◆安倍政権の「レガシー

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 安倍晋三首相は8月28日、「体調不良」を理由に総理大臣職を退くことを発表した。これによって、2012年末から続く第二次安倍政権が終了することになった。

 辞任が発表されて以後、この長期政権の「レガシー」はいったい何だったのかということが議論されている。経済、外交、憲法、また様々な不祥事スキャンダル。経済では大胆な金融緩和を行うアベノミクスと呼ばれる政策パッケージを行い、経済成長の実現に取り組んだが、7年半の実質GDP成長率は他のOECD諸国と比べて低調であり、2019年には消費税増税を待たずして景気は後退に転じた。

 外交ではアメリカロシアインドなどとの蜜月関係をアピールし、また中国とも良好な関係を保とうとした。一方で韓国とは2015年に「慰安婦合意」を行ったが、むしろ歴史認識問題を悪化させた。DPRK(編集部注:いわゆる「北朝鮮」を指す)の「飛翔体」問題については、平和的解決をこじれさせるよう画策したが、結果的に「蚊帳の外」となる始末であった。

 2016年には山口県で日ロ首脳会談を行い、北方領土が四島返還される可能性をメディアを通じてほのめかしたが、2019年には日ソ共同宣言に基づく二島返還論ですら議論できなくなるような状況となった。

 2012年の選挙ではTPP反対を公約に政権を奪回したにもかかわらず、その態度を一転させてTPP締結に取り組んだ。辺野古新基地問題では、沖縄県の反対を力づくで潰そうとし、また軟弱地盤の問題で物理的に建設が不可能なことが明らかになりつつあるにもかかわらず、いまだ建設を続けようとしている。

 また、それぞれ合憲性が疑われ、多くの反対意見があったにも関わらず、秘密保護法、安全保障法、共謀罪法を強硬に制定した。しかし悲願である憲法改正については行うことができなかった。

 政権中に誘致に成功したオリンピックは低予算での開催を標榜していたが雪だるま式に予算が拡大し、このコロナ禍にあっては延期された2021年に開かれるかすらあやしい。オリンピック誘致のために「アンダーコントロール」にあると宣言された福島原発は、いまだ終息の見通しが立っているとは言い難い。

 原子力発電については、続けるのか減らすのか、宙吊り状態が続いている。政府のテコ入れで始められた原発輸出事業はそのすべてが失敗し、関連企業の損益を増やした。

 森友・加計・桜を見る会などのスキャンダルにおいては、利益誘導それ自体の問題もさることながら、公文書管理の問題も話題となった。該当する資料を出せばすぐに白黒がつくはずの話を、政府は官僚を通して文書を隠蔽、破棄、改ざんさせた。

 また、ここ30年来の問題となっている少子高齢化について政府は有効な施策を打てず、科学技術についても「選択と集中」という新自由主義政策を進めた結果、日本の地位が後退していることは数字上明らかとなっている。

◆安倍政権とは何だったのか
 筆者は安倍政権に批判的なので、この7年半に起きたことについてはどうしても否定的にみてしまう。しかし、安倍政権を肯定的にみる立場も、安倍政権を否定的にみる立場も、この政権の総括については混乱があるように思える。

 一般的に安倍政権は、自民党の中でも右派であるとされる。いくつかの基本的人権や民主主義を脅かしかねない法案を強権的に通したが、右翼勢力にとって目の上のたんこぶである日本国憲法の改正はできなかった。

 東アジア外交については、韓国に対しては一貫して強圧的にふるまい、「慰安婦合意」についても当事者にとっては受け入れがたい不十分さを持っていたにせよ、一方で日本の歴史修正主義者にとってもまた納得できないものだった。

 中国には領土問題などを利用して市民の敵意を煽る一方、観光客を呼び込みたいという思惑などから、中国政府に対しては「親中的」な態度を取った。

 経済については、新自由主義的な政策を推進し、オリンピック関連のハコモノ投資などがあったにせよ、従来型の公共事業は全体としてはむしろ減少した。一方で株価つり上げのため日銀に株を買い入れさせることで、国家が日本上場企業の多くで筆頭株主となっている。また経産官僚の思い付き経済政策を大量の税金を投入して行うなど、国家主導の経済を推進したと考えることもできる。

 強硬さと脆弱さ、自由放任と国家主導、積極財政と緊縮財政、タカ派とハト派……安倍政権は、その場その場で双極的にその顔を変えていく。型通りの批評ではすべてを捉えきれない。論者によっては認識が混乱し、安倍政権は左派政権だったと主張してしまう者もいるぐらいだ。いったい、安倍政権とは結局何だったのだろうか。

