最近SNSで、「韓流ドラマが日本に来るとこうなる」というハッシュタグが密かに盛り上がりを見せている。韓流ドラマが日本に上陸すると、作品の内容などおかまいなしに、何でもかんでもラブコメにされてしまう傾向がある。それが韓流ドラマファンの間で話題になっているのだ。

 ポスターの背景はお決まりのピンクにされ、これでもかとキラキラさせられた結果、非常に安っぽくなり、韓国版の面影すら残らない、どれも似通ったポスターになってしまっている。


 これでは視聴者に誤ったイメージを与え、キラキラしたラブコメが苦手な視聴者は見る気にすらならず、ターゲットはほんの一握りの視聴者に限定されてしまう。タイトルポスターにはそれだけの力があるのだ。

 残念ながら、タイトルポスターが日本に来るとダサくなるのはドラマだけではない。韓国映画も日本に来るとタイトルポスターがダサくなってしまうのだ。

◆「感染」と「新幹線」をかけたのはわかるが……
 まず紹介したいのが、日本でも話題を呼んだ『新感染』(2016)だ。

 原題は『부산행(釜山行き)』という極めてシンプルなものである。ソウル発釜山行きの高速鉄道KTXの車内で起こる感染爆発、凶暴化する感染者たちから生き残り、目的地に生きて辿り着けるのか、というストーリーを、余計な情報や先入観を与えることなく、端的に伝えているタイトルとなっている。

 邦題の「新感染」は、日本の“新幹線”とかけているのであろうが、そもそも舞台となっているKTX高速鉄道であり、新幹線とは少し違うものなので、韓国通の視聴者の中には違和感を覚えた人も多いのではないだろうか。このように韓国映画が日本に来ると、原題と全く変わってしまうものが多々ある。

 ポスターデザインも変更されている。この作品は確かにゾンビもの、サバイブものでもあるが、ただそれだけではなく、愛する者を命がけで守ろうとする登場人物たちの姿を描いている。人間ドラマとして作品に深みを持たせることで、他のゾンビ映画と差をつけた作品だ。

 そこを踏まえた上で、どちらのポスターが作品の内容を的確に、効果的に伝えているかといえば、どうしても韓国版であると言わざるを得ない。

 日本版のポスターでは列車やヘリコプターが中央に大きく描かれ、ただのサバイブもののような印象を受けるのに対して、韓国版ポスターでは中央に娘をしっかりと抱きしめる主人公の姿が描かれているからだ。

主人公がぼやけるタイトルの改変

 2013年公開の『傷だらけのふたり』については、『남자가 사랑할 때(男が愛する時)』という原題が完全に改変されてしまっている。

 日本版ポスターには主人公ハン・テイル(ファンジョンミン)と、ヒロイン、チュ・ホンジョン(ハン・ヘジン)の“ふたり”が写っており、タイトルでも”ふたり”と言ってしまうことで、主人公が誰なのかぼけてしまっている。

 しかし本作は、今まで愛を知らなかった借金取りの男・テイルが、一人の女性を愛する時、人生を見つめ直していく、ということが主題なのだ。

 更に、韓国版のポスターの題字は、主演のファンジョンミンの直筆であり、主人公の性格を反映させたような力強さを感じるが、日本版のポスターにはそのテイストが残っていない。

ポスターのわずかな差が映画の意味を変えてしまう

 そして、『虐待の証明』(2020)という、劇中で何が行われるのか一発で分かってしまうこちらの作品の原題は『미쓰백(ミス・ペク)』。

 母親から虐待を受け、施設で育った主人公ペク・サンア(ハン・ジミン)。レイプ事件に巻き込まれた際には、犯人の父親が有力者だったため、逆に彼女が刑に服することとなる。出所後も荒んだ生活を送る彼女を、周囲が揶揄し呼んでいた呼び名が「ミス・ペク」である。

 この呼び名こそが、彼女がどんな人生を送ってきたかそのものであり、虐待や、過去の経験から生まれる葛藤を彼女がどう乗り越えていくかというストーリーを巧みに表したタイトルだと思う。

 そして一見かなり似た感じのポスターになっている気もするが、日本版ポスターの傷・汚れ加工のなんと大げさなことか……。こんなにも悲惨でかわいそうな人たちの物語です、とでも言いたいのだろうか。

