人生の中で専門家に命を預けなければならない場面に出くわすことがある。病気をしたら医療者を、犯罪に巻き込まれたら法律家を探して、なるべく安心できる相手に命運を委ねたいと思うだろう。しかし、自分ではまったく選ぶことも拒むこともできない相手が命運を左右するのが、裁判だ。裁判官は、人の命のみならず、国家をも相手に裁きを下す存在である。

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 三権分立によって強大な権力を持つ裁判所と、そこに属する裁判官はどんな組織であり、人間なのか。4年にわたる綿密な取材による『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』講談社)を上梓したジャーナリストの岩瀬達哉氏に話を聞いた。(聞き手・構成:坂元希美)

足掛け4年の取材成果

――岩瀬さんはこれまで年金や政治家、大企業をテーマに扱ってこられましたが、今回、司法を取り上げたのはなぜでしょう?

岩瀬達哉氏(以下、岩瀬) もともとは講談社編集者から薦められたテーマでしたが、職業柄、私自身の記事が名誉棄損だと訴えられ、裁判で争った経験がありました。裁判の当事者になってみて気づいたのですが、どんな人がどういう仕組みで私を裁くのか、分かっているようで実はよく分かっていなかった。自分の人生を大きく変えてしまうほどの制度なのに、何も分かっていなかったんです。だったら、そこを解明するのはメディアの仕事として大きな意味を持つのではないのか、と考えました。

 だけど素人にはかなり難しいテーマですし、ある法曹OBに「裁判所を批判すると、その後、あなたが当事者になった裁判で厳しい判決を下されるよ」という助言をされたりして躊躇もありました。でも、裁判所の実態が書ければ読者の知る権利に応えられるのではないかと、失敗覚悟ではじめることにしたのです。

――それまであまり精通していなかった裁判制度を扱うにあたって、取材はどこから始めたのですか。

岩瀬 まずは基礎知識が必要だと思って、法学部の学生が読むような書籍から始めて一通りの資料を読み込んでいきました。そうしているうちに、どうも裁判所を運営する“司法行政”に問題があるのではないかと感じるようになったんです。

 法曹関係者が書いた資料は緻密なんですが、背景が見えなかったり、現場の苦悩や問題意識は語られていても、全体の構造が分からなかったりしました。司法行政の仕組みや最高裁判所がどういう組織で、何をしているのかは資料をいくら読み込んでも見えてこなかったんです。

 そこで、それまで私がやってきた取材と同じようなスタイルで挑戦してみようと発想を変えてみました。つまり裁判制度の原点・経緯・構造を探っていくために、まずは川下にあるエピソードを集めて、そこから遡って経緯を追い、源流とも言うべき戦後の司法制度が整備されていく過程や裁判所を運営する司法行政の仕組みなどに迫る必要があると考えたわけです。そのために、現職裁判官や裁判官OBにのべ100人以上に取材をしました。

スーパーエリートも性根はサラリーマン

――そうした法曹関係者の取材の成果として、不遇をかこった裁判官のエピソードも多く登場しますね。

岩瀬 たくさんの裁判官に会ってみて、裁判官は憲法に謳われているほど組織から独立した存在ではないことが分かりました。1人ひとりはサラリーマンで、人事によってがっちりと行く末を握られている。彼ら裁判官は、最難関といわれる司法試験を突破した人の中でも、優秀かつ、裁判実務などを学ぶ司法研修所での成績も上位だったスーパーエリートたちです。そんな選ばれし者は、「正解が分かる」人ではありますが、裁判官にとって必要な資質である「心からの謙虚さ」を兼ね備えているかというと、必ずしもすべてがそうではない。「人生の苦悩と悲哀を理解しつつ良心に従って人を裁く」のが理想の裁判官とされますが、実際には「正解指向」で、先例重視に走りがちな人たちが多いように感じました。

 つまり狭い特殊な「裁判官ムラ」の中で、定年までの40年近くさらに選ばれ続ける存在になるよう、あるいは同期に遅れないよう、先例という正解から外れることを恐れるようになるんですね。「考える力」を発揮して、良心に従って上司と違う意見を出したり、国を負けさせたりするのは「正解」から外れていくことです。その結果、変わり者というレッテルを貼られたり、人事で差別を受けたりして出世できなくなることを覚悟する必要がでてきます。

――裁判官というだけで相当なエリートだと思いますが、出世コースから落ちこぼれるとどうなるのでしょう?