◆安倍政権による「法の停止」と安倍晋三の「弱さ」
 第二次安倍政権の7年半の間で、憲法の効力は奪われ続けてきた。強引な憲法解釈の変更により集団的自衛権を容認したことは、憲法9条の死文化を加速させた。秘密保護法や共謀罪法の制定は、市民の基本的人権の保障を宙吊りにさせるものだ。行政監視機関としての議会を開かせたくないため、憲法53条に公然と背いた。そして公文書の破棄や改ざんによって、行政が守るべき手続きのルールは崩壊した。

 2015年、沖縄防衛局は、沖縄県が辺野古埋め立て承認の取り消しを行ったことに対して、行政不服審査法に基づく不服申し立てを行い、承認された。2018年沖縄県の辺野古埋め立て承認撤回についても同様に、不服申し立てが行われて承認された。

 行政不服審査法は、国家権力に対して市民の人権を守るために制定されたもので、国家が地方自治を踏みにじるために制定されたものではない。国家と地方自治体が対立した際、国家が地方自治体に対して不服申し立てを行うようなことが許されてしまえば、地方自治は危機にさらされてしまう。

 ところが安倍政権は、立法趣旨を尊重するということを知らない。権力の自己拘束という理念も理解しない。それまでの不文律的な正当性をすべて破壊し、力をほしいままに行使してきた。

 しかし権力をほしいままにしてきた安倍政権も、憲法そのものに手を付けることはできなかった。それはそれだけ野党と市民が力強く抵抗したからでもあるが、一方でそれは安倍政権の「弱さ」のせいでもある。

 安倍政権は絶大な権力を持っている。内閣法制局からNHKまで、掟破りの人事権を行使することで、行政・立法・司法・メディアの四権をコントロール下に置いている。しかし、そのことで安倍晋三が行ったことは、いわゆる通俗的「独裁者」のイメージとはかけ離れている。極端にいえば、秘密保護法や共謀罪を用いて反対派をどんどんと投獄していくような恐怖政治ではない。その代わりに彼が行ったことは、自分やその友達への、いわば「チンケ」な利益誘導なのである。

 バロック悲劇の君主のごとく、安倍は決断能力を欠いた権力者だ。(参考:新型コロナウイルスの感染拡大に対して、強大な権力を持つ筈の安倍政権がこれほどまでに無能である理由

 たとえば災害対応は、リーダーシップが必要とされる仕事であり、ある意味では首相の力の見せどころでもある。あれだけ「緊急事態」を煽っている首相ならばなおさらだ。

 だが、安倍晋三は、災害となると決まって私邸に引きこもり、首相公邸に詰めることすらしていなかった。2018年の「赤坂自民亭」や、2019年の台風襲来時に内閣改造を優先させたことなど、国の危機に党内事情を優先させたこともあった。彼は「緊急事態」において決断を行うことを嫌うのである。

◆無為の権力者としての安倍晋三と「権力者への道」
 このようなことを意識しながら、改めて安倍政権が行った憲法や他の規範を無視するかのような振舞い――そうすることによって、憲法が実質的に効力を失ってしまうような状態に置こうとする振舞いについて考えてみると、安倍政権とは、新たな規範を打ち立てるのではなく、規範を停止させることそのものが目的だったこという可能性に至る。すなわち、あらゆる規範の効力が宙吊りになった「例外状態」をつくりだすことである。(参考:新型コロナウイルスによる「緊急事態」の宣言。起こりうる「人権の停止」に抗うために。

 「例外状態」は、権力者に対して決断することを義務付けない。むしろそれは権力者を規範から解放し、無為でいることを許す。つまり「君臨すれども統治せず」。権力者に代わって政治を行うのは、「控えの間」にいる廷臣たちだ。つまり、ここにおいて権力者ではなく「権力への道」が決定的に重要になるのである。

 一億総活躍、GDP600兆円、クールジャパンアベノマスク……、スローガン止まりに終わった政策からいっそのことスローガン止まりであってくれたほうがまだましだったような政策まで、安倍政権がこれまで行ってきた思い付き政策は、内閣官房にいる経産省出身の官僚たちによって起案されたものであることが知られている。無為な権力者と規範が停止された「例外状態」があって、彼らがやりたい放題できるような環境がつくられたのだ。

 安倍政権の全体性が把握しがたいのは、おそらくこうした理由によるものだろう。たとえ安倍晋三が恐ろしく右派的な国家像の持ち主だとしても、彼が無為な権力者である限り、その一貫性は政治には発揮されない。たとえば政権獲得以来最重要課題のひとつにあげていた「拉致問題」については、特に誰かに邪魔された形跡はないにも関わらず、まったく何もしなかったのである。

