日本学術会議が新会員として推薦した105人中6人を首相が任命しなかったことが問題になっている。

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 そして、朝日や毎日、東京新聞などは「学問の自由」を侵害したなどと連日書き立て、モリカケ桜を見る会に続く争点化を狙った扇動紙と化している。

学問の自由」を侵害してきたのは、「軍事研究をしない」と国家の基本にかかわる分野を排除し、また大学院で研究に従事していた自衛官院生を排除した日本学術会議(以下、学術会議)の方である。

 しかし、主要な野党はマスコミの扇動に踊らされるかのように「慣例」を破って「全員任命」しなかったことだけを取り上げ、菅義偉政権に打撃を与えて政局にしようと目論んでいる。

 本来野党が問題視すべきは、学術会議が特定の研究を排除したことや自衛官を大学院から追放して、日本国家の危機対応能力を低減させてきたことであり、これこそが憲法違反ではないだろうか。

 政権奪還の意思を有する野党であるならば、国家の基本問題である安全保障に正面から向き合うべきである。

 政権側は、推薦通りの任命義務はないし、ましてや学問の自由を侵すものではないとして被任命者の見直しはしないとしている。

 時代の推移とともに、慣例にとらわれない政治の対応が求められるのは当然である。

日本人は占領を甘受できるか

 日本は大東亜戦争に敗れて米国の占領下に置かれた。しかし、民主主義や人権など、われわれが今日普遍的価値観と呼ぶものを尊重する米国であり、領土は平和裏に返還され、言論や信教の自由も保証された。

 それでも日本人を罪悪史観に染め上げ、いまだに謝罪外交に傾きやすい。

 しかし、中国やソ連といった共産主義国家に占領された国々の惨状に比すれば、不幸中の幸いであったことは一目瞭然である。

 中国では自治区や少数民族に漢語や漢文化を強要し、従わないものは強制収容され、拷問や死が待っている。

 香港は50年間保証されたはずの自由・民主主義が半分も満たない時点で踏みにじられた。民意も法の支配も抹殺している。

 その中国が尖閣諸島への侵入を繰り返し、沖縄や北海道では土地を買い漁っている。

 国防動員法や香港安全維持法などが内外にも効力を有することを考慮すると、普段から隠密裏に培っているシャープ・パワーと連動して日本占領を意図しているに違いない。

 第2次世界大戦でソ連に占領されたチェコなどの中欧やバルト三国などでは、30代半ばを境に高齢者はロシア語を話し、若年者は英語を得意とするために、老若世代の意思疎通が欠けやすく、年代層による分断があると聞いた。

 ソ連を引き継いだロシアは再び強権政治に戻り、政権に批判的な人物が殺害される事件が続いている。

 敗戦の悲哀と占領を経験したはずの日本であったが、1970年代末には関嘉彦・早大客員教授(当時)と森嶋通夫ロンドン大学教授(同)が「戦争と平和」の掲題で大論争を行った。

 関氏が「非武装で平和は守れない」ので「〝有事″の対応策は当然」としたのに対し、森嶋氏は「猛り狂ったソ連軍が来て惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だ」と、軍事力を放棄して政治力をもつことを主張した。

 有耶無耶のうちに論争は終わった感があるが、今日の中国は当時のソ連以上に人権蹂躙や法の支配を無視している。

 そもそも、「威厳に満ちた降伏」や「軍事力を放棄した政治力」があり得るのか。

「政治的自決権の獲得」が容易でないことは、香港やウイグル人弾圧を見ただけで、だれでも分かる。

設立趣旨に反する軍事研究の排除

 学術会議は、日本学術会議法の前文で「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与すること」を使命として設立すると述べている。

 また第2条で、目的は「科学の向上発達を図る」こと、並びに「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」ことで、立ち位置は「わが国の科学者の内外に対する代表機関」としている。

