(星良孝:ステラ・メディックス代表取締役、獣医師)
英製薬大手アストラゼネカが英オックスフォード大学と共同開発している新型コロナウイルスワクチンについて、同社は臨床試験に参加したボランティアに深刻な副作用が疑われる事例が発生したとして臨床試験を中断した。
アストラゼネカが開発しているワクチンは2021年初頭から1億2000回分のワクチンを供給することで日本政府と合意するなど、有望なワクチンとして期待を集めていた。既に治験再開の可能性も報じられたが、先頭集団にいた有望ワクチンに何が起きたのか。
折しも、ロシアのガマレヤ研究所が8月11日に、最終段階の臨床試験であるフェーズ3を経ずに、新型コロナウイルスに対するワクチンに承認を出し、欧米をはじめ専門家からの批判の議論が巻き起こっていたところだった。それもロシアのワクチンの安全性についての懸念が出ていたからだ。
続く9月8日には、欧米のワクチン開発企業9社の最高経営責任者(CEO)による合同声明が出た。ワクチンを承認するには、安全性を最優先にするよう求めたものだ。
この8月から9月にかけての期間には、このほかにもロシアのワクチンへの懸念を表明する数々の論説、疑念が持たれたロシアワクチンの臨床試験のデータが公開されるといった新しい動きも続いた。これら最新の報告も踏まえ、世界で渦巻く安全性の懸念の正体について考察する。
安全性の課題はいまだ解決せず
筆者は継続的にワクチンについて伝えてきており、ワクチンをめぐる懸念は研究論文や論説の中で一通り報告されているのを確認してきた。最近の報告も含めて、あらためてこれまで報告されてきた課題を見る。そうすることで、アストラゼネカのワクチンに持ち上がった懸念の理由も読み取れると考えている。
ワクチンをめぐっては、大きくは有効性と安全性の問題がある。
有効性については、2つの点から懸念がある。まず一つは、うまくウイルスを無効化できるかどうかの点だ。新型コロナウイルスは、いが栗のような球形をしており、トゲをうまく応用したワクチンが多くなっている。
このトゲは「スパイクタンパク質」と呼ばれ、ほとんどのワクチンがこの“部品”を利用している。病原体の一部を身体に送り込み、それに対する免疫反応をウイルスに感染する前に持たせるというものだ。ただ、ウイルスの持っている部品には、ほかにもNタンパク質やMタンパク質などがあり、これらの応用はまだ検証中の段階。スパイクワクチンがうまくいかない場合の次の手が求められている。
次の有効性の課題としては、ワクチンの運び屋の問題だ。ワクチンのタンパク質を体内に送り込む運び屋に複数の選択肢があり、それが有効性と関係する可能性が指摘されていた。
今回のアストラゼネカのワクチンでは、運び屋としてチンパンジーのアデノウイルスというウイルスが使われていた。ウイルスなのに大丈夫かと思うかもしれないが、増殖能力がないので、安全であると見なされている。ただ、身体は異物と見なすので、このアデノウイルスを攻撃して無力化しようとする。ワクチンが機能する前にこうした運び屋への迎え撃ちがあれば、ワクチンの有効性が削がれる可能性が指摘されていた。
一方で、安全性の問題は、ワクチン自体が身体にとって有害かどうかが根本的な問題になる。これはウイルスに感染する以前の問題として、ワクチンを接種するだけで体調を悪化させたりすれば、そもそも使うことはできない。それは前提として検証していく必要がある。
その上で、ワクチンには独特な抗体依存性感染増強(ADE)の問題も指摘されてきた。これはワクチンによって導かれた抗体が増えることで、かえってある種の白血球にウイルスが感染しやすくなって、感染症がむしろ悪化してしまう問題だ。これは繰り返し海外の研究でも強調されてきたところで、まだ何らかの結論は出ていない。
ロシアワクチンの安全性の懸念の根は同じ
ロシアの早期承認を受けて、欧米で指摘された安全性の懸念もこうした点にあった。
著名科学誌の英『Nature』では、ロシアが承認を出した8月11日、速報の中で「データが不足している。抗体依存性感染増強のほか、ワクチンによって喘息のような免疫反応による問題が起こる可能性がSARSの実験的ワクチンで判明していた」と指摘していた。
