日本を「関東」と「関西」で分けるとしたら、境界線はどこにあるのか――

みなさんはこんな疑問を持ったことはないだろうか。なんとなく東京を中心とした東側は関東、大阪を中心とした西側は関西というイメージがあるが、厳密な境界は定まっていない...はずだった。

ツイッターでは、岐阜県関市でこんな「宣言」が発見されたと話題になっている。

関市の「宣言」が話題(画像はまむる@yuukimamuruさん提供)
関市の「宣言」が話題(画像はまむる@yuukimamuruさん提供)

「関より東を『関東』、関より西を『関西』という。ここに、関市か関東・関西の分岐点であることを宣言する」

関東と関西ってそういう意味だったのか...?宣言日は「平成4年4月15日」。つまり1992年のことなので、約30年前。けっこう最近だ。

にわかには信じがたい宣言だが、地理的には関市は日本のほぼ中央に位置。あながち間違いではないのかもしれない。

この写真はツイッターユーザーのまむる(@yuukimamuru)さんが2020年9月20日に投稿したところ、話題に。他のユーザーからは、

「岐阜舐めてました...すんません」
「やった!これで岐阜市民は関西民だ!いえーい()」
「関はどちらに所属するんですか!?」

といった声が寄せられている。

なぜ関市を分岐点に?

Jタウンネット9月25日、関市観光課の担当者に詳しい話を聞いた。

宣言のモニュメントは関市の展示施設「関鍛冶伝承館」の玄関前に設置。担当者によれば、宣言の経緯には関市の歴史的背景と、地理的要因が関係しているという。

食べ物や言葉など、古くから東西文化の要地だった関市。京都から飛騨に通じる交通の分岐点として栄え、「関所」が置かれたことから「関」という地名になった。

そして、関市は日本列島のほぼ中心に位置。また、1990年平成2年)の国勢調査では、人口重心地が岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)に存在したことも要因の一つになったそうだ。

ここで気になるのが、人口重心地が美並町にあったことと、関市の宣言の関係性。担当者に聞いてみたが、詳細はわからなかった。

ただ、2005年に合併した旧・美並村と、04年に合併した旧・関市は、美濃市を挟んで比較的近い場所に位置しており、それが関係しているのではないかと担当者。

なお、05年、10年、15年の国勢調査における人口重心地は関市の武儀地域だ。

関市は関東or関西?市の回答は...

関市が設置したのは、実はモニュメントだけではない。近くには「W・Eセンターポールせき」と呼ばれる、高さ8メートルポールが立っている。

W・Eセンターポールせき(画像は関市観光課提供)
W・Eセンターポールせき(画像は関市観光課提供)

担当者によれば、ポール上部の球体は鳥の心臓部を表現。球体を貫く細いパイプは、「関東ライン」と「関西ライン」を示しているという。2つの細いパイプラインは球体の中で交差し、東西の文化が交流する様を表しているそうだ。

ツイッターでは「元関市民だけど知らなかった」とのコメントも見られたこの宣言。関市民はこの宣言をどのように思っているのだろうか。担当者に聞いてみると、

「小さいころから日本の真ん中にある市という認識はあると思います。ただし、残念ながらこの宣言についてはあまり知られていないのが現状です」

とのことだった。残念。

ちなみに東西の分岐点というのはあくまで宣言であり、「関東」「関西」の語源ではないと担当者。ツイッターでも散見された「関市は関東か、関西か」という問いに対しては、

「岐阜がどっちつかずなので、難しいです。関西の文化ではないし、どちらかといえば関東でしょうか。でも周囲の人とは、やっぱり中部だよねという話をしました」(担当者)

...やはり関東・関西の区分は、一筋縄ではいかないようだ。

関市の「宣言」が話題(画像はまむる@yuukimamuruさん提供)