 学術会議は敗戦直後の荒廃した時期(昭和23年)に設立されたので「復興」となっているが、今日に敷衍するならば、「発展」ということであろう。

「平和的」ということからは「戦争(紛争・混乱を含む、以下同)のない」という意味であるが、これは日本が心掛ければ可能なのだろうか。

 外国に戦争を仕掛けることは論外としても、外国から戦争を仕掛けられた場合、「座して死を待つ」わけにはいかない。

 国家には生存権があり、自衛権もある。そこで最良策は戦争を仕掛けられないように普段から「抑止体制」を構築することである。

 また万一仕掛けられたときは速やかに排除する仕組みや能力、すなわち「反撃体制」を準備しておく必要がある。

 このような体制を作っておいてこそ、平和的な発展ができる。

 日本は憲法前文で世界の国々を平和愛好国とみなしているが、現実には世界のあちこちで戦争が起きているし、軍備競争も熾烈である。

 周辺諸国を見ただけでも、憲法条文の前提がすでに現実から乖離していることが分かる。

 真摯に世界を俯瞰し国際社会を直視すれば、学術会議に設けられている第一部の「人文科学を中心とする科学分野」では、「国家の存続」を考えれば、「戦争の考察」を排除できないはずである。

 その研究成果を踏まえて、戦争に巻き込まれない、あるいは最小限の被害に留めるためにはどうすればいいか、すなわち「国を守る」ために国民や自衛隊はどうすればよいかを不断に教育・訓練することの大切さがわかろう。

 ところが、学術会議は戦争が常在する現実を無視し、願望でしかない「平和」を与件としてスタートした。

「戦争目的の科学研究」(1950年声明)、「軍事目的の科学研究」(1967年声明)、そして「軍事的安全保障研究」(2017年声明)と用語は変わるが、一般に「軍事研究」と言われるものを大学から排除し、また自衛官が国立大学の大学院で学ぶ機会も奪ってきた。

 そもそも平和は与件ではなく、どちらかと言えば常在する戦争を与件としなければ、「人類社会の福祉に貢献」するどころか、人類社会の破滅につながりかねない。

 この意味では人文科学の最大テーマはほかならぬ「戦争」のはずである。

 それを端から除外するというのだから、世界を見る目が狭量すぎるか、〝平和″イデオロギーにとりつかれて現実をみようとしないと言わざるを得ない。

 そもそも戦争をいかにして防ぎ、平和的発展状況を創り出すかがいつの世においても人類最大の課題のはずである。

 そうした考えに立つならば、戦争や安全保障、軍事を研究し、その成果をもとに平和を維持・発展させる方策を考究することこそが大切であり、一意的に軍事関係の研究を排除してきた学術会議の声明は、同法の趣旨にも反しているといわなければならない。

 また、学術会議は内閣府の一機関であり、特別職の国家公務員である。

 このことからも、国家の存亡や日本の安全などの国家の基本問題についてタブー抜きに科学的な理論研究や技術研究を極める推進役となって、国家・国民の生存と福祉に資することが義務付けられているのではないだろうか。

防衛には国家の最高技術が欠かせない

 憲法9条で日本は「侵略戦争」を放棄し、軍隊も交戦権も保有しないとしている。

 日本から戦争を仕掛けることはあり得ないが、尖閣諸島に見るように、いつ何時外国が日本の領土を奪いにこないとも限らない。

 そこで、「守り」は必要となる。そのことを日本では「専守防衛」という言葉で表現している。

 冷戦時代までは戦争と言えば、主として戦車や軍艦、戦闘機などを装備した第一線部隊による戦いであった。

 したがって、「戦争を目的とする科学の研究」と言えば、こうしたハード兵器につながる研究が主体で、これらの成果が、民生技術に生かされ、インターネットやGPSなどの発展を促してきた。

