10月24日(土)より K’s cinema、11月7日(土)より池袋シネマ・ロサと大阪・第七藝術劇場で公開される映画『VIDEOPHOBIA』から、漫画家・山本直樹氏が手掛けたポスタービジュアルが解禁された。あわせて、いち早く作品を鑑賞した映画監督や漫画家らのコメントも到着している。

『VIDEOPHOBIA』は、『大和(カリフォルニア)』『TOURISM』の宮崎大祐監督による最新作。大阪のコリアンタウンを舞台に、29歳の女性・愛が一夜を共にした男との情事を動画でネット上にばらまかれ、自分の映像が世界中に拡散される恐怖と他者からの視線により、徐々に精神に失調をきたしていく姿を全編モノクロで描いた“モノクローム・サイバースリラー”だ。主人公の愛を演じたのは、サニーデイ・サービスの「セツナ」MVや、公開中の映画『クシナ』で知られる廣田朋菜。さらに、『リリイ・シュシュのすべて』などの忍成修吾やサヘル・ローズが出演。音楽をBAKU(KAIKOO)、エンディングテーマを大阪出身のラッパーDogg、ヌンチャクらが手がけている。

 


漫画家・山本直樹氏によるポスタービジュアルは、大阪の川を背に、廣田朋菜演じる主人公・愛がこちらへ意味深な視線を向ける姿を描いたもの。また、本作には、オリヴィエ・アサイヤス(映画監督)、小泉今日子(女優)、いがらしみきお(漫画家)ら既出の著名人のほか、竹中直人(俳優・映画監督)、山本直樹(漫画家)、東村アキコ(漫画家)、井筒和幸(映画監督)、岡田利規(演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰)、曽我部恵一(ミュージシャン)、津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)、上田岳弘(作家)、なみちえ(ラッパー/着ぐるみ作家)、いしいしんじ小説家)、valknee(ラッパー)など、各界総勢25名(※敬称略)がコメントを寄せている。コメント全文は以下のとおり。

オリヴィエ・アサイヤス(映画監督)

見事な作品!主演女優はとても身体的で、自然で、それでいて神秘的だ。

そしてこの映画自体も同様に、シンプルで、エレガントで、明晰で、反復の中に日常生活の神秘とも言える何かを捉えている。

彼女は他の誰かになることでその秘密の探求を遂行するのだ。

 

竹中直人(俳優・映画監督)

オープニングからモノクロ映像に惹きつけられ、そのままずるずるぐいぐい監督の世界に引きずり込まれた。リアルで不気味、そして幻想的で破壊的なエネルギーが画面から溢れ出る!すげ〜映画を観た。この映画は癖になる!恐るべき監督宮崎大祐…!

 

小泉今日子(女優)

現代日本の若者のリアルな日常に潜む危うさをスリリングに描きながらも、ヌーヴェルヴァーグの香りがぷんぷん匂う。こういうの私は好きです。

 

いがらしみきお(漫画家)

傑作はいつも予言的だ。これはコピーだらけでどこにも本物がないネットの世界の悪夢を描き、そのあとに出現したコロナウイルスの世界へまで浸食していく。今度はネットではなく、我々の中でコピーが増殖するのだ。

 

山本直樹(漫画家)

淡々とモノクロで描かれる大阪の若者の日常…かと思ったら全然違う話でした。ホラー。モンスターのいないホラーストーリー。

 

東村アキコ(漫画家)

いいモノクロ映画って不思議なもんでじっと観てるうちにどんどん眼の中で白と黒とグレーの境界が細分化されてきて、石膏像の表面の影のグラデーションを舐め回すように観たりペタペタ触りまくってみたり、そういう感覚なんですよね。その視覚の触感とも言える感覚がこの作品にすごく合ってて、つまり主演の廣田朋菜氏の顔に合ってました。エロチックでミステリアスでやさぐれてる、野良猫の目をしたヒロインに魅了される、色がないのに無数の色を感じる不思議な2時間でした。

 

井筒和幸(映画監督)

生々しく、なかなかのサスペンスだ!いつも青春は悲惨だ。俳優たちが何よりリアルで、その演出力に引き込まれる。

 

岡田利規(演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰)

水の都で生きる主人公の経験する、耐え難いはずで許し難いはずの陰惨な出来事が、何かつかみ所のないものであるかのように思えてくる。鈍い麻痺に似た、全てが流されていくような危険な感覚に、観る者を陥らせる。

 

曽我部恵一(ミュージシャン)

恐ろしい映画だった。ぼくなんかは恐ろしすぎて、観終わってなお、心が震えている。それはそうと、廣田朋菜が時折り『アルファヴィル』のアンナカリーナに見えるときがあった。

 

津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)

思っていた人生と違う道に踏み入ってしまったときの、視界の仄暗さ、不規則な揺れのおぼつかなさ。光と闇のグレースケールのなかで、アイデンティティーの剥離と癒着が同時に去来する怪作。

 

上田岳弘(作家)

全体として生きざるを得ない現代の子 その哀しみと混乱

 

なみちえ(ラッパー/着ぐるみ作家)

内側と外側、現実と想像…分離した精神を果たして”演劇”はジリジリと乱暴に引き裂いているのか?それとも無理矢理にすり寄せているのか?主人公の離人した精神の象徴でもあるかのような着ぐるみのシーンが入ると、表層的な人間味について自問自答してしまう。映画を見た私自身も無作為に人ではない視線が気になって仕方ない。そういえば私はインスタグラムのストーリーに自分の裸の写真をアップした事がある気がして、私の裸を見てないか沢山の友達にLINEした。とある白昼夢、いい鼻歌が思いついた時、焦りすぎて夢の中のiPhoneでボイスメモに録音した。それらの物語を空想と現実の狭間に落っことして手が届かない。

