医療技術や医薬品の進歩によって私たちは難しい病気や怪我から回復でき、がんになってもその7割が10年後も生きていける時代になった。しかし、これだけ医療が発達しても、がんや感染症などの予防や治療として、科学的根拠のない健康食品や療法を選ぶ人も少なくない。なぜ、私たちは「○○するだけで」や「○○を止めれば」というような代替医療健康法を選んでしまうのだろうか?

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 代替医療に関する著書もある文化人類学者の磯野真穂氏によれば、代替医療には病の当事者だけでなく、現代社会に生きるわれわれ全員を惹きつける「共通のストーリー」があるのだという。果たしてそれはどんなストーリーなのか。磯野氏に話を聞いた。(聞き手・構成:坂元希美)

エビデンスの数字は「治る」を教えてくれない

――日本人の死因第1位であるがんについて、予防も含めて病院以外の治療法や健康食品などが多く、うまみのあるビジネスとして成立している現状です。なぜ、進んで「金儲けの食い物」や「トンデモ医療の餌食」になろうとする人は絶えないのでしょうか。

磯野真穂氏(以下、磯野) がん患者さんやその家族が求めているのは、シンプルに「どうやったら治るのか」だと思うんです。

 そんな時に、医師から「5年生存率は90%です」と言われても、不安はなくならないですよね。「5年生存率90%」はかなり良い数字であるにもかかわらず、です。

 現代医学は数字で表されるデータを重要視します。俗に「エビデンスがある」というフレーズで説明される、科学的に最も確からしい正解を数字やグラフとともに示し、これが最適だと訴えても、「私が治ること、この苦痛がなくなること」が重要だと思う患者さんには、なかなか響かないんですね。

 例えば医師のような専門家が標準治療と代替療法の生存率の違いを示して「5年生存率は代替療法のみだと50%、標準治療では75%です。だから、標準治療をしましょう」と説明しても、「病院の治療じゃなくても50%も生きている」「最善と言われる治療をしても25%は5年のうちに亡くなるんだ」と感じてしまう人もいる。エビデンスが示すことができるのは「絶対的な正しさ」ではなく、「確からしさ」であるため、これが当事者や家族の方の安心感を生み出しにくい理由でしょう。

「どう生きたか」を大事にしたい患者

――治療後の期間、あるいは亡くなるまでの期間のQOL(生活の質)を重視しようという考え方は増えつつありますが、「長く生きることこそが最上」という価値観はまだ大きいように感じます。

磯野 病気を抱えながら唯一の自分の人生を生きていくことと、生存率の差を示し、より長い方が良いとほのめかすエビデンスに基づく医療の考え方。これは考え方の差なので、どちらも間違ってはいません。ただ、うまく交差しないことがあります。例えば患者さんによっては寿命が短くなってもお酒やタバコを吸っていたい、でも医学的には二つともやめて長く生きたほうがいい、とか。この交差しない部分でしばしば医療者と病気を持つ側は対立し、迷います。そして、その対立や迷いの根底には、「生きるとはどういうことか」という本質的な問いが流れています。

 医学教育のカリキュラムは、生理学や生物学など自然科学がベースです。「生きることとはどういうことか」という哲学的問いは、エビデンスではアプローチしきれないので、その辺りが臨床での問題を引き起こしている側面もあると思います。

代替医療は患者の望む未来を提供する

 エビデンスに基づく医学は一般的に「こういう確率でこうなります」としか言ってくれませんが、代替療法は「あなたはこの理由でがんになったのだから、こうすれば治る」ときっぱり語ってくれます。しかも代替療法の多くは「副作用がない」と宣伝するものが多い。

 最近ではひどい副作用のイメージが根強い抗がん剤治療も進化し、苦痛を和らげる治療も増えているのですが、例えば抗がん剤治療の対象となる患者さんが、事前に医師から「○○という副作用があるかもしれませんが、80%の可能性で大丈夫です」と説明され、その○○が患者さんにとってとても恐ろしいものだったらその説明をどう捉えるでしょうか。患者さんの多くは「20%のほうに入っちゃったらどうするの?」と思ってしまうんじゃないでしょうか。でも、医師は事実を正確に伝えなければならないがゆえに、100%を保証してあげられない。それが疫学に基づく考え方だからです。

