浸水した特別養護老人ホーム「千寿園」(奥)へ救助に向かう自衛隊員[陸上自衛隊第24普通科連隊提供/時事通信社

 2020年7月豪雨は、各地に深刻な被害をもたらしました。熊本県では、球磨川の本流・支流で氾濫が起こり、流域の人命、財産が失われました。球磨川中流にある特別養護老人ホーム・千寿園では14人の方が亡くなりました。

 気候危機の時代にあって、こうした水害は今後、全国で発生する可能性があります。水害を防止し、または少しでも小さくするために、何が必要なのか? 『日本の堤防は、なぜ決壊してしまうのか? 水害から命を守る民主主義へ』(現代書館)を上梓したばかりの弁護士・西島和氏に球磨川の治水を振り返って考えていただいた。

◆「子孫に球磨川という宝を残せるように」川辺川ダム白紙撤回
 2008年、蒲島郁夫・熊本県知事が、球磨川の支流・川辺川に計画されていた川辺川ダム計画を「白紙撤回」すると宣言しました。

 川辺川ダム計画については、2001年から国と住民との間で対話を行う「住民討論集会」が開催され、国は川辺川ダムが流域の水害対策にどのように役立つのか、説明することができませんでした。
 清流川辺川・球磨川は、尺鮎とよばれる大きく香ばしい鮎がすむ場所、ラフティングなどの水遊びの場所として、地域に恵みをもたらしてきました。この川辺川・球磨川を守りたいという地域の声、そして、水害を拡大させるダムではなく川底の掘削などの「流す」機能を向上させる対策で水害への安全度を高めてほしいという地域の声が、知事の「白紙撤回」宣言へ結びつきました。

◆結論ありきだった「ダムによらない治水」の検討
 2009年1月、「ダムによらない治水対策を追求する」として「ダムによらない治水を検討する場」の第1回会合が開かれました。この会議には、国と県、関係市町村が参加し、「ダムを前提とした計画」にかわる対策について協議されるはずでした。しかし、約1年半にわたり会合を重ねても、国からはいくつかの「直ちに実施する対策」が示されただけで工程表が示されず、第8回会議では流域市町村から次々に抗議の声があがります。

「(直ちに実施とされている対策について)だいたい5年とか、10年とか年数を示していただくことはできないだろうかと思っております」(水上村長)
「実際洪水を受けているところがあって、もう8回もやって(略)どういうものを整備をしなくちゃいかんということをお示しをいただくべきじゃないですか」(球磨村長)「今のような国の、いつまで経ってもですね、いつまでどこまでするか分からないような計画ではですね、我々は住民に対して、説明責任がとれません」(錦町長)

 その後、国から「事務レベルの協議」でスピードアップを図ることが提案され「幹事会」を開催することになるのですが、「事務レベル」でスピードアップするはずの会議は、2年8ヶ月間の間に5回しか開催されず、挙句の果てに、「追加して実施する対策」によっても全国レベルより低い安全度しか実現しない、との見解が示されます。
 2014年4月の第10回会議で、蒲島知事は「現時点で最大の検討が尽くされた」が「全国の直轄河川に比べて低い水準にとどまっている」と発言。2015年2月の第12回会議では「川辺川ダムに代わる対策を見出すことに至りませんでした」として「ダムによらない治水を検討する場」は廃止されます。

 ここまでの議論で、結局「直ちに実施する対策」「追加して実施する対策」がいつまでに完成するのかは示されていません。例えば、地元が強く要望していた上流の人吉(ひとよし)地区の「流す」対策は一部盛り込まれましたが、これが「いつまでに実施されるのか」との住民の問いに、国は「期間を示すことはできない」と突き放しています。

 その後、球磨川の治水をめぐる議論は「球磨川治水対策協議会」へと転換し、「川辺川ダムに代わる対策を見出すことができませんでした」といいつつも「川辺川ダムに代わる対策」が延々と議論され、「川辺川ダムなしでは対策に100年かかる」といったふまじめな「プランB」(代替案)が提示されています。
 本来、河川法にもとづき策定されるべき「河川整備計画」は、30年程度の期間で実施する対策をもりこむことになっていますから、国は2009年以降早急に「30年間で実現できる現実的な対策」を示さなければなりませんでしたが、こうした対策はついぞ示されていません。こうした経過からは、「やっぱりダム」「どうしてもダム」の路線ははじめから既定となっていたようにみえます。

