何気なく通り過ぎる街なかの、あるいはお寺や神社、山道でほとんどの人が関心を持たない1本の木は現代の秘境です。その秘境に分け入って、ふと周囲を振り返ると人と自然のかかわりや歴史が見えてくるように思えます。今回訪ねたのは西丹沢の山あいに佇む「箒杉(ほうきすぎ)」と呼ばれる推定樹齢2000年のスギの木。2度も村を災害から守ったというご神木です。

巨大スギに会いに神奈川・西丹沢の山あいへ


樹齢2000年という杉。屋久島の縄文杉は知っていましたが、関東にもこれほど悠久の時間を刻む古木があることは知りませんでした。昨秋、東京から車で東名を走り大井松田ICで降りて、国道246号を西に向かいました。国道246号は都心では青山通りと呼ばれ、オシャレなストリートとして知られていますが、ここ山北町の山あいも246号が走っています。



コロナ禍でなかなか外出もままなりません。しかし自然と触れ合う旅はこころ癒やしてくれますね。清水橋という信号で右折し、丹沢湖方面に向かいます。信号脇に「箒杉(ほうきすぎ) 太古への誘い13km」という看板が出ています。



杉の木といえば、植林して間伐されないままの杉林が増えている問題や、近年は花粉症の原因として嫌われますが、古くから日本の家屋や木工などずいぶんと重宝されてきた樹木です。右折した後、ほどなくして「樹齢2000年箒杉12km」という看板も見えました。国の天然記念物にも指定されているというのです。



まもなく丹沢湖が見えてきました。この周辺は丹沢の西側にあたり、丹沢大山国定公園に指定された風光明媚な地域で、四季を通じて多くの観光客や釣り客などが訪れます。



丹沢湖の上流には中川川が流れこみ、中川温泉という秘湯もあります。箒杉はもう少し上流になるようです。



ちなみに公共交通で箒杉に行く場合、JR御殿場線谷峨駅から西丹沢ビジターセンター行きのバスが出ています。停留所「箒杉」で下車すればすぐです。



その「箒杉」停留所までやってきました。その先の急な斜面にとても大きな木があります。もしかしたら・・・



近くまで行ってみました。すると大木の下に「箒杉の水」と書かれた看板を見つけました。



「この水は、国指定(天然記念物、推定樹齢2000年)を育てた水脈です。古来より、この地の人たちが生活用水としていました。夏は冷たく、冬は暖かな天然水です。 箒沢自治会」と書かれていました。冷たい清水でした。そして、すぐ斜面の上には杉の大木。やはりそうです。なんとこれが箒杉でした。
静かな集落に佇む巨大なスギ


訪れた箒沢集落(ほうきざわ)は小さな集落でした。かつては大きな集落だったのかもしれません。しかし、いまは家々が山の斜面のわずかな平地に集まって建っています。そして大きな杉の木は集落のどこからも見える場所にありました。



樹齢は推定で2000年、幹回り約12m、根回り約18m、樹高約45mといいます。斜面に生えていますが太い幹でしっかりと土をつかんで腰を据えている印象です。本当かどうかはわかりませんが、2000年前といえば縄文時代。悠久に近い時間、ひっそりと人々の暮らしを見守り続けてきたのです。



かたわらには熊野神社と書かれた小さな社がありました。熊野信仰はもともと森や山への自然信仰から生まれたものです。ささやかな社ですが、箒沢集落の人びとも樹木への思いが強かったに違いありません。この日、赤ちゃんを抱えたご夫婦も見物に来ていました。子どもの成長を願ってのことかもしれませんね。



江戸時代には禁令によりスギ、ヒノキ、ケヤキ、カヤ、ツガ、カヤの6種はみだりに伐ることが禁じられ、この土地は宝木沢(ほうきざわ)と呼ばれたそうです。木は宝であるということでしょう。現在の「箒(ほうき)杉」の由来は、この宝木沢という集落名から取ったとも、樹の形が箒に似ていることから取ったともいわれています。
大火と土砂崩れから村を守ってくれた


この箒杉が2度の災害から集落を守ったといいます。ひとつ目は1904年(明治37年)に大火に見舞われたときのことで、箒杉が火の手を阻むことで村は全滅を免れたのだそうです。ちなみにイチョウは火災のとき水を吹くといわれ、火災予防のために社寺のかたわらに植えられますが、大きな杉の木も火の手を阻んだのかもしれません。火災が広がるのを抑えました。



2度目の災害は、1972年昭和47年)7月の丹沢集中豪雨のときでした。箒杉の上の斜面(上の写真の木の右横の斜面)から大きな土砂崩れが発生したそうです。そのとき土砂はこの木によって二手に分断される形になり、勢いを弱めたそうです。



訪れたとき、たまたまお年寄りが近くを散歩していました。伺ってみたところ、その集中豪雨では民家数軒が土砂に流されて2名が亡くなり、2名が行方不明になってしまったそうです。しかし、箒スギがなければ被害はさらに拡大していたといわれています。



ちなみに後で調べたところ、この災害は「昭和47年7月豪雨」と呼ばれているそうです。被害は秋田から九州鹿児島まで及び、全国で421名もの方々が亡くなり26人が行方不明激甚災害に指定されるほどの大惨事だったというのです。



そして上の写真の、この幹の露出したような傷跡は2003平成15年)夏の台風によって枝が折れてしまった跡らしいのです。しかし折れた後すぐに樹木医や造園業者によって治療が施され、無事に修復されたそうです。良かったですね。とはいえ2000年もの間、箒杉は人知れず風雪に耐え、数多くの自然災害に遭ってきたに違いありません。
植林と土砂崩れ


最近は異常気象のためでしょうか、台風や大雨による災害が急増しているように思えます。河川の氾濫とともに恐ろしいのが土砂崩れです。人の手による人工林はもろく崩れやすいという話を聞きます。間伐をおろそかにしてはいけないともいいます。



「いまでは10軒ほどしか家がない」と地元のお年寄りは嘆いていました。昭和47年当時は30軒ほどあったといいます。時代とともに集落は小さくなっていく運命なのかもしれません。



とはいえ、2000年もの長い長い命を刻んだ、貴重な箒杉です。これからも大地に根を張り、いつまでも村を見守り続けてほしいと思いました。
箒杉(ほうきすぎ)
住所神奈川県足柄上郡山北町中川
山北町観光協会HP:https://www.yamakita.net/sightseeing/detail.php?id=25

[All Photos by Masato Abe]
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崖の上の箒杉