日本学術会議をめぐる問題、ますます喧しくなっていますが、にわか「専門家」の垂れ流す荒唐無稽の数々、多くは失笑を超え呆れて言葉も出ません。

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「報道の自由」は「誤報の自由」「デマの自由」を保証するものではないはずなのですが・・・。

 学術会議をめぐる問題は大きく分けて3つあると思います。

 第1は「6人の任命拒否」にかかわる問題系。

 第2は、学術会議自体が持つ元来の大問題。

 第3は、今回の騒ぎで振りまかれた事実無根の嘘、デマの類の収拾。

 荒唐無稽な批評家を排し、高等学術の立場から、各々について簡潔に整理してみましょう。

デュープロセス、コンプライアンス、アカウンタビリティ

 第1の6人任命拒否問題については、前の前の学術会議会長、大西隆先生の実に清潔なロジックがすべてを尽くしていると思います。

 大西先生は国会の野党ヒアリングで「任命拒否は現行制度に照らしてどうなのかということが問われる」「将来、学術会議がどうあるべきかという議論とは別」と、実にきれいな筋道だけで議論を展開しておられ、一服の清涼剤のように思われました。

 すなわち、メディアや多くの野党、また学究の中にも「学問の自由の侵害」といった立論で、しばしば感情の修飾を伴ったストーリーを演じて見せるものが少なくありません。

 しかし、私はそういうものを一切信用しません。学術とは、常に冷静沈着で、論理的に整合したものでなければなりません。

 芸術音楽家の私が言うのですから、学者屋さんは、下手な素人芝居で激高する身振りなどはやめ、学者さんの本分である冷静な知的手続きに「のみ」集中するべきです。

 大西さんの議論は常に軽い微笑を浮かべながら、是は是、非は非、すべの理非を冷静に腑分けしていく、実に都会的な知性です。

 ところが、この大西さんの議論を「・・・と語気を荒げ」「怒りをにじませた」などと粉飾するトンデモ誤報道を今回目にし、呆れて言葉を失いました。

 動画をリンクしておきましょう。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201014/k10012663491000.html

 前回稿でも指摘した、結論ありきの予定稿にインタビューを当てはめていく呆れた報道が現在も繰り返されている。大西先生はそういう人物ではありません。

 ちなみに大西先生は東京都のど真ん中、港区の麻布高等学校のご出身、次代の東京大学を牽引する藤井輝夫・次期東大総長も麻布出身、いずれも極めて冷静かつ明晰な論理に徹して、問題をスマートに解決される、まさに知の担い手というべきクールな日本の頭脳です。

 その点、御三家などと一言で括られることがあっても、他の有名校、例えば開成高校は、運動会の棒倒しが有名なバイタルな面が知られます。

 また、もう一つの武蔵は他人と変わっていることを一切気にせず、正しいと思ったことを貫く「変人製造機」という特色があります。

 武蔵を卑下するのは私の母校だからで、他の立派なOB諸氏にはお手盛りにならぬアンダーステートメントとして、ご諒解をおねがいします。

 ほかにもラサール、灘、筑駒(筑波大付属駒場高校)などスクールカラーは露骨に存在するし、様々な場所から優れた知のプロフェッショナルは現われ、海外からの留学生が日本で活躍するケースも非常に多くなっています。

「どういうコースできた人はこんな感じ」などという荒っぽい話を塗り絵のように当てはめると大間違いであるという個別を知の世界に通暁する人はみな知っています。

 何を言っているのか?

 知の担い手にも、いろいろあるということです。善し悪しは別として私はこういう世界で40年来やってきていますので、詳細が手に取るように分かることが少なくない。

 マスコミに報道される99%は「分かりやすいように」作文された誤報でしかありません。

 知の担い手は、徹底して冷静かつ論理的であるべきで、大西さんが主張されるように、さらに分かりやすく腑分けしてみるなら

デュープロセス:適切な手続きが踏まれているか?

コンプライアンス:法令を順守しているか(complyは「満たす」の原義、条件充足?)

アカウンタビリティ:説明責任を負えるのか(accountは会計、帳簿のすべての項目をきちんと説明することができますか?)