 主人公は心に負った傷こそあれど、それを乗り越え、自分と同じような境遇の少女を救おうとする力強い姿を見せてくれる。決して、虐待を受けてかわいそう、というところがフィーチャーされている訳ではない。

 筆者は今作の韓国での評判を知っていたので観ることにしたが、日本版のタイトルポスターだけを見ていたら、正直観る気になれなかったであろう。

◆「無垢」という余計な一言

 次に紹介するのは、『無垢なる証人』(2020)という作品である。

 原題は『증인(証人)』と、これまたシンプルだ。

 殺人容疑者の弁護士・スノ(チョン・ウソン)が、容疑者の無罪を立証するため、事件の唯一の目撃者である、自閉症の少女ジウを証人として法廷に立たせようとする中で、次第に彼女を理解していく……というストーリーの映画だ。

 邦題の”無垢なる”という言葉は、彼女が自閉症であることを示したいのだろうか。決して悪い意味で使われているわけではないが、自閉症の少女に無垢で純粋であってほしいというファンタジーが投影されているように感じられる。余計な一言に思えてならない。

 このように、邦題にするときに、余計な一言を付け加えてしまうパターンも非常に多い。

 ポスターについては、“心が近づいたとき、真実が見えてくる”とキャッチコピーにあるように、弁護士のスノが、目撃者であるジウと心を通わしたからこそ、事件は解決に向かったのだし、そして何より今作では、事件の解決よりも、その過程で生まれる二人の心の交流こそが主題なのである。

 そう考えると、二人が深刻な表情で反対方向を向いている日本版ポスターより、目を見つめ合いながら微笑んでいる韓国版ポスターが遥かに作品の意図を伝えているように思う。

タイトルのせいでネタバレ
 ダサいだけならまだいいが、中には一言付け加えたばかりに、映画の結末を観客に予想させてしまうものまである。それが『沈黙、愛』(2017)である。

 この映画の原題は『침목(沈黙)』である。

 大手ゲーム会社の代表であり、投資ブローカーとしても活動しているイム・テサン(チェ・ミンシク)の婚約者で著名な歌手のユナ(イ・ハニ)が殺害され、彼の娘ミラ(イ・スギョン)が殺人容疑で逮捕されるが、イムは娘の無実を証明するために独自に調査を始めていく……というストーリーである。

 犯人は誰なのか?真実は一体何なのか?という先の読めないドキドキハラハラ感が本作の魅力の一つであるが、クライマックスに、これはどうなるんだろう?と思った時、“タイトルに愛が入っているから、こういう結末なのでは?”と予想できてしまった人は少なくないのではないだろうか。

 また、韓国版のポスターと日本版ポスターで大きく違う点がある。

 韓国版では「その日何があったのか必ず知らなくては」という力強いキャッチコピーにふさわしく、主演チェ・ミンシクの、こちらを見つめる鋭い視線が印象的だ。一方、日本版では「愛する恋人が殺された。容疑者は最愛の娘。娘は本当に犯人なのか?」と不安げなキャッチコピーとともに、悲痛な表情を浮かべたチェ・ミンシクが映し出されている。

 ネタバレになってしまうので多くは言えないが、クライマックスに分かる、主人公の選択を見れば、韓国版のポスターがピッタリだということが分かって頂けると思う。

◆年配男性から「とにかく分かりやすく」を求められる
 他にも例を挙げればキリがないが、共通して言えるのは、韓国映画が日本に来ると、タイトルポスターも分かりやすくしようとすることで、逆に誤った作品のイメージメッセージを植え付けてしまったり、原題や韓国版ポスターの持っているセンステイストを損なってしまっているということだ。

 ある配給会社の社員によると、原題や韓国版ポスターニュアンスを尊重しようとしている社員ももちろん多いが、決定権のある年配の男性陣に、「とにかく分かりやすく」というのを常に要求されるという。

 そして、彼らの、分かりやすいタイトルポスターでなければならないという考えの裏には、日本人の映画離れもうかがえるかもしれない。

 作品のテイストメッセージを正確に伝えてくれるタイトルポスターになることを願ってやまない。

<文/平良旺子>

【平良旺子】
ライター立教大学文学部卒。韓国語、韓国文化に精通。