 なお、蒲島知事について「ダム反対派」というイメージで語られることがありますが、知事のこれまでのダムに対する姿勢をみると、ダム中止を求める裁判に負けた(高裁では住民逆転敗訴)路木(ろぎ)ダム建設を強行したり、前知事が決めていた荒瀬ダム撤去を撤回してダムを残そうとしたり(その後撤回を撤回してダム撤去が実現した)、上流の水害の原因となっているとして流域住民が撤去を求めていた瀬戸石(せといし)ダムの水利権を更新してダム撤去を阻んだりと、どちらかというとダム建設の推進・ダム撤去の阻止に熱心なようにみえます。今後、川辺川ダムについてどのような姿勢を示すのか、注目されます。

 いずれにしても、10年にわたり「ダムによらない治水を検討するフリをする」会議が行われていた間、球磨川の水害対策につけられていた予算は年間20~30億円程度です。国は、予算の充実をのぞむ自治体首長に対し「公共事業全般非常に(予算が)減ってきている」と弁解していますが、川辺川ダムの事業費は3300億円ともいわれており、文字通り桁違いです。
 ダムについては巨額の予算つけられるのに、「流す」対策への予算の積み増しはされない、むしろダムの建設が始まりダム予算が増大すると「流す」予算は減っていく、というのがこれまでの日本の水害対策の特徴です。重要なのは公共事業予算の総額ではなく、使いみち、優先順位だといえます。

◆瀬戸石(せといし)ダムが拡大した球磨川洪水の被害
 2020年8月に開催された「令和2年7月球磨川豪雨検証委員会」では、「川辺川ダムがあれば水害が防げた可能性」を記した資料が提出されました。今後、川辺川ダムの効果が議論のテーブルにのせられ、国がさまざまな数字を出してくるでしょう。

 こうした「検証委員会」の動きに対し、地域住民から「川辺川ダムありきの検証が、流域住民の生命財産を再び危険にさらす」とする抗議文が提出されました。

 川辺川ダム計画ができてからというもの、数十年にわたり、水害対策=ダム建設とされ、肝心の「流す」対策がとられないままきたのですから、抗議は当然です。抗議文は、ダムについて議論する前に、地域ごとに異なる氾濫の原因を調査するとともに、今回の水害の特徴(大量の流木や土砂の流入など)をふまえ堆砂を速やかに撤去することなどを求めていますが、注目していただきたいのは、「瀬戸石ダムによる影響について検証すること」という項目です。
 瀬戸石ダムは、Jパワーが管理する発電用のダムです。一般的に、川の水が上流からダム湖に流れ込む「入口」では流速が落ち、水とともに流れてきた土砂がダムの入口からたまっていきます。このようにダム湖にたまる土砂は「堆砂」とよばれ、この堆砂が瀬戸石ダムの上流には大量にたまっていました。Jパワーはこの堆砂をきちんと管理しきれず、上流の水害を拡大させてきました。
〈参照:瀬戸石ダムの堆砂などをとりあげたNHKクローズアップ現代+「豪雨被害を拡大?!あなたの町のダムは安全か」

 2020年7月豪雨では、洪水が瀬戸石ダム本体の上を流れた痕跡があります。〈参照:熊本豪雨で球磨川「瀬戸石ダム」が決壊危機 現場証拠写真|デイリー新潮

 こうした痕跡からは、瀬戸石ダムの堤体とゲートが洪水を堰上げ、上流の水害を拡大した可能性がうかがえます。また、瀬戸石ダムの上流にたまっていた大量の堆砂が、洪水の激流とともに流れ下ったとすると、下流の水害を拡大させた可能性も否定できません。

 熊本県は、地域住民の求めを真摯に受け止め、瀬戸石ダムの影響についての検証を行わなければならないでしょう。今回の水害で発電機能を喪失し、たんなる危険施設となった瀬戸石ダムの撤去は急務ですが、瀬戸石ダムを撤去してなお、流域にどのような危険が残るのかを検証することが、今後の対策を考える上で必須と思われます。