 というのに尽きます。ちなみに、このテのことにウルサイ教官最右翼となりつつある私は、相手が東大生の場合、さらにラテン語ギリシャ語にさかのぼって語源から説明します。

 カタカナアルファベットを振り回し、その語義が言えないようなものは、知ではなく「痴の担い手」ですから、峻別いたしましょう。

 法的解釈の余地が残るような「学問の自由」その他、感情の修飾が混ざるプロパガンダは、知の手続きではなく情動に働きかけるアクションでしかない。

学術会議を蝕む死病「一票の重み」

 学術会議問題に関する私のコラムはこれで3本目ですが、大西先生もはっきりと区別を指摘される「学術会議がどうあるべきか」という議論だけを、いままで学術会議で私が遭ってきた「実害」も引きながら記しています。

 すなわち、「こんな提言いらない」と床に書類を投げて見せるとか、激高して大声を上げるとか、おかしなネガティブキャンペーンを流すとか、無給で20代30代の助教や准教授を使い倒すとか、人を酷使して作らせた提言から、本当に書いた人の名前を消して「学術会議」の仕事に化けさせてしまうとか、部が違うとお互いに干渉しない「お流儀」が「学問の自由」の実態になっていることとか・・・。

 上に書いたすべて、先期である24期、山極会長期の学術会議で起こった現実の出来事です。

 まあどれもこれも、言っては何ですが、田舎の温泉やくざみたいなもので、下品極まりありません。

 そういう個別具体については、25期で会員に選ばれた友人知己に、すべて実名で(N大学のAとか、M大学のHとか、すでに2度目の定年が近い人たちですので、ここにはあえて記しませんが)伝えましたので、改善されることを切望して、以下のような構造的な問題を指摘したいと思います。

 野村総合研究所時代は電機業界のトップアナリストとして内外に知られ、現在は東京理科大学大学院技術経営専攻教授の重責を負われる若林秀樹先生の分析です。

 以下、分野ごとの関係学会の成員数と、日本学術会議で認められている会員数、そしてその「倍率」を示してみましょう。

電気電子:学術会議会員数=4人、学会成員数=8万7777人、倍率=2万1944倍

数理:学術会議会員数=3人、学会成員数=4万7441人、倍率=1万5814倍

土木建築:学術会議会員数=7人、学会成員数10万2672人、倍率=1万4667倍

機械工学:学術会議会員数=8人、学会成員数11万0885人、倍率=1万3861倍

 上記のような分野では、10万人からの専門学会研究者がいるのに、学術会議に認められている椅子の数は1桁で、1万倍以上の高倍率。

 つまり、その分野の研究者が「日本学術会議」でひと声を挙げるのに必要な一票の重さが極めて軽い。これに対して

経営学:学術会議会員数=3人、学会成員数=2049人、倍率=683倍

政治学:学術会議会員数=5人、学会成員数=950人、倍率=190倍

社会学:学術会議会員数=5人、学会成員数=879人、倍率=176倍

基礎医学:学術会議会員数=15人、学会成員数=1097人、倍率=73倍

 これがもし、選挙における「一票の重み」だとしたらどうですか?

 最も一票の軽い「電気電子」系では、2万1944人で初めて学術会議の1票に値するのに対して、「白い巨塔」とか言うべきではないかもしれないけれど、基礎医学では、たった73人で学術会議の1票に相当する。

 その比率たるや、実に300倍!

 つまり、1人の「医学部財前教授」は、日本の高度成長期を支えてきた半導体エレクトロニクス研究者300人分の「力」を、学術会議的には持っていることになる。

 少なくとも学術会議で多数決を取る場合、そういう構造的な「病」を抱え込んでいる。これは民主主義の観点に立つなら完全に「死に至る病」ガンそのものでしょう。

 こういう現実を知りもせずに「学問の自由を守れ」「民主主義の危機である」・・・へそが茶を沸かす程度に、無思慮な戯言あるのがお分かりいただけるでしょう。

 今回問題になった6人の任命拒否された人たちはすべて文系で、最も高倍率の政治学でも190倍に過ぎず、高々200人の意見で学術会議の1議席を持って発言することができることになる。