 

いしいしんじ(小説家)

白と黒の町を無数のカメラが浮遊する。まるで撮影者でなく、カメラ自身が意志をもって撮影「させている」かのように。その目からは誰も逃げることができない。着ぐるみを着ていても、あたらしい名前が得られても、たとえ、スクリーンのこちら側に座っていたとしても。

 

valknee(ラッパー)

おいおいおいしっかりしろよ!終始しかめっ面で。けどまあ私もダチもいつでもこうなり得る。

 

五所純子(文筆家)

科学技術と手に手をとった誰何の世界で、〈私〉は交換可能であるとするか、それは〈私〉ではないと否認するか。主人公よりもむしろ観客に蔓延したその意識のみが二人の女を一本の物語に見させる。カメラは余震のように揺れ、人間を多元化し、世界の断層を増やしていく。行と行のあいだの幽霊をとりだすように。

 

荏開津広(DJ /ライター /京都精華大学非常勤講師)

巨額の予算のお送りする綺麗でだらしない映像に慣れきって、世界はつながっていると根拠なく拝みたてるつぎはぎのありよう、見えない未来の崩壊を映しだす傑作。

 

宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)

Jホラーの国からようやく生まれた、古典の風格をまとった最先端のポストホラー作品。もしA24で映画を作る日本の監督が現れるとしたら、宮崎大祐はその最有力候補だろう。

 

冨永昌敬(映画監督)

この世界はカメラと画面と顔面と、各種恐怖症も応相談のワークショップだらけ。そこに鈍重に斬り込んでゆくのは、二つの名前を持たされた彼女の、亀裂のような二つの眼。鉱物製の近代の底で静かに正気を保っているメンフクロウは、500万年分の欲望に窃視された彼女に自分そっくりな二つ目のメンを提供する。そんな恐ろしい『VIDEOPHOBIA』なのに、まるでエロス+女のみづうみ(!)みたいな美しさとクールネス。見てる間しびれっぱなしですよ。宮崎監督ありがとう!

 

青木理(ジャーナリスト)

見慣れたはずの原色の街が、白と黒の世界に閉じ込められ、さらに鮮烈な色彩を放つ。減法の豊穣。想像力が物語と思考を高く羽ばたかせる。

 

てらさわホーク(映画ライター)

観せられていることは果たして本当に起こっていることなのか。

現実と妄想との境界が曖昧になるような、足場をふと外されるような、そんな不安が映画には充満している。何がリアルで何がそうでないのか。

ひとつだけ確実なのは不安だけがリアルだということだ。

 

筒井武文(映画監督)

大胆で繊細。『VIDEOPHOBIA』の第一印象だ。観客を共犯者にしてしまう冒頭から偽悪的な装いに満ちているが、それが作り手の社会および映画に向ける批評性にほかならない。その犠牲者を演じる廣田朋菜が全身を映画の魔に投げ出し、捧げ尽くす様は、男性から憎しみの眼差しを浴び続けた「ジャンヌ・ダルク」さえ想起させてしまう。彼女を包み込む諸問題は、映画五本分くらいの容量なのだが、宮崎大祐はその都度、観客の期待を躱しつつ、横滑りする。ここには、結論という捏造された下品さが徹底的に回避されているのだ。その手つきは、思わずブニュエルと呟きそうになるが、ここでの各挿話に対する距離感の変化は、ブニュエル的単純さを超えている。ともあれ、この現在におけるジャンヌ・ダルクの変身譚は、観客の想像力をはるかに超えたアンチ・クライマックスに至る。これは映画史を転覆させようとする悪意なのか。いや、悪意すら宙吊りにされる。深読みすれば、新しさを装った現代映画の偽善性への告発にまで及ぶ。『VIDEOPHOBIA』が時代を逆行した正統性を獲得していることへの戸惑いは強まるばかりである。

 

田野辺尚人(映画本編集者)

大阪・夏の夜。不穏な空気が漲る鶴橋、梅田、西成の街。自分の家族も夢も人生も、全てを捨てて走り抜ける女。日本の現代恐怖映画の起点『他人の顔』から50年を経て、『VIDEOPHOBIA』は得体のしれない悪意を新しい形で描き出した。

 

西山智則(ホラー映画研究家)

それは、ウサギに誘われた『不思議の国のアリス』のように、自分というグレイト・ミステリーと向き合う旅だった。怖い。だが、セリフが心に沈殿する。「国中に幽霊がひしめきあっている」今こそ見るべき映画だ。

 

大寺眞輔(映画批評家)

他者からの視線にはしばしば権力と欲望が含まれる。私たちはそれらを恐れ、批判し、告発し、しかし同時に(忘れてはならない!)望み、楽しんでもいる。私たちは自らの/他者からの視線と共に生きている。私たちは一体何者なのか。そしてそのカメラから逃れようとするとき、私たちは一体どこに行くのだろうか。

 

玉本英子(ジャーナリスト・大阪在住)

ぬるっとした空気が漂う映像は謎に満ち、思わず引き込まれてしまった。

色鮮やかな大阪コリアンタウンを舞台に、こんな映画が生まれていたなんて......。

 

山本直樹氏が手掛けた『VIDEOPHOBIA』ポスタービジュアル