全世界が新型コロナウイルス感染症で苦しむ中で発表され始めたノーベル賞、今年もこれらの意味合いについて、平易に検討していきたいと思います。

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 本稿を執筆している時点では医学生理学賞と物理学賞が発表されていますが、私にとって一番の眼目は、今回、車いすの宇宙物理学スティーブン・ホーキングノーベル賞を逸した点にあります。

ノーベル賞に間に合わなかったS.ホーキングの死」をコラムとして書こうと思ったのですが、やはり順番に見ていった方が、ストックホルムの姿勢を見せることにも近いと思いますので、今回は「C型肝炎」の克服を追いつつ、コロナ撲滅の方途を検討してみたいと思います。

 ちなみに、前後して記しているように、私がこうした原稿を書くようになったのは2008年、南部陽一郎先生と小林・益川両氏の物理学賞受賞を当て、その後6週間ほどで「日本にノーベル賞が来る理由」を書いて以来のことです。

 こうした原稿を書くようになった大本は、いま日本の国会を騒がせている日本学術会議にあります。

「我が国を代表して国際的な科学技術事業にコミットする」はずの日本学術会議で、大半の還暦を過ぎた正会員諸氏があまりにやる気がなく、日本を訪れた世界の頭脳たちのアテンドなど、私にお鉢が回ってきた様々な「雑務」を通じて、ノーベル賞の受賞者や審査員側の視点を知るようになったことによります。

 今年度も、最初の授賞は医学生理学賞から始まりました。

 受賞業績は「C型肝炎ウイルスの発見」ですが、この授賞の動機はあまりにも明白です。

 すなわち、現在は手の打ちようがまだきちんと見えていない「新型コロナウイルス感染症」をはじめとするウイルス疾患への、人類の克服の過程を検討して、その中で最も評価の高かった業績を過去50年遡って顕彰したもの、とみるのが妥当でしょう。

「謎の肝炎」の克服へ

 1960年代、人類は大別して2つのウイルス性急性肝炎を把握していました。

 第1は比較的軽い症状で終わるもの。病原体の正体は「ピコルナウイルス」と呼ばれるRNAウイルスで、RNAという部分は今回の新型コロナと共通しています。

 感染した人は体内がウイルス生産工場と化し、それが便に大量に排出され、し尿がコヤシなどに使われる、下水道が発達していない地域などで、大便から出たウイルスがほかの人の口に入り(経口感染)蔓延する、というタイプ。また性病としても伝染します。

「A型肝炎」HAVと名づけられました。

 第2は、まあ容易に予測がつくように「B型肝炎」で、A型とは異なる感染経路をもち、血液を通じて母子感染などを起こすことから容易に区別されました。

 しかし、性病としても感染可能、病原体はヘパドナウイルスと呼ばれ、A型とは異なる「DNAウイルスでHBVと名づけられます。

 B型肝炎ウイルスはA型よりも熱消毒などの耐性が強く、なかなか手ごわい面がありますが、インターフェロン治療で対処されています。

 さて、このA型でもB型でもない、別種の肝炎が、今回ノーベル賞の授賞対象となった「C型肝炎」です。

 正体が分からないときには、謎の肝炎として怖れられ、また現在でも全世界に1億人以上の罹患者、毎年40万人ほどが亡くなっており、日本にも200万人に上る患者があると報告されています。

 さて、この「C型」は何が違ったのか?