 それに対して代替医療は、これが原因だからこれを取り去れば治るといった、非常にわかりやすいストーリーを提供してくれ、そのストーリーの先には患者さんの望む未来がはっきりと示されているのです。標準医療と代替医療の問題は、それぞれがどのようなストーリーを提示しているかで読み解くと、病むことについての違った世界が見えるはずで、その読み解きは「生きることとはどういうことか」という哲学的な問いにつながっていくはずです。

 また、その生存期間がどういう生活になるのかも患者さんの判断の基準になるでしょう。私だって、副作用の苦痛に耐え忍んで生きる6年と、自分の希望をよく聞いてもらって苦痛を和らげてもらいながら生きる5年以下なら、5年以下を選ぶかもしれません。でも医療の世界では、その期間を幸せに生きられるかどうかを問うことなく、数字に表れる結果だけで説明しようとする。それでは患者さんの説得には足らないように思います。

汚れなき力を取り戻す物語

――どんなストーリーなんですか。

磯野 高額な治療代を請求したり、既存の生活や治療のあり方を全否定する代替医療―話題になった血液クレンジングなどの健康法や、私が研究してきた摂食障害における糖質制限―にも共通するストーリーが「本来であればみんなが持っているはずの人間としてのすごい生命力を、もう一度賦活(活性化)することで幸せが訪れる」という筋書きです。

 このストーリーに説得力を持たせるために近年頻繁に使われるのが「免疫力」。感染症でもアレルギーでも、「免疫力アップ」で解決するようなイメージが今の社会には流布しています。「免疫力を賦活して、本来持っていた自然治癒力を取り戻せば、どんな病気とも戦える!」というものです。

 人類学者のメアリダグラスは、人類は科学の力によって多く救われてきたはずなのに、20世紀後半あたりから科学は悪であり汚れであるとする、科学を「汚れ」のカテゴリーに入れ込む思想が見られるようになったと論じます。つまり清浄な人間が科学の力で汚れてしまったというイメージです。「清浄の世界にあった人間が、もともと持っている汚れなき力」を復活させるためのキーワードが免疫力であり、他方、人の持つ清浄性を汚すのがワクチンや薬剤である、というのがここで提示した代替医療あるいは反ワクチンによく見られるロジックです。「科学技術が支配する現代社会によって汚された私たちが自分の力を引き出して、もう一度甦る」という壮大なストーリーに多くの人が引きつけられます。そして、それは社会のある側面に目を向ければ完全に誤っているとはいえない。

『ダイエット幻想』(2019、ちくまプリマー新書)に書きましたが、2010年くらいから流行り始めた糖質制限ダイエットでは糖質が「汚れ」とみなされます。糖質は汚れた世界の象徴であり、それを食べる私たちはさらに汚れていきます。また、糖質制限ダイエットの面白いところは、本来持っている人間の力が糖質によって汚されたという考えだけでなく、「男性性の甦り」とも結び付けて語られることです。「俺は汚れた世界で馬車馬のように働き、糖質をたらふく食べて不健康になってしまったけれど、糖質を除去し肉をたくさん食べることで男らしく蘇る!」という物語が見られます。

 代替療法や、あるものを一切カットするといったストーリーは、うわべが全く異なって見えても、根本にあるストーリー構成は同じで、あとは少しずつバージョンが違うだけです。毎年、手を替え品を替え、新しい治療法や健康食品が出てきます。ですが論文を読む力がなくとも、このような治療法や食事法に共有する物語構成を知っておけば、そのような商品やサービスから距離を置くことができるようになるはずです。

<物語>
1、私たちは汚染された世界に生きている
2、汚染によって、本来持っている汚れなき生命が損ねられている
3、○○をすることによって(しないことによって)、あなたの眠っている本来の生命力が甦り、あなたの病気は治る。これ以上ない健康な体が手に入る。

――なぜ医学が進歩して、多くの人がその恩恵を受けられる状態になっても、代替医療は無くならないのでしょうか。

磯野 人類学者のセシルヘルマンは、プラセボはしばしば嘘の治療と言われることもあるが、患者の人生に欠けているものを補う機能があり、それゆえに効果を発することがあると解説しています。私はここは代替医療を考える際に見落としてはならない点だと考えます。代替療法が病を患う人に必要なものを提供できている面があるのでしょう。生活に窮するくらいまで、代替医療にお金をつぎ込んでしまう人々もいる。「あなたの考えは誤りで、正しい情報を持っているのは私である」という態度ではなく、「絶対的に正しい答えはないけれど、あなたが必要なことをともに探していきますよ」という態度こそが患者さんに希望を与えるのではないでしょうか。

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