セックスして一人前」
 こういう風潮にモヤモヤした経験、ありませんか?

 セックスということが、何か「大人になるための通過儀礼」であるかのようにされ、逆にその儀式を経験していないことは「未熟であり、モテない」とされてしまう風潮です。

 世の中に出回っている物語や広告でも、男女のカップルが精神的にも肉体的にも結ばれることこそがハッピーエンドとされるものにあふれていて、それ以外の幸せの形がないことにされているように感じます。

 今回は、フィクトセクシュアルというセクシュアリティを自認する主人公が、この世の中の"セックス至上主義"について感じるモヤモヤの体験談をマンガでご紹介します。

フィクトセクシュアルとは、架空のキャラクターのみに性的魅力を感じるセクシュアリティで、広義のAセクシュアルに含めて捉えられることも多い様です。キャラクターとの関係の結び方も、人それぞれです。

【漫画で見る】「セックスして一人前」という風潮にモヤモヤする話

 ある一面では、誰とも性経験をしたことがないということが"純粋さ"として評価され、ある一面では経験のなさを「未熟、性的に魅力的ではない」と評価されます。また性経験がないのが男性の場合は、ホモソーシャルな空気の中で「女すら手に入れられない劣った存在」と評価される"童貞いじり"を耳にすることも多いですよね。

 性経験にまつわる価値づけは、本当に様々な形で私たちにプレッシャーを与えてきます。

 私たちの生きる社会では、様々なセクシュアリティを持つ人がいます。フィクトセクシュアルをはじめ、他者との(物理的な)セックスを望まない人は実際にはとても多くいます。Aセクシュアルというセクシュアリティも少しずつ、知られるようになってきました。

 しかし、いまだに映画やドラマで語られるハッピーエンドは、ほとんどが男女が恋愛を通して結ばれるというもの。そして直接的な表現の有無はありますが、多くの場合セックスも想定された関係性ではないでしょうか。

 そんな社会の中で、その人自身はセックスを「人生に必須の幸せの要素」とは捉えていない場合でも、「それこそが人生に必須の要素」とするプレッシャーを日々受けてしまい、生きづらさを感じている方は多くいるのです。

 もちろんセックスによって何か学びを得る人も多くいると思います。人生の豊かさをセックスから得る人も多いでしょう。しかしはたして、人生の学びや豊かさは、セックスによってしか得ることができないのでしょうか?

 この価値観のみが幸せだ、ということしか幸せの形として認識できない、そしてその価値観を押し付けてくる社会の方がよっぽど未熟なのではないかと感じます。

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(漫画:keika、編集後記:伊藤まり

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