最近の政治家は二世・三世ばかりだという。議員になるには俗に言う三バン、つまり「地盤」=後援会などの支持組織、「看板」=知名度、「鞄」=財力がものをいう。このすべてを引き継ぐ世襲政治家が、さして苦労することもなく議員の座を手に入れ、政治を行う。もちろん鷹の子は鷹。優秀な血統で頑張っている政治家もいるが、一般国民の思いをまるで理解できずに自らの利権の確保ばかりに走る輩もいる。

開業医までも「三バン」へ

 医者の世界も似たようなところがある。最近は開業医などの多くは二世あるいは三世が医者業を家業として受け継いでいるケースが多い。医者になるには大学の医学部を出て国家試験に合格しなければならない。成績優秀であれば問題はないが、中には親の「鞄」=財力でなんとか医学部に滑り込む子弟も多い。医者になって開業するにも、親が開業していた地で抱えていた患者たちは、「地盤」として引き継ぐことができる。またこれまで地域に根付いてきた抜群の知名度は、「看板」として威力を発揮するのだ。

 私自身は父親が医者であったが、代々引き継がれてきた医者ではなく、しかも勤務医であったため、特段に引き継ぐものがなかった。そんなわけで兄も私も医者にはならなかったが、父親の患者さんからは「なぜ医者を継がないのか」とずいぶんお叱りを受けた記憶がある。地盤、看板がもたらしたお叱りだったのだ。

 二世・三世の医者がヤブ医者だというわけでは必ずしもないが、中には「お父さんは良い医者だったのに、あのぐうたら息子の先生にはあまりかかりたくないわよね」などと噂される医院も少なくない。

 このように政治家や医者の世界ではいわば家業のような形で、代々受け継がれる職業が存在するが、実は日本社会の中ではこの二世・三世が大量増殖している。サラリーマンだ。サラリーマン和製英語だが、戦後75年が経過する中で、このサラリーマンという家業が急成長しているのだ。

戦後、就業者の半分から77%に伸びたサラリーマン人口

 国の労働力調査によれば、戦後15年が経過した1960年における国内の就業者数は約4436万人。このうち雇用者(役員を含む)と定義される何らかの組織に属して働く人の数は2370万人だった。サラリーマンは働く人の約53%にすぎず、この頃の働き手の多くはまだ農業従事者や商店主などが一定の割合を占めていた。いっぽうで地方から多くの働き手が東京や大阪、名古屋などの都市部に流入しサラリーマンになりはじめたのがこの時代の特徴だ。

 地方の農家などから都会にやってきた働き手は猛烈サラリーマンとして日本企業の躍進に務めた。滅私奉公して会社のために尽くすのが当時の流儀。彼らの猛烈な努力は、90年にかけて日本経済が世界が瞠目する成長を遂げる大きな要因となったのだ。戦中から団塊世代と呼ばれる人たちである。彼らはいわばサラリーマン一世として活躍し、頑張れば収入も上がるシンプルな経済原則の中で生き抜いたのだ。一生懸命働く彼らは他方で自らの待遇の改善やそれらを可能にする政治にも大きな関心を寄せた。安保闘争などの学生運動から労働条件の改善を求めた春闘、労働組合は活発に行動し、社会での存在感を高めた。彼らは90年にかけて社会の一大勢力に発展する。90年における勤労者の数は4835万人。就業者数6249万人のうちの77%を占めるようになっていたのだ。

二世は完全なサラリーマン社会に

 サラリーマン一世たちの多くは農家の出身者、長男が家業を継ぎ、いわば地方から不退転の覚悟でやってきていたために、自分の土地、家を持つことに憧れた。かれらが憧れのマイホームを構えたのが大都市圏郊外だった。戦中世代の多くが、首都圏であれば世田谷区杉並区といった郊外に家を構え、そこで育った子供たちは、戦後まもなくのように飢えることもなく高度経済成長期の波に乗ってすくすくと育った。彼らは躍進を遂げる日本企業に就職することに憧れ、良い学校を出て、大きな会社に入ることを目指すようになる。サラリーマン二世の誕生だ。親の勤める会社に親子で就職できる例は少ないが、看板こそ違っても、たとえば大企業という同じセグメントに入ることを目指したのだ。

 

 彼らの多くは、親の代とは異なり「飢え」がない。社会も安定し経済も順調に成長していく中では、政治や労働組合に関心がなくなり、自分たちの幸せを追求するようになる。会社の中では猛烈企業戦士として戦ってきた団塊世代の下で、ひたすらおとなしく振舞うことで出世という果実を採りに行くことを願ったのだ。2000年になると就業者は男女雇用機会均等法などの効力も出て6446万人に膨らむが、そのうち雇用者は5356万人、就業者の約83%にもおよび、日本は完全なサラリーマン社会に変容していく。

三世で、もはや「無理をしなくても大丈夫

 現代では団塊ジュニアが会社を支えながら、さらにその子供の世代が就職をし始めている。この世代になると、社会における成功の方程式はほぼ決定し、この方程式の解き方について様々な解説本、マニュアルが完備されるようになっている。サラリーマン三世の登場である。三世になるとさらに親の敷く道にそもそも疑問を持たなくなる。これまでのように一億総中流と言われたような中間層は崩壊し、日本社会の二極化が顕著になってきている姿を見て、「親の言うとおり」にしていれば、間違いない人生が送れると考えるのだ。

 だが、こうした階級社会の成立は、日本経済をけん引してきた会社組織の中ではあまり良い方向に働かない。会社を成長させるために猛烈に勉強してがんばろうという気持ちは薄れ、大きな組織のなかでつつがなく生きよう、無理をしなくても大丈夫といった安穏とした空気が蔓延しはじめるのだ。三世たちからみればもはや政治家なんて、学校の学級委員とほぼ同じような存在に映っているのではないか。「まあ、好きだったらやれば。自分は関係ないっし」自分たちの労働条件の改善なんて所詮できっこないし、上の人が決めればそれで仕方がない。

現状維持を強く願うがために

 同じ種族同士の傷のなめ合い、なれ合いも目に余るようになる。だから官僚達が多少忖度をして、それがマスメディアに追及されても、批判ばかりしているとか、それなら自分でやってみれば、といった「俺たち関係ない」病が蔓延するのだ。

 歴史をふりかえってみても、二世、三世は初代の活躍ぶりに比べて地味な存在が多い。そして代が続くにしたがって、この状態を未来永劫守っていこうという発想に変化していく。階級社会の誕生だ。二世や三世は会社を大きくするような冒険はできないし、やる気もない。だが、自分たちが置かれたぬくぬくとした環境は死に物狂いで守ろうとする。政治に関しても現状がこのまま維持されていくことを強く願う。それが保たれるのであれば、多少政治上の失敗や、不正があったとしても、深く責任を追及することはしない。やりすぎると自分たちに都合の良い社会を壊してしまうことにつながることを恐れているのだ。

 こうした風潮は、やがて社会から異質なモノは排除し、自分たちだけが理解できるもの、同じ思想の人たちとだけ仲良くしようという排除の論理が働くようになる。実は今、全世界でこうした発想を持つ人たちが急速に増えている。この風潮がエスカレートすると、社会の分断が始まり、互いに憎しみ合うようになる。日本社会は今、その分水嶺に立たされているのだ。

(牧野 知弘)

©️iStock.com