同様に著名医学誌の英『BMJ』でも8月13日に抗体依存性感染増強の問題を指摘。「少人数での試験で抗体依存性感染増強が起きても影響は小さくとどまるが、大規模な接種を始まってから現象が起こると影響が甚大になる」と懸念を示した。その上で、米ソ冷戦の時代の宇宙開発競争で、ロシアが地球周回軌道に初めて乗せた人工衛星の名前から、ロシアのワクチン「スプートニクV」が名付けられているが、自国の利益誘導にワクチンを利用すべきではないとのコメントを紹介していた。宇宙開発のような命の危険をさらす挑戦を、ワクチンと重ねているのは、安全性の懸念が出ている中では皮肉とも言える。
さらに、同じ『BMJ』は本誌コメントとして8月24日に3つの問題を挙げていた。まず、フェーズ3が行われずに承認され、フェーズ2まで健康なボランティアを対象としているが、病気を抱える人を対象とした検証が十分に行われていない点。これまで健康な人では見えなかった、思わぬワクチンの悪影響が及ぶ可能性があるという問題だ。次に、改めて抗体依存性感染増強の問題を指摘した。さらにワクチン接種が広がらない可能性も挙げている。この報告では、欧州の調査では19%が接種を受けるか不明と答え、7%は拒絶すると答えていたという。4人に1人が消極的という実態だ。拙速な承認はこの流れを強めると指摘していた。
中国のワクチンの有害事象には重いものも
今回、一時停止になったアストラゼネカとオックスフォード大学が共同開発するワクチンについては8月15日に著名医学誌の英『Lancet』で初期のフェーズ1/2の中間報告がなされている。この中ではワクチンの安全性は確認されていたと報告されていた。この試験は、新型コロナウイルスのワクチンと髄膜炎菌結合型ワクチンを比較するもので、一部は、2回の接種を受けていた。
これまでの同様の試験と共通するが、体の反応という点では新型コロナウイルスのワクチンは出やすいと報告されていた。今回も、症状は解熱鎮痛薬で軽減できたが、接種部位の痛み、発熱、冷感、筋肉痛、頭痛、けん怠感が比較対照のワクチンよりも多く報告されていた。重い有害事象はなかったものの、接種を受けた人が反応のしやすさを過度に心配するケースはあるかもしれない。
タイプこそ違うものの、中国のカンシノが開発するワクチンとロシアのガマレヤ研究所が開発するものはアストラゼネカと同様にアデノウイルスを使っている点が共通している。
中国の研究グループは初期のフェーズ2の結果を論文にしており、新型コロナウイルスのワクチン接種を受けた人のうち約7割で有害事象が報告されたと記述しており、用量によっては9%で重い有害事象が報告されたとしていた。
英国グループと似たようなワクチンでも状況が違っているのは気がかりだ。
直ちに命にかかわるものではないものだが、重い有害事象には発熱、皮膚の痛み、腫れ、頭痛、呼吸困難などがあった。これは接種を受けた本人にとっては場合によっては問題として大きく受け止められる可能性はある。
BMJで指摘されていたように、ワクチンの接種対象がよりもともと病気を持っている人に広がったときには、影響が大きく出る可能性も否定できない。
安全性不安による接種忌避は本末転倒
ここまで論文で報告されてきたデータから見ると、アストラゼネカとオックスフォード大学が共同開発するワクチンで起きたと見られる一時停止につながった問題は、ワクチンそのものの有害事象によるものに加えて、ワクチン接種後、新型コロナウイルスに感染したことによる感染増強の可能性もある。今回の問題には脊髄炎症という報道もあるが、「再開する」と報じられているので、これまで報告されていない有害事象がおきたものの、許容範囲だったということなのではないか。
今回の開発中止が発表される前は、個人的にはロシアのガマレヤ研究所の研究グループが著名医学誌の『Lancet』で発表した論文の結果に注目していた。ロシアの研究グループは安全性を確認したと報告しており、接種部位の痛み、体温の上昇、頭痛などが確認された重いものはないと説明していた。だが、欧米が懸念を示すように、安易な接種拡大は好ましくないように見える。
これまでの論文報告を参考にしていくと、安全性の検証は引き続き慎重を期すべきだ。BMJが指摘するように、慎重さを欠いて、接種を忌避する人が増加することがより問題となり得る。
【参考文献】
●ロシアのワクチン認可、西側諸国が「正しい」と認める=当局者(ロイター)
●AN OPEN LETTER TO THE BIOPHARMACEUTICAL INDUSTRY(BIO)
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 明らかになる新型コロナ検査の「ニューノーマル」
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