 これに対して、土木建築系などの研究者は1万5000人以上集まって、ようやく1人分の声を挙げることができるわけで、こんな体制が民主主義であるわけがない。

 日本学術会議は、今回の6人の任命拒否問題と無関係に、法から改正して、徹底した民主化を進めなければなりません。

 動脈硬化カチカチの縦割りの毛細血管が、学術に壊死を起こしかねない末期状態を示していると言わざるを得ません。

 特に本稿を読んでくださる学術関係者や企業人など、冷静で知的な読者に強くご理解いただきたいと強調する次第です。

 素晴らしい分析をなさり、またそれをご教示賜りました技術経営の若林秀樹先生に、重ねてお礼を申し上げます。

 ちなみに「技術経営」といった融合的な分野に割り当てられる学術会議の席があるのか、寡聞にして筆者はよく知りません。

 21世紀の最先端イノベーションで求められる、新しい融合的な知を考えるとき、学術会議の縦割りは、時代の中で有効な政策提言を出すうえで、百害あって一利もないことも記しておきたいと思います。

若林教授が教える「後期高齢化」学術

 第3の問題、デマがデマであるは、かかわっても生産的でないので、ここで紙幅は割きません。結論から言うと三大紙から大部数の週刊誌ネットなどは言うまでもなく、デマうそマヤカシいいかげんのオンパレードで、お話にもならない。

 上に示すような誰の目にも明らかな、客観中立的なファクトからスタートしない議論は、しょせんは水掛け論に終わり、時間の無駄。休むに似たり、となります。

 どうして若林教授が指摘されたような、学術の「一票の重み」のような格差が生まれたのか?

 それは、実際の選挙における一票の格差と同様の経過があったから、つまり住民の移動があったからにほかなりません。

 客観的に言えることは、例えば日本学術会議1949年、いまだ日本がGHQの占領下にあった時期に成立したこと。

 これを取り上げて右傾化した人がファンタジー豊かな妄想を繰り広げていますが、意味がありません。

 私がお手伝いをした第19~20期は、学術会議最大の再編期で、黒川清会長はそれまで7部に分かれていた学の縦割り細分化を大きく学問を区分けした3つに再編することで、時代の求める学の自在な融合に大きく貢献しようとしました。

 このあたりの経緯はコミットしていたのでよく分かります

 でも、大本の法律「日本学術会議法」(http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/01.pdf)は、リンクで実物を見ていただくと分かるように、大きな枠組みは1948年に法律ができたときから変わっていない部分が目立ちます。

 つまるところ、GHQが進駐していた頃の日本、その頃の学術の影を大きく引きずっている。

 戦後のベビーブーマーを念頭に推進された大学の講座倍増も、戦後高度成長を支えた電子立国日本の変化も、1990年代以降のロスジェネ期の変化も、私がコミットした時期の「平成16年の改革」以降の激変も・・・一切枠組みの中に取り入れられていない。

 世界はリーマンショックで冷戦後構造が終わり、日本は東日本大震災福島第一原子力発電所事故以後の完全停滞の10年に入り込み、地球は気候が狂わされて2016年以降はハリケーンも台風も滅茶苦茶なことになり、さらに2019年からは新型コロナウイルス感染症パンデミックが全世界を襲っているわけですが・・・。

 それらすべてに関係がない。

 言ってみれば1945年、終戦時点での「優雅で感傷的な日本学術」をそのまま引きずってその後の75年を生きてきた。

「後期高齢化した学術」の寄り合いであることを、24期の惨状を見た一国立大学教員として過不足なく記したいと思います。

 こういうことを、顔と名を曝して記すのは、大学教員としては決意の必要なことですから、いい加減な憶測などは一切記しません。すべてファクトに基づいて、正確にお話し、建設的な観点から改善を求めたいと思います。

 既に十分、老朽化して動脈硬化の塊のようになっている今の学術会議は、適切な法改正も厭わず、2030年以降の世界に対応できる柔軟な形のものに改める必要があります。

 そのためには、政府の協力も必要不可欠ですが、何と言っても学術会議そのものが、自己を冷静に見つめ、真摯に反省することからスタートしなければ、いつまで経っても治りません。

「6人問題」で論点をすり替えることなく、死に至る病を自ら克服することを、ほかならぬ学術会議へのエールとして記したいと思います。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本人から「学問の自由」を奪ってきた日本学術会議

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第1回日本学術会議のメンバー210人を選挙するため選挙有資格者4万人の科学者に投票用紙を郵送する作業を見守る関係者。中央は連合軍最高指令部経済科学技術長代理のケリー博士、学術会議組織委員長のK・カネシゲ博士(右)、選挙報告委員長の矢内原忠雄博士(左)。写真:写真:近現代PL/アフロ