 しかし、その後のエレクトロニクスの著しい発展によって戦争の様相が変革した。

 ハード兵器のぶつかり合いから、その前段階の情報収集・分析や指揮・通信能力に依存する状況になってきた。

 さらに今日では宇宙、サイバー、電子戦が多用され、そうした分野の優劣が勝敗を瞬時に決するに至っている。

 いうなれば、ハード兵器が戦火を交える前に情報機能が潰され、通信妨害で部隊を指揮できず、敗戦に追い込まれる状況が出現してきた。

 このようにして、今日では情報理論やIT技術などの民生主体に生まれた革新技術が軍事に活用されるという両用技術(デュアル・ユース)の時代に移行している。

 こうした理論や技術の研究・開発は当然のことながら大学などの研究室で生まれ、国家の安全のためには必要欠くべからざるものとなってきた。

 防衛省も大学等で研究・開発された技術を取り込む必要性が高くなり、2015年度から「安全保障技術研究推進制度」を創設し、大学等の研究予算が減少するのとは対照的に多大の予算規模(100億円台)で参加する大学を募集するようにした。

 それを忌避すべく学術会議が敏感に反応したのが、2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」で、1950年代からの2つの声明を継承するというものであった。

 軍事にかかわる研究に携わらなければ、象牙の塔に閉じこもって静謐な環境で研究できると思うのは意識の倒錯である。

 ソ連時代の抑圧に勝るとも劣らない中国の台頭にあって、「平和」を保障する「軍事」の研究を忌避するのは時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ない。

 そもそも2017年の声明は日本学術会議の総意ではない。

 いまの時代は軍事研究を排除できないのではないかという懸念が会員から上がっていたが、総会の紛糾を恐れたわずか十数人の幹事会が一方的に「声明継承」を決めてしまったからである。

争点化したい左派マスコミ

 読売新聞は「学問の自由 侵害せず」「前例主義 打破する」(6日)、「過去には廃止論 閉鎖性に懸念も」(8日)などと報じ、産経新聞は「人事を機に抜本改革せよ」(3日)、「前例踏襲に疑問」「学問の自由と無関係」(6日)などと報じた。

 両紙は6人排除の丁寧な説明は求めているが、首相の発言や学術会議の問題点などの事実報道に徹し、肯定した紙面構成となっている。

 中でも3日付「産経抄」は「任命権者である菅義偉首相が任命権を行使して、何が悪いか。(中略)左派マスコミと主流派野党の議論は逆立ちしている」と述べ、「推薦通りの人事が続き、任命権が形骸化していたことに問題はないか」「『縦割りと既得権益とあしき前例』の打破を掲げる菅内閣が、そこにメスを入れて何の不思議があろう」としている。

 これに対して、朝日新聞は「説明なし 学者除外」「学問の自由の侵害」「法の趣旨を曲げた」(2日)と報じた。この時点で早くも事実の報道というよりも戦闘モードである。

 3日以降は連日1面トップで扱い、任命されなかった数人にヒアリングして「学問の自由 菅政権の影」「戦争協力反省し設立」「政治と学問の関係脅かす」「憲法上疑義」など、多くの紙面を毎日使って報道している。

 国会審議を踏まえた8日付は「政府説明あいまい」「〝解釈は一貫″矛盾したまま」と、読者には否定的に伝わる工夫を凝らし争点化を狙っていることが明瞭である。

 毎日新聞も朝日同様に連日のように1面トップで報じ、また3日付「余禄」は「菅首相の前代未聞の任命拒否である。(中略)(拒否された6名は)安保法制などで政府に批判的な学者たちだといわれる。もしもそれが理由なら、日本の学術を代表する機関への政治介入と非難されて当然だ」という。

 毎日新聞が「官邸介入『16年から』」(8日付)、「任命拒否 18年にも検討」(4日付)と報ずるように、学術会議の在り方は以前から問題にされながら、メスを入れるまでには至っていなかった。

 内閣が変わった機会であり、しかも本内閣は「悪しき前例」や「普通でないこと」などを正面から見直そうとしているわけで、政治の本質に復帰したとみるのが正当ではないだろうか。

