焦るトランプ氏に残された切り札2つ
11月3日の米大統領選まで1か月を切り、ドナルド・トランプ大統領の目の色が変わっている。
9月17日以降、日曜日を除いて5夜連続、大統領選専用機エアフォースワンで激戦州を飛び回っている。
といっても、空港に乗りつけるや、滑走路脇に作らせた特設会場に支持者を集め、そこで講演するだけ。
目減りしているとされる熱狂的なトランプ支持者にこう訴えるためだった。
「俺は約束したことは守る。方針はぶれない。政治家は政治理念とか、社会通念ではない。約束したことを実現するかどうかだ」
「コロナだっていつかは終結する。感染が拡大しているのは俺のせいじゃない。誰がやっても同じことだ」
「悪い奴は中国だ。奴らがばらまかなければこうはならなかった」
1時間を超える講演(というよりもアジ演説と言った方がいいかもしれない)を終えると、またエアフォースワンに乗り込み、そそくさと帰路につく。その繰り返しだ。
保守系のフォックス・ニュースやワシントン・エグザミナーを除けば、主要メディアはほとんど報道していない。
再び感染者が増えている中で、屋外なら人が密集しても新型コロナウイルスには感染しないだろうという大統領の「哲学」からなのだろうが、受けれ先の地元は迷惑顔だ。
なぜトランプ大統領はそれほど焦っているのか。
現在各種世論の平均値ではジョー・バイデン民主党候補が依然3.1%差でリード。
2016年の大統領選ではドナルド・トランプ共和党候補が抑えた中西部の激戦州、ウィスコンシン、ペンシルベニア各州でもバイデン氏が優勢だ。
形勢不利とみた(?)トランプ氏はここにきて、「この選挙は史上最も不正確かつ詐欺的選挙になるだろう」と、投票日の延期を言い出している。
コロナウイルス禍から投票方式が郵送に移行させることに不満たらたらだ。郵送になると、それだけ民主党に有利になるとされているからだ。
劣勢を挽回するには中西部州の非都市圏に住む白人ブルーカラー層や中産下層票を掘り起こすことが不可欠だ。
これらの層の民主党への反発を煽り立て一票でも多く集めることが至上命題になってきた。
たとえ一般投票獲得数でバイデン氏に負けても中西部、南部に沁みついた共和党有利な選挙人制度で選挙人538人の過半数270人を取ればいいのだ。
主要紙のホワイトハウス担当記者は筆者にこう囁く。
「トランプ氏に残された道具は2つ。ツイッターとエアフォースワンだ」
「こればかりは独占できる。いくら主要メディアが連日のように悪口を言おうと、これさえあれば自由にどこへでも飛べるし、言いたいことを言える」
千載一隅の「最高裁判事人事」
そこに降って湧いたように起こったのが最高裁の女性リベラル派判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の急逝だった。
直ちに後任判事を指名する権利がトランプ氏に転がり込んだ。
米国の潮流を変え、歴史を作るのは最高裁だ。
黒人に白人と同じ平等な権利を保障したのは1954年の最高裁の「ブラウン対トピーカ教育委員会事件」判決だった。その後の公民権運動に画期的な影響を与えた。
「言論の自由」についてその後の判例を決定づけたのは1971年の「ペンタゴン・ペーパーズ」判決だった。大統領の特権が著しく弱められたプレスの勝利だった。
今国論を分けている人工中絶や銃規制に最高裁が将来どのような判断を下すか。
それを決めるのは9人いる最高裁判事がどのような意見を持っているかに左右される。ギンズバーグ判事が死去したため最高裁判事の色分けは保守派5人、リベラル派3人となった。
トランプ大統領を担いできた共和党にとっては千載一隅のチャンスだ。
「トランプ再選には黄信号が点滅し始めている。トランプ氏の悪影響を受けて上院も共和党は過半数を失う可能性も出てきている」
「共和党は親トランプでも反トランプでも一つ共通していることは、最高裁を保守派判事で固めること。常に過半数を取ることだ」
「そのためにはトランプ氏には何が何でも保守派判事を指名してもらい、今年中に上院がその人事を承認すること。トランプ氏にとっては最後のご奉公だよ」
トランプ氏はギンズバーグ判事の葬儀の直後に判事候補を指名することを明らかにしている。大統領周辺からは女性判事候補を選ぶといった憶測も流れている。
そうした中でエイミー・バレット連邦第七区巡回裁判所判事が有力視されている。
ノートルダム大学法科大学院を経て法曹界に入った保守派法律家で、共和党主流派には「ロックスター的存在」のようである。
学者グループによる投開票後全シナリオ
今回の大統領選は11月3日の投開票日にはどちらが勝利者か判明しない可能性がある。
ワシントン・ポストは、「開票作業が始まる11月3日から結果判明まで1週間以上かかる可能性がある」とする調査結果を伝えている。
コロナウイルス感染に伴う開票作業の遅れと郵便投票の利用者増が影響して、集計に時間がかかるからだ。
1週間後に選挙結果が「バイデン勝利」と出た場合でもトランプ氏は「選挙結果は不正に基づくものだ」と主張するかもしれない。
来年1月20日の大統領の任期切れになってもトランプ氏はホワイトハウスに居座り続けることもありうる。
11月3日の投開票を踏まえたありとあらゆる状況を想定し、起こりうるシナリオを予想した分析結果が出ている。