岩瀬 傍証のひとつとして、本書では裁判官の給与を示しました。フリーランスの私からすればいちばん下の判事補12号でもすごい額じゃないかと思うのですが、彼らはスーパーエリートプライドもあるので、給料の多寡より、評価が落ちることへの恐怖の方がはるかに大きいんです。

 そういう組織社会の中で、リベラルな活動に参加したために人事で差別された人もいるし、あるいは上司の出世のために良心に従った判断を下せず、最高裁の意向に従った判決を書いたりしたという人もいます。

 一方で、人が人を裁くという仕事を、薄氷の上を歩む思いで全身全霊を捧げている裁判官もいる。こちらがたじろいでしまうほどでした。私の取材に本音で話してくれた裁判官や裁判官OBはみな、「本来のあるべき裁判官の姿」について訴えたかったのではないでしょうか。独立した権力を持つ裁判所の中で、一定の枠からはみ出さないように厳しく統制され、それに甘んじているようではダメだという思いは、逆に言えは枠の中でもがき苦しむ裁判官でもあります。そんな裁判官たちの姿を私たち国民は知りません。

問題意識を持つ裁判官たち

――裁判官を引退した人でも、裁判官の考え方や生態についてあれこれ話す人はいないように感じます。話を引き出すのに相当苦労されたのではないですか。

岩瀬 私自身、裁判官という権力に対し最初のうちは恐れを抱いていました。ただ、知人の紹介で出会った元裁判官がキーパーソンとなり、厚いベールを少しずつめくることができたように感じます。その人を何度も訪ねるうちに貴重な資料を貸してくれるようになり、返しに行って感想を話す、それに対して意見をくれる・・・といったやりとりを重ねながらだんだんと、裁判所の組織構造や裁判官の素顔に近づくことができました。

 その方は実に優秀であるばかりか、人間的にも立派な方で、本来なら最高裁長官になっていただろうという人です。その人が「今の裁判所や裁判官はおかしい、あるべき姿から外れている」という明確な問題意識を持ち続けている。だからこそ話してくれたし、さまざまな解説もしてくれました。

 その方が私のつたない問題意識に辛抱強く付き合ってくれたおかげで、他の裁判官に会いにいったときに、的確な質問ができるようになり、さらに多くのことを引き出すことができるようになったんです。

 裁判官の世界は狭いので、問題意識が似通った人々同士でつながりがあります。新しい取材を申し込んだらすんなりアポがとれるので不思議に思っていたら、「君が取材していることは聞いていますよ」なんて言われたりする。今の司法に問題意識を持っている人の間で噂になっていたようなんです。これは固く閉ざされていた門がふっと開いていくような体験でした。

 ですから、紹介で出会ったその方が導いてくれなければこの本は書き上げられなかったし、そこから繋がっていった人たちの問題意識が、私をしてこの本を書かしめたのだという気がします。分かりやすくまとめるのは苦労しましたが、書いているうちにだんだん文章がはまっていくような不思議さがありました。

 また自衛隊のミサイル基地建設を巡る裁判で、地裁の所長が、その訴訟を担当した裁判官に原告の申し立て却下を示唆するメモを渡していた「平賀書簡問題」では、当事者の3人から直接お話を聞くことができるという幸運もありました。

 そういう巡り合わせの下に出来上がった本です。

法曹向けの書籍はとにかく分かりづらい

――法曹界のエピソードはそれ以外の世界の人々にはあまり知られていませんし、書かれたものも専門家に向けたものが多く読みづらいものが多い。そうした中で、岩瀬さんの今回の著作は読みやすさ、分かりやすさという点では傑出していますね。

岩瀬 一般の人に読めるように、特にこれから法律家を目指す学生が実感を持って読めるよう、難しい法律問題を分かりやすく翻訳しようという意図もありました。

 たとえば「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の鉄則を最高裁が判決で示した「白鳥決定」は、法学部の学生が読む本には必ず出てくるものです。でもその学生たちでさえ、知識として覚えるけれど、背景はよく分かっていないんじゃないかと思ったのです。

 そこで「白鳥決定」が出された背景や経緯をたどることで、現在に至るまで裁判所が権威を重んじ、冤罪被害者を救い出す再審制度を形骸化させてきた実態が浮かび上がってきました。

