統合失調症で、通算して約40年もの間、精神科病院に長期入院してきた伊藤時男さん(69才)が9月30日、国を相手取り、損害賠償を求めて東京地裁に裁判を起こした。

地域社会での生活の自由や、人間としての尊厳を奪われたとして、慰謝料3000万円を請求するもの。

提訴後、伊藤さんや「精神医療国家賠償請求訴訟研究会」、代理人弁護士らが会見した。

●外に出られたのは「東日本大震災」のおかげ

「(院外作業で)養鶏場や(院内作業で)病院の厨房で働いた。長年働いたおかげかボケはしなかったし、体は丈夫でした」

会見では、ときおり、ユーモアをまじえて支援者らを笑わせる余裕もあった。伊藤さんは現在、障害年金をもらいながら、群馬県で暮らしている。しかし、平穏な暮らしを得るまでには気の遠くなるような年月があった。

訴状などによると、伊藤さんは統合失調症(当時は「分裂病」と呼ばれていた)と診断され、1968年に初めて入院した(医療保護入院)。その後、1973年9月から2011年3月まで福島県の病院で約39年間も入院を余儀なくされた(2003年から任意入院に)。

退院を希望してきたが、叶うことはなかった。外に出られたきっかけは東日本大震災だった。福島県にある病院は閉鎖され、別の病院に移ったところ、2012年10月に退院することができた。

●国の政策を問う

代理人の長谷川敬祐弁護士は「私自身、入院を1カ月してと言われたら、耐えられません。発狂します。それを隣の伊藤さんは、40年してきました。国の政策に問題があったのではないかという考えのもと、提訴をしています」と経緯を説明する。

長期入院を前提とした政策を放置していることが、憲法に違反しているとして、国(厚生大臣、厚生労働大臣)の違法性を問うものだ。

●「施設症」という病

長期入院がおそろしいのは、退院の思いが次第に削がれていくことだという。伊藤さんは「施設症」という言葉を会見でたびたび使った。

社会と隔絶され続けることで、社会とのつながりを閉ざされ、また、つながりを作る助けが得られず、無気力状態になることだという。

「長期入院で、病院(の生活)がいいと考えちゃって、退院しても何も生活できないと思うようになって、施設症に陥っている患者さんがいっぱいいます。

私も、俺なんて車の免許も持ってないし、全然何もできない。社会に出ても何もできない。どうしよう一生出られないと諦めてました。

私が裁判を起こすきっかけでもありますが、施設症になって、退院を拒んでいる人たちがいっぱいいます。それではダメと思って原告になりました。国に訴えたいのは、施設症を作っている病院がいっぱいあるので、なくしてほしいです」

●失われた40年、飛び降りも覚悟したが

入院が始まったのは16〜17才ころ。終わったのは61才だった。

その間、入院患者の仲間たちの多くが自死を選んでいくのを目にしてきた。

「耐えかねて、自殺した人、何人も見てきました。首吊りした人。常磐線に飛び込んで自殺した女の人。何人も見てきました。たまらなくつらくて、こんな思いするなら、国に訴えたいと思って、今ここにいるわけです」

伊藤さんも同じような瀬戸際に追い込まれたが、踏みとどまった。

「入院していてた時、死ぬ気になって、二段ベッドから真っ逆さまに飛び降りしようと思ったけど、死神は取り憑かなかった。結局は勇気がなくてできなかった」

伊藤さんは、結婚もしたかったと話す。「今は彼女がいますけど、結婚まではなかなかできません。病院に入ったら何もできなくて、自由もない。男女関係のこともうるさい」と話す。

子を持つことも、夢だったという。

●根強い差別

訴訟研究会の代表を務める精神福祉士の東谷幸政さんはこう語る。「差別が根強い。25年間の長期入院をしていたかたが、退院を希望し、私はその手続きを進めていました。家族がやってきて、私に1000万円の札束を見せて、出さないでくれと言ってきたことがあった」

札束を突き返して、退院させたが、社会の偏見に家族がさらされている現実があった。

「裁判を通じて、我が国に精神医療の実態を知ってほしい」

●闇の中からの声を求む

今回は「第一次提訴」だ。研究会では、全国で提訴を検討している。「病院は闇で、のぞきこむことができない。中から証言を聞かせていただきたい」と杉山恵理子副代表。

これをきっかけに、新たな原告の候補になり、裁判の証言者となる被害者からの情報提供や、カンパを求めた。問い合わせ窓口(03-6260-9827)。

「子を持つことも夢だった」精神科病院に40年、男性が国提訴…社会からの隔絶体験語る