◆公共事業をめぐる状況の変化と「流域治水」
 今年7月、国土交通省の審議会が「気候変動を踏まえた水災害対策のあり方について~あらゆる関係者が流域全体で行う持続可能な「流域治水」への転換~」という提言を発表しました。水害対策をダムや堤防など「川の中」だけで考えるのではなく、災害リスクの高い土地は宅地などに利用しないようにするなど、川の外側も含めて対策を検討すべきこと、こうした対策の検討には流域のあらゆる関係者の参加が必要であること、等が提言されています。

 こうした提言の背景には、公共事業をめぐる状況の変化があります。

 高度成長時代に大量につくられハードインフラが50年を超え、メンテナンスが追いついていません。インフラメンテナンス状況のうち、河川管理施設についての詳細は公表されていませんが、道路については「道路メンテナンス年報」というかたちで比較的詳しい情報が公表されています。2020年の年報によると、点検の結果「Ⅳ(緊急に対策が必要な施設)」に分類された道路橋・トンネル等812施設のうち3割程度が撤去・廃止とされています。ハードインフラは否応なく選択と集中の時代を迎えています。
 インフラメンテナンスを含む公共工事を担う建設業は、他の産業とくらべて高い割合で就業者の数が減っていくとの予測があり、人手不足が心配されます。〈参照:国土交通白書2020

産業別就業者数の予測
出典:『令和2年版国土交通白書』pp113

 気候変動時代にはいり、「想定外」の大雨が頻発しています。「想定外」の災害に対しハードインフラの機能する範囲には限界があり、とりわけダムはふさわしくありません。ダムが水害対策に役立つ降雨は限定的で、想定を超える降雨があればいわゆる「緊急放流」によって下流の被害を拡大させる可能性があります。〈参照:「ダム、必要以上に下流へ放流か 豪雨時に4基で水位低下」2020年8月18日朝日新聞

 日本に多くの治水ダムがつくられてきたのは、様々な方法でダムの効果が水増しされ偏重されてきたからであり、その結果が鬼怒川水害、肱川水害のような堤防決壊による大水害です。〈参照:「ダム偏重政策が招いた「肱川大水害」。今こそダム建設継続より肱川の河道改修に全力を投じよ」2019年4月5日HBOL〉(ダムと堤防決壊との関係については、拙著『日本の堤防は、なぜ決壊してしまうのか? 水害から命を守る民主主義へ』で解説しました。「提言」も堤防決壊を防ぐ方策について言及しています)

 こうした状況の変化に加え、災害リスクの高い土地に、千寿園のような高齢者施設などいわゆる「災害弱者」が利用する施設(要配慮者利用施設)が立地しているという現状があります。これまで、国が土地利用の規制を適切に行ってこなかったために、利用者の生命を危険にさらしているのですが、安全な土地への移転費用についての国の支援は限定的です。

 こうした課題は、水害対策がまちづくりの視点を欠いたまま河川工学の専門家だけで議論され、ダム偏重の水害対策が決定されてきたという「非民主的」「タテワリ」政策決定プロセスに起因するものです。流域治水の提言は、水害対策に関する政策決定プロセスの転換を求めるものです。

 流域市町村は、2015年1月、「球磨川(国、県、市町村管理区間)において、出水に対して安全度が低い区間があり、これらの解消に最大限の対策を早急に講ずること」を熊本県要望していました。

 国、熊本県は、今こそ、流域のあらゆる関係者を参加させた民主的な手続で対策の工程表をつくり、流域の命を守る「流域治水」を実現してもらいたいと思います。

<文/西島和(弁護士)>

【西島和】
にしじまいずみ弁護士。 八ッ場ダム住民訴訟、成瀬ダム住民訴訟、 スーパー堤防事業差止訴訟にかかわるなかで、 さまざまな専門家から指導を受け、水害対策や日本の 民主主義について深く考えるようになる。 (一社)JELF理事。デジタルハリウッド大学非常勤講師(法律科目)。著書に『日本の堤防は、なぜ決壊してしまうのか?』(現代書館)

浸水した特別養護老人ホーム「千寿園」(奥)へ救助に向かう自衛隊員[陸上自衛隊第24普通科連隊提供/時事通信社]