 まずこの病気は、性行為などでは感染しませんでした。また母子感染もしなかった。つまり、とてもうつりにくい、ある意味「弱い」ウイルスだった。

 しかし、このウイルスは医療の観点から非常に困った「新ルート」で広まって行きました。

「輸血」です。

世界大戦と血液銀行

「輸血」の歴史は古くて新しい、独特な経緯が知られています。

 人間にとって血が大切であるのは古代人も知る当然の事実で、輸血に類した「治療法」は古代にも中世にも記録があり、病に倒れた権力者が若く元気な人の血を飲むような行為が全世界で知られています。

 しかし、現代的な意味での輸血が圧倒的に広まったのは、史上初の総力戦となった「第1次世界大戦」で、兵士に対する輸血が血管縫合手術などの技術と共に適用され、莫大な数の命を救いました。

 この技術に貢献したフランス外科医、解剖学者アレクシス・カレル1878-1944)は大戦前の1912年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。

 そんな具合で20世紀に可能となり、普及した現代的な輸血によって「血液銀行」が成立、一方で多くの命が救われますが、同時に1960年代、第3の「謎の肝炎」が広まっていきます。

 今回ノーベル医学生理学賞を受賞したハーベイ・オルター(1935-)は輸血由来の肝炎感染予防プロジェクトに参加、1970年代初頭の米国では30%にも及んだ輸血性肝炎の伝染をほぼ0%まで下げることに貢献しました。

 そして、A型でもB型でもない「謎の肝炎」の存在を突き止め「非A非B」型肝炎と命名されます。

 1970年代半ばのことで、すでに半世紀近くが経過しています。

 この「非A非B」型肝炎が「フラビウイルス」と呼ばれる別のRNAウイルスによって引き起こされることを突き止めた一人が、英国のウイルス学者で第2の受賞者マイケル・ホートン(1949-)でした。

「フラビウイルス」の仲間には、ろくでもない連中が並びます。

 野口英世の命を奪った黄熱ウイルスデング熱、日本脳炎、ジカ熱、西ナイル病・・・。

 これらは「フラビウイルス科・フラビウイルス属」の病原体たちですが、C型肝炎ウイルスはヘパシウイルスと呼ばれる別の属のタイプに分類されます。

 ホートンたちの仕事で特定されたウイルスは「C型肝炎」と命名され(1989)、またその抗体を用いたテスト法の確率で、輸血によるC型肝炎の伝染は200万分の1にまで激減しました。偉大な業績です。

 逆に言えば、1989年、つまり冷戦が終わる時期まで、C型肝炎は現在の200万倍も感染していたわけで、新型コロナウイルスについても、同様の画期的な激減法を期待しないわけにはいきません。

 さて、先ほど触れた「フラビウイルス」全体を系統だって研究していた米国の若き生化学者・ウイルス学者チャールズライス(1952-)は、冷戦が終結する同じ1989年、黄熱ウイルス株を試料として、人に感染性のあるRNAを人工的に合成する方法を確立します。

「伝染性ウイルスRNAの人工合成」?

 世間の人は、比較的容易に「下衆のかんぐり」の愚を犯します。人に伝染性のあるウイルスのRNAを人工的に作り出す、などというと「それは生物兵器の開発だろう」などと、割と簡単に陰謀説などにも落ちていく。でも、考えてみてください。

 善くも悪しくも2020年の人類は、原子や分子の材料をゼロから組み合わせて、人間を作り出すバイオテクノロジーを持っていません。でも、ウイルスのRNAの合成は可能な段階にあります。

 すべての材料と製造過程が分かっているということは、それを変形したり、合成を阻止したり、不活性化する方法を縦横に検討できることを意味します。

 こういう観点が「理学的」な研究、あるいは基礎研究と呼ばれるもので、これに対して特定のものの開発を志向する傾向が「工学的」な研究と言ってよいでしょう。

 チャールズライスは理学的な基礎研究で、黄熱ウイルスRNAを自由自在に組み立てたり壊したりする知見を、冷戦終結の1989年に手にしていました。

 これを、黄熱ウイルスの親戚であるC型肝炎ウイルスに応用してみよう、というのが彼の研究であって、最初から「C型C型」「ノーベル賞ノーベル賞」とがっついていたわけでは全くない。

 この点は次回も触れるつもりですが、物理学賞を今年受けたロジャー・ペンローズは、およそ多岐にわたる莫大な業績で知られ、今回のブラックホールの業績は私が生まれた55年前のものです。

