コロナが世の中を大きく変えた。国内では「GoToトラベルキャンペーン」があったとはいえ、海外への移動は未だに難しい状態。また、“三密”を生み出すイベントなどは軒並み中止となり、現在は入場者数の制限のもとでようやく再開されつつもあるが、以前のようにはいかなくなってしまった。

 そこで働いていた人たちのなかには、窮地に立たされ、人生設計を再考せざるを得なくなってしまったケースもある。「私の仕事は誰にでもできるものではない」とプライドをもってのぞんでいたはずなのに、それが裏目に出て……。

◆「私は人より優れている」と思っていたけど…

「自分は選ばれた人である、人よりも優れている……そうどこかで思っていたんです」

 千葉県佐倉市の飲食店に現れたのは、外資系大手航空会社社員で、今年5月まで国際線内で客室乗務員として活躍していた堀口真奈美さん(30代・仮名)である。大学卒業後、国内大手航空会社の子会社に入社したが、ステップアップしたいと経験を積み、語学勉強をして、今の会社に転職。収入も以前より増え、同年代男性の平均収入と比較しても遜色ない程度にアップした。

「客室乗務員になりたいと思ったのは幼稚園の頃。父が海外駐在員で、国際線に乗る機会が多かったんです。英語も得意でしたし、モデルをしていたこともあり、容姿についても不安はなかったんですが、第一希望の航空会社にはご縁がありませんでした。子会社に入ってみたものの、思い描いた仕事とは違っていて……」(堀口さん、以下同)

 いま振り返ってみれば、「私は人より優れているはず」という思いがあったという堀口さん。同じ志を持った仲間たちが大手航空会社への内定を勝ち取ると「おめでとう」と喜んだが、内心は穏やかではなかった。

 逆に、客室乗務員としては採用されず、グランドスタッフなど地上職員になった仲間たちには「チャレンジを続けよう」と励ましつつ、見下した。兎にも角にも「客室乗務員になれた」自分を及第点とし、成功した仲間と肩を並べるべく奮闘したのである。

「外資に籍を移して、仕事の内容はそれほど変わらないのに、環境や人付き合いは一変しました。社内の日本人女性は外国人の夫を持つ人も少なくない。私もあと数年働いて、社内の外国人男性と結婚したいと考えていました。そこまでが、私の夢だったんです」

コロナで狂った歯車

 ところが、このコロナ禍である。堀口さんの搭乗回数は5月までには完全にゼロになり、無休の休暇に入るよう会社から命じられた。堀口さんは海外の本社採用ではなく、アジアエリアの採用ということで、真っ先に契約を打ち切られる立場であることも今更知った。

 契約社員はすでに会社を去っており、堀口さんのもとに辞めるか辞めないかの「最後通牒」が来る日も近い……。

「私は特別、普通の人とは違う、世の中に必要とされる人間だと思っていました。小さな女の子たちの憧れの職業についているとも思っていました。私の代わりはできないとも感じていました。でもコロナのおかげで移動が必要なくなると、私は真っ先にいらない人間になった。前にいた会社の同僚は、今も機に乗って活躍している。私ってなんだろうと自問自答する日々です」

 なるには「狭き門」をくぐらなければならない、ところがその仕事は「潰しが利かないもの」であり、コロナ禍で転落してしまった……という例は他にも。

◆「収入がゼロに」突きつけられた現実

「3月分から収入はゼロ、全くゼロの状態でもう半年です。最初は、事務所の社長が何か仕事をくれるとか、最悪お金を配る、と言っていたのですが……」

 都内の芸能プロダクションに所属する中山かおるさん(仮名・20代)は、いわゆる「キャンペーンガール」。国内外で行われる企業の展示会に出演したり、ショーモデルとしてイベントに呼ばれたりもした。

「キャンペーンに出ると言っても、レベルがあるんです。例えば、国内のイベントにしても、どのイベントに出るかで格があります。私は格が上の方で(笑)、同じ事務所の子が国内のマイナーイベントに出ているのをみて、正直ホッとするというか……」(中山さん、以下同)

 キャンペーンガールと言っても、立場は千差万別。従って収入も違う。

「私の場合は事務所からもらえるお金の他に、お小遣いというかお手当てもいただきました。別の子は、クライアントに食事に連れて行ってもらえるだけなのに、私には食事プラス交通費もつく、みたいな。そういった副収入が結構ありました」

 ところが、やはりコロナ禍によって大規模なイベントは全て中止に。入っていた予定は全てキャンセルとなり、ただただ、自宅に引きこもる日々が続いた。

「4月の最初に国内のイベントで仕事があると言われたから話を聞いたら、地方の産業展。ムリ!って断ったけど、仕事の依頼はそれが最後でした」(中山さん

 結局、中山さんが格下に見ていたという仲間たちは、食べるために件の産業展の仕事へ。その仕事がきっかけで、とある省庁関連の仕事が事務所に舞い込んできたが、中山さんに声がかかることはなかった。

「会社なんか何にも頼りにならないと思って、よくしてくれていた会社の方に連絡を取ったりしたんですが。どこも仕事がないどころか、俺の秘書になれと笑いながら言ってくる人もいて……。

 私、一応きちんと仕事はしてきたつもりでした。美容にもプロポーションづくりにも努力したし、どんな場所に出ても見劣りしないよう、話し言葉の勉強もしました。でも結局、仕事がなくなると、何にもできない『ただの人以下』なんだなって」

◆「誰にでもできる仕事」ではない仕事があだとなり…

 中山さんの仕事は専門的で、決して「誰にでもできる仕事」ではなかった。

 ただ、その仕事がなくなれば中山さんも必要とされない。気がついた時には、専門的な仕事しかできず、もはや「誰にでもできる仕事」もできなくなっていた。この現実に、中山さんプライドはズタズタに引き裂かれた。

「吹っ切れるまでに半年かかりました。いつ再開するかわからないイベントを待ち続けるより、私にしかできない仕事を自分から探しに行きます。今は家業を手伝いながら、栄養士になるための学校に通っています」

 新型コロナウイルスが白日のもとに晒し出した現実。これを不幸だと悲しみに暮れ続けるか、きっかけとして捉え行動に移るか。新しい時代を生き抜こうと、多くの人がスタートを切っている。<取材・文/森原ドンタコス