ジョージタウン大学法科大学院のローザ・ブルックス教授やエドワード・フォーリー・オハイオ州立大学法科大学院教授など、錚々たる政治、法律学者100人による分析をまとめた「トランジション・インテグリティ・プロジェクト」(TIP=高潔な政権移行に関するプロジェクト)がそれだ。
要約すると以下の通りだ。
一、ペンシルベニア州などの激戦区ではコロナウイルス禍や郵便方式・不在者投票などから開票結果が著しく遅れる可能性が大だ。
一、特にトランプ、バイデン両氏の選挙人獲得数がともに過半数の270人に迫るような状況になれば、メディアによる当落速報はできなくなる。
一、投開票日から結果が分かるのが1週間以上かかるとなれば、その間に両陣営の支持者は騒ぎ出し、デモや集会が全米各地で起こりうる。一部暴徒化するかもしれない。
一、当落が判明しない場合はトランプ大統領の任期切れまでトランプ氏は絶対的権限を持つ。
トランプ氏は開票所の治安を確保するために武装連邦職員を出動させることもできる。暴動が起き、「内戦状態」だと判断すれば、米陸軍緊急展開部隊の第82空挺師団*1を出動させることもできる。
これは1807年に制定された「反乱法」に基づく大統領権限だ。
*1=米国内外で起きた「反乱状態」を鎮圧する目的で作られた緊急展開部隊でノースカロライナ州フォートブラッグに駐屯。規模は1万800人。
エリート元軍人2人の「下剋上」
最終的にはトランプ氏の敗北が確定しても同氏がなおホワイトハウスに居残り、大統領の座を下りない場合はどうすべきか。
そうした想定で「その時は米軍が力を行使してトランプ氏をホワイトハウスからつまみ出せ」と主張する退役軍人2人が現れた。
その主張は、米軍トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長にあてた公開状の形をとっている。
同議長にその時大統領になっているバイデン氏に進言せよ、という「下剋上」である。
軍の力の行使とは、すでに触れた大統領権限で出動できる米陸軍緊急展開部隊、第82空挺師団のことである。
おかしな話だが、バイデン大統領がトランプ前大統領に対して行使する軍事行動だ。まさに主客転倒した話なのだ。
このエリート元軍人のうち、一人はジョン・ネグル退役陸軍中将(54)。もう一人はポール・イェングリング退役陸軍大佐(50)。
ネグル氏は、陸軍士官学校を優等で卒業後、ローズ奨学生として英オックスフォード大学に留学、博士号を取得している。
2008年から10年間兵役に就き、その間イラク戦争に従軍。除隊後は外交問題評議会メンバーとなり、その後リベラル派シンクタンクの「センター・フォア・ニューアメリカン・センチュリー」理事長を務めたこともある。
イェングリング氏はデュケイン大学(ペンシルベニア州)を経て、シカゴ大学大学院で修士号を取得。
湾岸戦争やボスニア戦争に参戦し、その体験を基にベトナム戦争からボスニア戦争に至る米軍の軍事戦略の失敗は軍指導部にあると指摘した論文を軍事雑誌に寄稿して問題になったことがある。
両氏の主張は単純明快だ。
一、トランプ氏が大統領選の結果を無視することは米国民の大統領選に対する信頼を著しく汚す行為だ。
一、その行為は恥ずべき行為であるとともに犯罪行為でもある。
一、ホワイトハウスを離れることを拒み、「私兵」(武装連邦職員を意味するものと思われる)を雇って防御するようなことがあれば、その行為は有権者の意思を無視するだけでなく、法執行に対する挑戦である。
一、こうした状況が大統領任期切れの来年1月20日まで続くようであれば、米国憲法を守る唯一の機関は米軍しかない。
ベラルーシ並みの国家に成り下がる米国
無論ミリー議長はこの公開状には一切コメントはしていない。
だが反響は広がり、「世界の良識」とされるノーム・チョムスキー博士は英誌「ニュー・ステーツマン」とのインタビューで2人の元軍人の主張を全面支持してこう述べている。
「今世界は1930年代の危機よりももっと大きな危機に直面している。地球温暖化の危機、核戦争の危機、そして権力主義台頭の危機だ」
「この3つの危機を煽り立てているのがドナルド・トランプ氏だ。トランプ氏は大統領選に負けても居残るつもりのようだ」
「そのトランプを排除するためには、米陸軍緊急展開部隊をホワイトハウスに出動させることだ。それは米軍の責務でもある。2人の元軍人が主張する見解は正しい」
(https://www.newstatesman.com/world/2020/09/noam-chomsky-world-most-dangerous-moment-human-history)
大統領選を8回も取材してきたベテラン・ジャーナリストT氏はトランプ大統領の言動をこう表現した。
「これまでにも共和党極右候補や民主党左派候補が対立する選挙戦を目撃してきたが、今回のような風景は初めてだ」
「選挙の前に負けても辞めるかどうか分からないという候補がいるとは・・・」
「辞めないなら軍が出動せよといった声が軍サイドから出てきて、それを超リベラル派の識者が同意するなど空前絶後のことが起こっている」
「この国は今やベラルーシや中南米の国のようになってしまったのか。民主主義大国だ、世界の手本だ、と言っていたのはどこの国だったのか」
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