 政権の後半、憲法の改正に積極的であるように見えなかったのも説明がつく。法の効力さえ停止してしまえば、法を破棄する必要はない。2015年の安全保障法によって、9条は実質的に死んだので、逆に安倍政権は憲法改正事由を失ったと言われてきた。ナチス政権もヴァイマル憲法を破棄せず、全権委任法によってその効力を停止させた。

 経済政策についても、規制緩和や民営化といった新自由主義政策を掲げながら、控えの間に集まる各業界・団体の利権者にも金を流す必要があるため、一貫性なく国家が経済に介入していく傾向が生じる。こうした税金による利権分配を「左派的政策」と評価する人もいる。しかしこれは、格差是正や公正さを担保するために経済に介入する左派的なヴィジョンとは似て非なるものなのだ。

◆世界の終末を遅延させる「カテコーン
 安倍政権は規範の効力を失わせ、「権力者への道」に連なる者たちにとっての我が世の春を実現した。しかし、その権力を7年半にわたって持続させた原動力は何なのか。過去記事でも触れたが、新約聖書、第二テサロニケ書簡に出てくるカテコーンという概念は、このもう一つの機能を説明するために役に立つ。

 カテコーンとは、「不法の子」と呼ばれているアンチ・キリストを抑える者のことである。「主の日」すなわち世界の終わりが訪れるには、まず「不法の子」の登場が必要なのだ。「不法の子」が世界を混乱に陥れた後、現れた真のメシアがそれを取り除き、そのあとで世界の終末がやってくる。

 世界を混乱に陥れる「不法の子」をカテコーンは抑止している。だが、「不法の子」がメシアの再臨のトリガーであるならば、カテコーンは結果として世界の終末を遅延していることになる。

 世界の終末を示すものが至福であれ破局であれ、それを世俗的な意味で解釈した場合、遅延する力というものが持つ政治的求心力を考えざるをえない。たとえば安全保障の議論で用いられる「抑止力」という言葉は、やがて訪れるかもしれない全面戦争という終末を前提として、それをいかに遅延させるかということに尽きるのである。

 この7年半、安倍政権は政権の延命のために、DPRKの脅威を上手く利用してきた。宇宙空間を飛んだDPRKの「飛翔体」について、安倍政権は「日本の上空」を飛んでいるとしてけたたましくアラームを鳴らし、落下したときを想定した訓練までやらせた。戦争の危機を煽ることで、自らをその遅延者に定位することができる。事実、2017年に、安倍政権は森友問題が原因で大幅に下がった支持率を回復することができたのだ。

 一方で「遅延する力」が働いているという認識は、あらゆる政策が成就しないことについて、それを失敗だと感知させない効果をもたらす。たとえばアベノミクスは永遠の「道半ば」である。2013年日本銀行は2年間で2%のインフレ目標を掲げた。インフレの実現は、デフレ脱却を掲げる安倍政権の経済政策の、最重要項目であるはずであった。

 しかし2%のインフレは2年間で達成できず、先延ばしにされたあげく、2018年にはついにインフレ目標達成時期は削除された。インフレ目標はひたすら先延ばしにされることで、経済政策の失敗と認識されることを防いでいるのだ。

 それ以外の政策でも、実現時期が無限に遅延させられていくのが安倍政権の特徴だった。北方領土交渉も、数十回会談を重ねた後で、むしろ状況は悪化しているのに、御用コメンテーターが「安倍総理プーチン大統領は信頼関係を築いたので交渉はこれから」と言い出したのには閉口した。

 安倍晋三はあらゆる不祥事不人気政策について「丁寧な説明」をすると繰り返し続けたが。しかし「丁寧な説明」をする時期は先延ばしにされ続けたあげく、やがて市民は忘れ、うやむやにされていったのだった。

◆安倍政権後の日本
 安倍政権の7年半は、法の効力が停止され、あらゆることが遅延された「例外状態」の中で、「控えの間」の廷臣たちが好き放題する時代であった。その時代の終焉が、疫病という誤魔化しが効かない危機であったことは象徴的だ。にもかかわらず、後継である菅政権は安倍路線を継続するつもりなのである。

 今、選択肢はふたつある。安倍政権によって停止させられていたあらゆる規範を復活させ、新規巻き直しの時代をつくるのか、それとも遅延しきれない破局が訪れるまで、この時を生き続けるのかである。いずれにせよ、その選択を行うのは権力者ではなく市民なのである。

<文/藤崎剛人>

【藤崎剛人】
ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ過ぎ去ろうとしない過去 notehokusyu Twitter ID:@hokusyu82

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