 本人もこれで今年、ノーベル賞をもらうとは思っていなかった可能性が高いと思うし、はっきり言えば、たった2年の差で共同受賞を逸したスティ―ヴン・ホーキングの死を何よりも悼んでいると思われます。

 自分の受賞をうれしいとか、そんなレベルは超えているだろうと思います。

 ペンローズは己の知的好奇心の赴くままに90年間数学や科学を遊び続けてきた人であって、業績ゲバのような卑しい根性とはおよそ無縁の英国紳士です。

 いま日本の若い世代に、一番伝えたく、また一番欠けていると思うのが、この主体的な好奇心の赴くままに自由に基礎研究してみたいという知的情熱にほかなりません。これについても次回、記したいと思います。

 ちなみに「日本学術会議」にも、こうした領域横断的な知の自由が決定的に欠けていると思います。

 ワタシはこの専門、アナタは別だから領域は侵犯しないようにしましょうといった縦割りタコツボの根性と、正反対の対極にある自由自在な知の跳梁・・・。

 これこそ、版画家M.C.エッシャーに細密充填のタイル貼りで霊感を与え、ブラックホールの数理構造を明らかにし(これが今回のノーベル賞ですが)、ヒトの脳と心の謎に量子論を応用する意欲的な仕事でも世界的に知られるペンローズの面目躍如たるところでしょう。

閑話休題

 チャールズライスもまた、C型肝炎に限らず、分厚いウイルス生化学の網羅的な知見に基づいて病原性ウイルスの合成機序を精査、「C型肝炎ワクチン」は現在も確立されていませんが、このウイルスの複製を阻害する抗ウイルス薬レジパスビル」が2015年に確立。

 いまもって年間40万人からの犠牲者が出続けているC型肝炎ですが、1960年代の登場から半世紀を経て、最終的に撲滅のフェイズに入ったと考えられています。

コロナにも期待される「撲滅シナリオ」

 米国では「コロナウイルスの年内確立」を大統領選の看板の一つにしていた現職候補が自分自身コロナに罹患するといった顛末が報道されていますが、多くの識者が予測するようにコロナウイルスへの抗体療法は、ただちに決定打にはならない可能性が高い。

 なぜといって、先行するコロナウイルスたちを見れば一目瞭然で、SARSMERSも10年20年を経過して、いまだにワクチンは確立されていません。

 現状では完全隔離による地域予防公衆衛生の徹底以外に本質的な対策がない新型コロナウイルスですが、その撲滅シナリオに一番近い、人類全体に光を与える仕事として「C型肝炎克服の半世紀」にストックホルムはハイライトを当てている。

 私がいま書いているような内容こそ、日本学術会議に相当するものが、発表直後から素早く社会に発信して、世間に希望と刺激を与えるべきと思います。

 コロナ克服に一番の近道は、「新型コロナウイルスRNAを手作りできる理学的基礎研究」にあります。

 すべての部品を自由自在にとっかえひっかえできる実力があるから、様々な抗ウイルス薬の可能性が検討でき、治験に至るプロセスが踏める。

 音楽も同じです。ベートーベンなりモーツァルトなりが記した「音楽のDNA/RNA」のすべての要素を透明に理解し、いつでもどこでも自在に変化させられるだけの器量をもってこれを解釈、場合によって変更していくことで、新しい時代を作り出します。

 私のところではそういう仕事のみ行っています。

 そうしたアプローチトールステン・ヴィーゼルのような科学者も賛同してくれ・・・スウェーデンの生理学者で長年ノーベル賞の選考側で責任を負い、私は「日本学術会議側」のスタッフとして協働、意気投合して現在も行き来が続いています。

 若い世代は、モノカルチャー的な視野狭窄ではなく、基礎に高い志をもって、コロナの克服でも、地球温暖化対策でも、あらゆる森羅万象の問題に主体的な好奇心と独自の取り組みをもって挑戦してもらいたい。

 ストックホルムのメッセージは、それをはっきりと伝えています。

(つづく)

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本学術会議、いっそ改組されたら?

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