 ただ騒いで争点化すればいいというのでは軽薄の謗りを免れないし、とても社会の木鐸などではあり得ない。

 東京新聞も前2紙同様に2日から「学者提言機関に異例の介入」(1面)、「学問の自由 侵害」「政権批判の学者排除か」(23面全面)と、「問題あり」とする大々的な報道である。

 3紙は慣例主義を良しとするのみで、首相に任命権があることを報じようとせず、端から争点化に躍起になっていることが分かる。

自衛官の「学問の自由」を奪う

 学術会議の声明によって、大学などは研究を制約されてきた。真に必要な研究ができなくなったという点で、まさしく「学問の自由」を剥奪したのだ。

 同時に、その影響は多くの自衛官が日本の国立大学の大学院へ行けなくし、また大学院に在学中の院生は上級課程への進級が不可となった。

 昭和42(1967)年、修士課程2年目に在席して研究などに勤しんでいた筆者は、博士課程への進級ができないと告げられた。

 理由は告げられなかったが、当時は防衛庁側の要請という認識が先にあり詮索することはなかった。

 しかし、その後に得た情報からは1967年10月の学術会議の声明の結果であった。

 当時はどの大学にも安全保障講座や軍事技術関係の研究室はなかった。したがって、大学院に学んでいた自衛官は「軍事目的の科学研究をしていた」わけではなかった。

 筆者が去った後も所属した研究室は存続したこと、また、他の多くの分野でも自衛官だけが大学院から排除されたことからは、「自衛官」=「軍事研究」と短絡的にみなされたのだった。

 これは「学問の自由」の排除であり、マスコミが好んで使う「差別」以外の何ものでもない。

 戦前には多数の軍人研究者を員外学生として受け入れた東京帝国大学であったが、戦後の東京大学は自衛官の大学院への受け入れ自体を拒んできた。

 したがって、院生として学べる大学は学費の問題などから東大を除く旧帝大系であったが、1967年以降はここも門を閉ざし、費用の嵩む外国の大学院へ留学することになり、必然的に数は限られた。

 しかし、防衛には国家の存続が懸かっており不足する研究者を養成するために、防衛大学校に大学院が併設されることになる。

 そもそも、自衛戦争が認められている国際社会にあって、日本と国民の運命を決するような研究を一意的に排除する権限が日本学術会議にあるはずがない。夜郎自大もここに極まれりであったのだ。

おわりに

 2人以上が集まれば意見の相違や上下関係が生じる。その集合体の国家ともなれば価値観は多様で争いも起きる。

 国内では何とか纏めることができても、他国とは上手くいかないときもある。そこに紛争や最悪の場合は戦争に発展する要素が存在する。

 また憲法で「戦争の放棄」を謳っている国がいくつかあるが、軍隊も交戦権も放棄していない。

 当然のことながら受けて立つ自衛戦争は認められ、「座して死を待つ」国などどこにもないからである。もちろん、安全保障問題や軍事研究は国家が総力を挙げて行っている。

 憲法制定は米国占領下で行われ、当時の日本は武装解除されて無防備の状態にあり、当然のことながら日本の安全は米国(米軍)の責任という日米双方の内意があった。

 したがって、独立した暁には日本は独自の軍事力を持つべきであったが、吉田茂首相は復興のため経済重視で、「自分の内閣」ではという〝限定付き″で軍事力を持たないとした。

 岸信介内閣で主権国家の自覚を持つべく、日米安全保障条約を改定したが、その時の反対運動に見られた以上に軍隊保有は鬼門で、歴代内閣は安易についてきたと言えよう。

 しかし、ジョージ・ワシントン初代米国大統領の発言にあるように、「外国の純粋な好意を期待するほどの愚はない」わけで、日米同盟下の日本ではあっても、「自分の国は自分で守る」という最小限の決意と努力は欠かせない。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  学術会議問題の本当の争点は「人事介入」ではない

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首相の任命拒否によって「学問の自由」が奪われたと口角泡を飛ばしているが、日本学術会議こそ日本人の学問の自由を奪ってきたのではないか