祟り神(たたりがみ)は、荒御霊(あらみたま:天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働き)で畏怖される。

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 しかし、丁寧に祀り上げることで強力な守護神になると信仰されている。そして、恩恵を受けるも災厄がふりかかるも信仰次第とされている。

 もし、あなたが、怨霊、物の怪、妖怪など見えない世界の何者かに祟られたら、いかに対処すべきか。

 まずは、祀り上げて鎮め、あの世へと帰るよう促すことである。

 では、生きた人間の恨み、生き霊に対しては、どのように対処すればいいのか。

 誰かを恨んだり、他人を妬んだり、時には人を呪いたくなるといったことは人間の稟性である。

 人を踏み台にしてのし上った元同僚の上司や、陰でコソコソありもしない噂話を吹聴する部下に対し、「あのやろう、事故にでも遭えばいいのに」と思ったことは、誰しも一度や二度はあるのではないか。

 恨みを晴らすというのは心に蔓延る恨みの念を消し去ることをいう。

 晴らすの「晴れ」は天気であり、その逆が「曇り」。人の心や社会、経済も天気同様、晴れの日があれば土砂降りの日もある。

 人の心の曇りが色濃くなれば闇となり、闇に蠢く魔物が動き出す。

 人を強く恨めば怨念となる。怨念の実体は「呪う心」である。だが、ただ単に相手を心の中で恨むだけでは現実を動かすことができない。

 恨みは積み重なることで、心の中に収まりきらなくなると、人は合理的判断を失いがちになる。

 そして理性が保てなくなれば、憎き相手に現実的実効性が起きうる行動に導かれる。

 まずは、確実に恨みを晴らさんと、藁人形など道具を使うなどして呪的な行動に出る。結果、渦中の人物が災厄に見舞われれば、怨念は浄化され、呪う心は一遍に鎮まる。

 人間の強力な恨みには、神秘的な力が宿る。その理由は、生き霊は人の精神そのもので、潜在意識の領域に働く習性があるからである。

 呪う心は人間の隠された力で、恨みや憎しみが限界を超えると、生き霊が発動し、相手に事故を起こさせ、破滅させることができるという信仰は、今も世界中に存在する。

古代の呪性

 イスラムコーランには「右手に剣を、左手にコーランを」との教えがあるが、これは支配者にとっての金科玉条である。

 古代国家や中世の大航海時代植民地支配など、権力者や支配者は武力や強制力だけで国家や地域社会を統治したのではない。

 宗教的、神秘的な権威をも利用しながら民を支配した。

 支配者は社会秩序と自然秩序の統治者になる必要があり、中国では天文と、自然現象は天の支配者に対する評価と判断と信じられ、政治と密接な関わりがあった。

 また、天体観測の結果、国家の重大事項が予想されるなど、吉凶を読み解くことや、祈祷といった天に働きかける行為は科学であり、軍事と同様に国家の機密でもあった。

 日本でも古代、占いは国を動かす根幹であり、邪馬台国卑弥呼は鬼道を司る巫女(ふじょ)であった。

「巫」の文字は音楽や舞によって神を招く技術という意味がある。巫女は神霊、精霊、死霊など超自然的存在と直接交流し託宣、呪い、占い、祭儀を執り行う。

 聖徳太子は仏教の保護者であるが、陰陽道にも造詣が深く、冠位十二階は天体の星の十二衛星を群臣になぞらえている。

 日本では奈良時代に、神や魔物の怒り、人の恨みによる呪いや生き霊といった概念が定着し、それは天災や疫病の原因とされた。

怨霊、物の怪、妖怪が闊歩した時代

 闇に光が当たることなく、闇は闇のままの、鬼、妖怪といった魔物が存在した平安時代は呪いの時代として始まった。

 8~9世紀、平安京は、疫病で死ぬ人、餓死した人の死体が市中に放置され、鬼は人肉を食らうが、人が鬼と化し、飢えを凌ぐため人肉を食べた。

 それがさらなる疫病の蔓延につながるという悪循環に陥った。

