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 歴史に名を遺した偉人たち。その大いなる偉業が後世に伝承されていく中で、ごく一部の人しか知らなかったであろう、彼らのプライベートな秘話もまことしやかに語り継がれている。

 軍事独裁政権を樹立し、第一帝政の皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトにも、現在まで続いている超プライベートゾーンな秘話がある。

 彼の息子スティックは、彼の偉業ほど大きくはなかったという「極小説」だ。なぜこの噂が広まったのか?果たしてそれは本当なのか?噂の経緯を見ていこう。

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「極小説」にまつわる噂

 ナポレオン・ボナパルトは、世界的に有名なフランスの政治家、軍司令官だが、"Le Petit Caporal"=ちびの伍長"とも呼ばれていた。

 フランス革命後、頭角を現わし、ナポレオン一世としてフランス皇帝になった。1804~1814年の間、統治を続け、いったんは失脚したが1815年に再び百日天下をとった。

 2016年のタイムズ誌にこんな内容の記事が掲載された。

1821年、ナポレオンの死後、その遺体が解剖された際、彼の主治医ペニスを切り取り、コルシカ島の司祭に渡したとされている。

それ以来、多くの人がそのペニスの行方に注目している


 この超有名人の息子スティック(以下息子”)は、長い年月のせいで、干からびた革、しなびたウナギビーフジャーキーのようになっていたという。

 なんとも不名誉な言われようは、これだけでは終わらない。

 1927年ナポレオンの息子”がマンハッタンで展示されたとき、それは「さんざっぱら酷使されたバックスキンの靴紐」に例えられたそうだ。

 明らかにこれは、伝説的リーダーが、存命中にいかに秘密をひた隠しにしていたかを歪曲した話だろうが、何ともひどいいわれようだ。

ナポレオン

Pixabay

ナポレオンのビーフジャーキーに触れた者


 1977年コロンビア医科大学院、泌尿器学科の元名誉学科長であるジョン・ラティマー博士が、この干からびた息子”を当時3000ドルで購入した。30年後、ラティマー博士が死んだとき、このナポレオンの"息子"はラティマー博士の娘の手に渡った。

 『Napoleon’s Privates: 2,500 Years of History Unzipped 』の著者トニー・ペロテットは、この話はかなり神話的要素が強いとしている。

 ペロテットによると、1821年にナポレオンはセント・ヘレナ島で亡くなり、解剖にあたった医師が遺体の一部を"小さな革の化粧箱"の中に納めたが、防腐処理はしなかったので、それはからからに干からびて、まるで"ちびたビーフジャーキー"のようになってしまったという。

 司祭たちが、宗教遺物や歴史的に重要な遺物を売買していたことは知られている。その後、教会関係者がナポレオンのこの"遺物"を最初に手にしたのは自然な成り行きだっただろう。

 ポール・ヴィニャリという司祭が、この小さな化粧箱をこっそりコルシカに持ち込んだと言われていて、そこで1916年にイギリスの収集家の手に渡った。

 さらにのちに、ロンドンの有名なアンティーク蒐集家、マッグスブラザースが、ヴィニャリの子孫から買い上げたという。

 History of Informationの研究論文によると、マッグスは、このナポレオンの遺物を8年間所有し、1924年に400ポンドでアメリカの古書店主A.S.W.ローゼンバッハ博士に売った。

 この段階では、ナポレオンの”息子”の実際のサイズについては、ただの噂話がささやかれているにすぎなかった。

 あるいは、フランスの月刊誌、両世界評論(Revue des Deux Mondes)に、1852年に掲載されたヴィニャリの回想録の一部がひとり歩きしたせいかもしれない。"解剖中にナポレオンの遺体の、ある"ちょっとした"部位を切り取った"と書かれている。

 1924年にペニスを購入したローゼンバッハは、ブルーのモロッコ革とベルベットで入念に作られた箱に納めた。

 これは「ナポレオンの遺物を集めたヴィニャリコレクション」のアイテムNo.9としてリストアップされていて、半分神話化したこの遺物は次のように説明されている。

 「死後、ナポレオンの遺体から切り取られたミイラ化した腱」(この注目すべき遺物の信憑性は、両世界評論に掲載された回想録の中で1852年に確認されている。ここで、ヴィニャリが解剖のときにナポレオンの遺体の一部を持ち去ったことをはっきりと述べている)

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ナポレオンのしなびた”息子”は3.8センチ?


 前述の作家ペロテットによると、1977年ナポレオンペニスを3000ドルで購入したジョン・ラティマー博士は、特殊な人脈ネットワークをもっていて、エイブラハム・リンカーンの血染めのカラーや、20世紀の重大な歴史的出来事にまつわるお宝アイテムをいくつかの所有していたという。

 ラティマーは、ニュルンベルグ裁判のとき、ナチの囚人付きの泌尿器科医だったので、ヘルマン・ゲーリングが自決したときの青酸カリカプセルも入手したという。彼はジョン・F・ケネディの解剖にも立ち合い、大統領が乗っていたリムジンの座席カバーも手に入れたらしい。

 2007年にラティマーが亡くなる前、"酷使されたバックスキンの靴紐"を10万ドルで買うというオファーがあったが、この有名なペニスは売られることなく、実子のマーク・エヴァンスに受け継がれた。

 エヴァンスによると、"父は泌尿器科学は、正しくまともなものであるべきで、見世物にするようなジョークではないと考えていた"という。父親のプロ的高潔さを引き継ぎ、エヴァンスもまたこの小さな遺物を見世物にするつもりはないようだ。

 父親の死後、この特別なナポレオンの”息子”を実際に見た者はたったの10人。写真やビデオなどの撮影も一切されることなく、以来ずっとラティマー家の中で受け継がれている。

 2014年のインタビュー記事によると、マーク・エヴァンスペニスの専門家で、これまでチワワからマッコウクジラまで、それこそたくさんのペニスを見てきたという。

 このニュース記事は「ナポレオンペニスのサイズが確認された。それは"非常に小さかった"」とセンセーショナルに報道されている。

 その死から2世紀近くたった現在、この有名なフランスの大指導者は、3.8センチというささやかな"極小"ペニスを持っていたことでも、歴史にその名が刻まれることになりつつある。

 この有名なペニスを現在所有しているエヴァンスは、しなびた”息子”が、そのかつての主人よりも遥かに世界中を駆け巡っているのは、なんだか奇妙な感じだと語る。


History vs. Napoleon Bonaparte - Alex Gendler

ナポレオンにコンプレックスはあったのか?

 ナポレオンは偉大だと言われている一方で、多くの歴史家は彼を邪悪だと言っている。ナポレオンの激しい征服欲は、極小ペニスコンプレックスに深く根ざすところがかなり大きい可能性があるというのがその根拠だ。

 こうした激しい身体的嫌悪感が征服欲を掻き立てるという話はヒトラーにもあるヒトラーも"息子”と片方の睾丸が小さく変形していて、それがテストステロンが少ないせいで喪失した性欲を改善させるための強力ホルモンとアンフェタミン注射を受けることにつながったと言われている。

 男性にとって息子スティックというものは、その人生を大きく左右するほどの大切なイチモツなのだろう。

References:The Journey of Napoleon’s Penis: Here’s the Long and the Short of It | Ancient Origins/ written by konohazuku / edited by parumo

全文をカラパイアで読む:
http://karapaia.com/archives/52295046.html
 

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