7月25日モーリシャス沖で日本企業が所有する貨物船が座礁。大量の重油が流出し、サンゴ礁、マングローブ林などの自然豊かな海が汚染されるという事故が起きました。この重油除去のため、日本で開発された高吸油性ポリマーが投入されています。ここでは、このポリマーの“科学(化学)的からくり”をわかりやすく伝えたいと思います。

注目の「マジックファイバー」

創業間もない東京の化学繊維企業エム・テックス社が開発した、商品名「MAGIC FIBER(マジックファイバー)」が今、注目を浴びています。これはナノファイバー製自己膨潤型高吸油性ポリマーで、素材は身の回りで多く使われているポリプロピレン※です。

※ポリプロピレンの製法はポリエチレンの合成と同じです。具体的には次の記事をご参照ください。
レジ袋有料化施策に意味はある? プラごみ削減と環境意識の向上につながるのか

ナノファイバー(後述)を造る方法はいくつかありますが、電界紡糸が中心的製造方法でした。この方法は、高電圧をかけて製造するため生産の際に爆発事故等の危険を伴うこと、コストがかかり大量生産が不可能であることから、商品化には辿り着きませんでした。

しかし、エム・テックス社は、従来の製造法にとらわれないで、ポリプロピレンを熱で溶融し液体化し、空気と混ぜてナノファイバーの繊維を作る新製造法を見出し量産化に成功しています。

このマジックファイバーは、水を全く吸収せず、1枚20gという軽量でありながら、約1ℓ(自重の約50倍)の油のみを吸収します。従来のナノファイバー油吸着材に比べ、約5倍以上の量の油を吸収するのです。しかも、油を吸った後に持ち上げても、マジックファイバーが油を保持するため垂れてくることはありません。

こうした特徴から、油の処理に困っている食品加工工場、金属加工工場、製油工場、機械製造工場や飲食店、ホテルなどから注目されています。

2019年8月に発生した九州地方の豪雨では、佐賀県大町町で浸水した鉄工所から大量の油が漏れ出しました。その除去のために、エム・テックス社は約19万枚のマジックファイバーを自治体に寄付、水害の復旧に寄与したことは記憶に新しいところです。

今回のモーリシャス沖の事故を受けて、エム・テックス社はJICA(国際協力機構)に30センチメートル四方のシート約1200枚を寄付。さらに、クラウドファンディングでの購入支援(募集期間終了)のほか、「モーリシャス緊急支援プロジェクト」を実施しています。

人間によって、いったん汚染破壊された自然を修復するのには困難を伴いますが、油で汚れたモーリシャスの海が、日本で開発されたマジックファイバーによって再び美しい海に戻ることを祈ります。

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自己膨潤型高吸油性ポリマーの開発史

それでは、マジックファイバーとはどんなものか、少しその科学(化学)的な側面を覗いてみましょう。

従来の油処理剤では、吸蔵型(シリカなど無機系と不織布など有機系)、ゲル化型(商品名・固めるテンプルなど)が知られていますが、最近のものは、油を単なる隙間ではなく分子内に吸収、しかもいったん吸収した油を漏らさない特徴を有する自己膨潤型高吸油性ポリマーです。

まず、このポリマーの開発史を、やはり日本で開発された自己膨潤型高吸水性ポリマーと対比させて考えてみましょう。自重の数百倍の水を分子内に吸収して膨潤する吸水性ポリマーが、紙おむつなどに広く使われていることは周知の事実です。

イオンを有する原料から作られた吸水性ポリマーの中はイオン濃度が高いので、浸透圧の原理(イオン濃度の低いところからイオン濃度の高いところに水が移動する)によって、ポリマー中に水が入ります。

水はポリマー分子の親水基(水と親しくする部分、この場合はカルボキシル基、正確にはイオン)と無数の水素結合(水のプラスを帯びた水素原子がこの場合にはマイナスを帯びた酸素原子と引き合う弱い相互作用)を作ることにより化学的に結合されるので、スポンジの場合(単なる吸着)と異なり絞っても水は出てきません。

同時に、ポリマーの中は、カルボキシルイオン同士の静電反発により、広げられた分子の網目空隙に水が取り込まれます。これが吸水のメカニズムです。

吸油性ポリマーの開発は、この吸水性ポリマーのメカニズムを低極性液体、すなわち油に適用しようとするところからスタートしました。

すなわち、親水基を親油基(油と親しくする部分、疎水基ともいう)に置き換えれば、親油基と油との分子間力(ファンデルワールス力、中性分子と中性分子が引き合い凝集する力で、同じもの同士が引き合う力)により、油がポリマーの分子に吸収されると考えられます。

ここで問題になったのは、まず油と親しくするための親油基にどのような構造を持たせたらいいのか、そして油を入れる空隙をどのように設けるかでした。研究が色々と行われましたが、効果的な結果はなかなか見出せなかったようです。ここで、ナノファイバーが注目を浴びることになりました。

ナノファイバー製吸油性ポリマー

ナノファイバーの前に、マイクロファイバーの話をしましょう。身近なマイクロファイバーには東レの「トレシー」があります。メガネを購入した時にもらう、あのメガネ拭きですが、これは極細繊維・マイクロファイバーを使ったクリーニングクロスです。

通常、油膜汚れの厚さは1~2ミクロンミクロンは100万分の1メートル)ですから、約15ミクロンの太さをもつ普通の繊維で完全に拭き取ることは不可能でした。一方トレシーは、東レの高分子化学の技術で約2ミクロンの繊維を実現しているため、極細繊維が次々と油膜の中に入り込み汚れを拭き取ります。

このマイクロファイバーよりもさらに3桁細い繊維がナノファイバーです。

ナノとは10億分の1のことで、例えるなら地球の直径に対して1円玉くらいの大きさ。1ナノメートルは10億分の1メートルで、髪の毛の太さの約10万分の1にあたります。

ナノファイバーは1本の太さが500ナノメートル以下、髪の毛の200分の1程度の超極細繊維です。従来のマイクロファイバーに比べて高比表面積(比表面積とは、単位重量あたりの表面積)、高空隙率(隙間の割合)、軽量、微細なポア(孔径)、薄さ、滑らかさなどの特徴があり、疎水性(撥水)や親水性(高吸水性)、透過性に優れています。

このような科学(化学)的背景のもとで開発された自己膨潤型高吸油性ポリマーが、エム・テックス社のマジックファイバーです。マジックファイバーの原料は前述のとおりポリプロピレンで、これはもともと油ですから油と親しくしますし、超極細繊維ですから高い比表面積と空隙率を有しています。

ナノファイバーの可能性

このナノファイバーの技術は21世紀の最重要技術と捉えられており、数十兆円規模の巨大な市場が見込まれています。

衣類や繊維(空気を通しても水を通さない繊維、超微細なゴミのふき取り材)、医療(マスク、フィルター、人工皮膚、薬)、水耕栽培、砂漠の緑化、新規高吸水性ポリマー(水害復旧など)、エチレン吸収鮮度保持ポリマー(市販の“愛菜果”には微粉末の大谷石が入っていてエチレンを吸収)、住宅用建材(断熱性や吸音性が通常の繊維よりも高い)としても期待されるほか、飛行機・車の吸音材など、その用途は無限大と言われています。

今回のモーリシャス沖の重油流出は人災、地球規模の気象変動による災害は天災とはいえその原因を考えればこれも人災。地球環境を破壊するのも人間ですが、その環境を取り戻すのも人間の役目です。本稿が、科学・文明の進歩と人間社会を考える機会になればと思います。