「人間」であるか、「裁判官」であるか

――冤罪が生まれる構造についても切り込んでいます。

岩瀬 冤罪によって何十年も自由を奪われ、汚名を着せられた人が再審裁判で無罪を勝ち取るには、想像を絶する苦労が必要なんです。メディアの報道や警察に強要された自白などから、偏見と先入観をもって「完全にクロ」と決めつけ、審理を進めていく裁判官たちがいる。そして彼らがいったん「クロ」と決めつけたら、被告人が無罪を主張し、真実を語ることが、罪を逃れようとしての弁明と受け取られ、「反省していない」とますます心証を悪くしていく悪循環が始まるのです。

 裁判は当たりはずれがあって、自白の矛盾を発見して指摘する裁判官もいますが、検察の主張を頭から信じ込むような裁判官に当たると、被告とされ法廷に立たされた人の必死の叫びに耳を傾けようとしない。これはひどいと思いました。

 1995年の「東住吉事件」は、保険金目的で、自宅駐車場の車のガソリンタンクからポンプでガソリンを吸いだし、それに火を着けて自宅で入浴中の娘を殺害したとして母親が逮捕された事件です。この事件では2度にわたる弁護側の燃焼再現実験によって、自動車の燃料タンクの不具合によってガソリンが漏れそこに引火する事実を証明したため、ようやく再審裁判が開始されましたが、そこまで17年もかかっているんです。弁護側の凄まじい尽力がなければ、裁判官の先入観から導き出された冤罪をひっくり返せないのです。

――裁判官という人種は、その職務を通して機械的にものごとを処理するマシーンのような人間になってしまうのでしょうか。

岩瀬 これまで私はさまざまな立場の人を取材してきましたが、そういう人たちと比べて「裁判官ってスレてないな」と感じました。いい意味で悪い意味でも、すごく素直な人たちで、法律に素人の私と議論になっても「それもそうだな」と受け止める人が多かったんです。

 それはスーパーエリートの上澄みを純粋培養したからこその性質かもしれないし、本来の真理を探求する職務の性質かもしれません。

 でもその純粋さは人を裁くうえで、決してプラスにだけ作用するわけではないんです。

 ある元裁判官と冤罪の話をした時に、彼は現役時代に自白の虚偽や強要にまつわる文献など読んでいなかったと言っていました。あまりに忙しすぎて、そういう基礎的文献を読む時間がなかったと言うことです。読んでいれば、もっといい判断が下せたと述懐していた横顔は忘れられません。

事件の背景を想像することなく裁判を処理

――信じがたいですね。

岩瀬 さまざまな証拠や資料を何度も比較しておかしな点がないか確認し、警察の仕事、検察の仕事、弁護士の仕事それぞれを精査し、さらに被告人の背景を想像しながら最も上の立場として判断していく。それが裁判官本来の職務でしょう。ところが今の裁判官にそのようなことを求めるのは難しくなっている。

 裁判官といえば、昔は家庭を顧みずに仕事に打ち込むのが当たり前とされてきましたが、現在ではワーク・ライフ・バランスも必要とされるので、仕事ばかりというわけにもいかない。家庭問題から不祥事を起こす裁判官もいますからね。さらに人事では組織の枠に縛られてもいる。そうした多くの難題を抱えた裁判官が「あるべき姿」で人を裁くのは、本当にエネルギーのいることだと思います。

 だから現在の裁判官は、より合理的に無駄なく、担当の事件をスピーディーに処理をしていくように見えます。

――そういう話を聞くと、裁判に対して絶望的な気持ちになってきますね。

岩瀬 一方で、原発訴訟、一票の格差訴訟などの国民生活に関わる重要な裁判で組織、つまりは最高裁の意向に抗い、良心に従い、公正な判断を下している裁判官がいることも事実です。

 裁判所という組織自体も三権分立で独立したものとされていますが、人事権と予算査定権を立法府と行政府に握られているため、実は私たちが想像しているほど強固な存在ではないのです。そして、その彼らに私たち国民は、命を預けることになるのです。だからこそ、裁判所の仕組みや「あるべき裁判官」の姿からズレた裁判官を批判することが大切なんです。批判がなければ変化は生まれませんし、批判によって制度をより良くすることは可能です。

 裁判制度は、社会にとってとても重要な制度であるにもかかわらず、私たちはその構造をよく知らない。法曹界を目指す若い人たちにしても大差ありません。少しでも多くの人に、この「隔絶されたサンクチュアリ」とそこで働く裁判官の素顔の一端が見えるよう、本書が役立ってくれればと願っています。

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