現在ではゲームの開発規模が大きくなって多くの人間が関わるため、そのゲームを製作したクリエイターにスポットライトが当たりにくくなっています。しかし、ゲーム史の中には「モンスター」と呼ばれるプログラマーがいます。今回はゲーム史に残る素晴らしいプログラマーについて紹介します。

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■『シムシティ』のクリエーターは才能も育てる

ウィル・ライトは『シムシティ』のクリエーターです。最初のシムシティ1989年にリリースされました。投資家のジェフブラウンと一緒に設立したマクシス社から発売されたシムシティは全世界的ヒットとなりました。

ただし、シムシティウィルさんの製作第1作ではありません。彼のデビュー作品は『バンゲリングベイ』(1984年)というヘリコプターシューティングゲームです。ちなみにこのゲームは日本ではあまり評価の高いものではありません。

しかし、ご存じのとおり、シムシティは箱庭型都市発展ゲームとして世界中のゲーマーに愛されました。シムシリーズは『シムアント』(アリの生育を楽しむゲーム)なども生み、その一方で企業に納品するシムシリーズも生まれました。あまり広く知られていませんが、石油精製会社の新人教育に使われる『シム オイルリファイナリー』といったゲーム(?)もあったのです。

ウィルさんの功績は自らゲームをクリエートしたことにとどまりません。マクシス社は若い才能を見いだし、彼らが作ったゲームを多く発売しました。例えば『インクレディブル・マシーン』などはその一例です。

■『ポピュラス』を作ったイギリスの鬼才!

ピーター・モリニューは『ポピュラス』『パワーモンガー』『テーマパーク』などのゲームのクリエーターとして知られてます。イギリス人で、彼ほど独創的なゲームを作り、世界で評判になった人はいないでしょう。

自分の会社ライオンヘッドスタジオを設立し、『ブラック&ホワイト』『フェイブル』などをリリースし、2005年には、サッカー選手デビッド・ベッカムも授与されたOBE勲章を授与されています。

筆者は以前ピーターさんに直接お話を伺ったことがあります。イギリス労働者階級の人間がもうけてビッグになると大変なのだそうです。社会奉仕の一環として、刑務所から出所した若者を数人雇用していたのです。彼らはプログラマーになるべく会社でトレーニグを積んでいました。

こういう慈善的な行いをしないとイギリス社会では認められないのだとおっしゃっていました。プログラマーも名を成すと大変なんですね。

■すっかり偉い人に! 魔法使いサーニー

マーク・サーニーは本当の天才プログラマーです。現在では、『PlayStation 4』のリード・システムアーキテクトとして辣腕(らつわん)を振るっていますが、サーニーさんは少年のころから面白いゲームを作ることに力を尽くしてきました。

わずか17歳で名門カリフォルニア大学を卒業した彼は、アタリ社でゲーム製作を手掛けます。サーニーが作った『マーブルマッドネス』は大ヒットタイトルになりました。

その後、来日したサーニーさんはセガに入社します。ちなみにサーニーさんは日本語がペラペラです。彼は日本語を独力で学習しました(奥さんは日本人です)。1990年にアメリカに戻った彼は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』を手掛けます。

PlayStationでは『クラッシュ・バンディクー』シリーズを製作しています。スゴイのは、ポリゴンを管理するための言語を作ってから製作に臨んだことです。さすがサーニーさんだといえるでしょう。

筆者は昔、当時の上司と一緒に、サーニーさんの自宅に招かれたことがあります。「ゲームをいかに作るか、その作業がどんなに好きか」を流ちょうな日本語で語ってくれました。サーニーさんは、少しシャイなところのあるモンスタープログラマーでした。

今はもうすっかり伝説になってしまったモンスタープログラマー3人をご紹介しました。次に機会がありましたら、伝説のハッカーをご紹介したいと思います。

(高橋モータース@dcp)

ゲーム世界のモンスタープログラマーたち「シムシティのウィル・ライト」「PS4のマーク・サーニー」