかしいことはできません。在日朝鮮人という特有な存在だからこそ、強く意識する部分だと思います。朝鮮本国の人たちは朝鮮という国しか背負えない反面、私は朝鮮と在日の両方を背負える。それは時にプレッシャーかもしれないけど、ポジティブアスキングで自分のパワーに変換できます」

「自分の夢は同胞みんなの夢で、絶対に叶えなければならない」

 李誠雅は、「叶えなければいけない夢がある」を座右の銘にしている。直近の東京五輪出場は、昨年12月に朝鮮民主主義人民共和国女子代表がアジア最終予選に参加しない意思を表明したため、実現できなかった。それでも、「ワールドカップ優勝」の夢に向けた彼女の“魂の炎”は決して揺らぐことはない。

「朝鮮代表で活躍してワールドカップ優勝を果たしたら、同胞の人たちが喜んでくれる姿が一番に想像できます。その顔を見たいというか、サッカー選手である以上、朝鮮代表で活躍するのが私の使命。自分の夢は同胞みんなの夢で、叶えたいではなく、絶対に叶えなければならないんだと言い聞かせています。自分が在日の女子サッカー界の先頭をきって走っているというのは分かるし、責任も感じています。私が確固たる地位を築くことで、今後を担う後輩たちに目指せるものなんだと示したい。その思いはサッカー選手として生きるうえで、私の大きな源になっています」

 李誠雅という“オンリーワンの花”は、朝鮮代表として国を背負って咲き誇るべく、自分を磨いて力を蓄えている。

[PROFILE
李誠雅(リ・ソンア)
1999年6月22日生まれ。大阪府出身。167センチ・59キロ。東大阪朝鮮中級学校サッカー部―セレッソ大阪堺ガールズ―日体大FIELDS横浜。なでしこリーグ1部通算25試合・4得点、なでしこリーグ2部通算0試合・0得点(8月29日時点)。スピードとキープ力を兼ね備えたアタッカーで、F日体大の萩原直斗監督曰く「不器用なくらい真面目で、熱さを前面に出せる」。2016年のU-17女子ワールドカップで在日の朝鮮女子選手としては初めて代表に選出され、「朝鮮代表でワールドカップ優勝」という夢に向かって突き進む。

※取材はビデオ会議アプリ「Zoom」を使用して実施。(Football ZONE web編集部・小田智史 / Tomofumi Oda

なでしこリーグ2部の日体大FIELDS横浜でプレーするFW李誠雅(写真右)【写真:日体大FIELDS横浜】