 天皇にとって戦乱や疫病、天変地異は鬼の仕業と考えられていた。怨念が鬼となる。鬼は、もともとは中国で死者を指す言葉であった。

 恨みを抱きながら死んでいった者が怨霊として顕われる。さらには呪詛する者がその怨念によって生きながら鬼となって恨みを晴らそうとする。

 呪詛には災厄を生む効果がある。

 宮中においては、貴族や僧侶、神官らが国家転覆を謀り、時の天皇や権力者を呪詛する政争が日常的に発生し、呪われる前に呪うということも頻発した。

『続日本書紀』には「誰かが呪詛を行ったかかどで処刑された」とか、「呪詛禁止の勅令が発布された」との記載もある。

 だが、禁止令を顧みず、呪いが繰り返されたのは、呪われる恐怖とは対照的に、他人の不幸は一種の快感という人間の感情によるものも含まれるからであろう。

 そして、呪う人も呪われる側も、ますます奈落へと引きずり込まれる負のループへと陥ったのである。

 呪いが渦巻く宮廷では、皇族や貴族が病気になると看病禅師が対応した。

 看病禅師は官職で呪的な知識だけでなく、医療的な心得も持ち合わせた知識人の最高位でもあった。

 平安京の都には鬼が入れないよう結界が張られていた。

 北東の鬼門の方角には悪い気が集まりやすく、百鬼が出入りするところとされ、比叡山延暦寺は都の守りを強化するために置かれたものだった。

 南西の裏鬼門には岩清水八幡宮が置かれ、羅生門や朱雀門は鬼が入ることができない門とされていた。

 だが、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』には、羅生門や朱雀門では無数の鬼たちが練り歩く百鬼夜行が目撃されたと記されている。

 百鬼夜行に遭遇すると、遠からず死ぬという話がある。

 日本で呪いが知識や技術として確立したのも平安時代。密教僧と陰陽師がその役目を担い、不思議な力を発揮した。

 陰陽師は天皇や貴族の依頼で筮占(ぜいせん)や式盤占いで病気や災厄を占っていた。また、眷属である式神を意のままに操り数々の不思議な現象を起こしたと伝わる。

 式神とは陰陽師が使役する鬼神で、様々な姿身を変えて、人の善悪を監視するもので『宇治拾遺物語』では紙などを陰陽師の呪力で生きものの如く操ったと記されている。

 陰陽道は5~6世紀頃、中国から伝わり、平安時代前半、宮中において呪術(祈る技術、呪う技術)は陰陽道が中心で、陰陽道は宮廷で重要な学問とされた。

 風水学と同じ陰陽五行説がその根幹で、天文、暦、相地、占筮、方術や、未来も読み取るとされ、災いが生じても原因を探ることで状況を変えることができたと伝えられている。

 空海が唐から日本に帰国した当時、宮中では、皇位継承をめぐり平城(へいぜい)上皇と嵯峨天皇とが対立。

 平城上皇の寵を得ていた藤原の薬子は兄仲成と共謀し上皇の皇位復活のため、再び奈良へ遷都を企てる。宮中の内乱「薬子の変(くすこのへん)」である。

 嵯峨天皇は、この騒乱を治めようと空海を呼び寄せ、高雄山寺で調伏(祈祷によって魔物や敵を下すこと)の祈祷をすると、藤原の仲成は殺され、薬子は自害。

 平城上皇は出家し平安京は落ち着きを取り戻した。

 密教の調伏は秘法中の秘法とされ、その修法はひそかに連綿と現在まで伝えられている。

 国家の重大な祈祷の際には、最大の威力を発揮するため不動明王を中心に降三世(ごうざんぜ)明王,軍荼利(ぐんだり)明王,大威徳明王、金剛夜叉明王の五大尊をすべて動員する五大明王法(五壇法)が用いられる。

 密教が宮廷で信頼されたのは儀軌といわれる膨大な経典により、修法のバリエーションが多岐に及び、また、その奥行きの深さとスケールの大きさにより、宮中内で重要な地位を築くに至った。

 平安京の大内裏(だいだいり:天皇の居所である内裏と政府諸官庁の置かれた一区画)に宮中真言院、修法院、曼荼羅道場が設けられたのは、呪性が修法支配体制強化のために有効と認識されたためである。

 密教は国家の隆盛にかかわる重要な機密事項として扱われ、天皇は密教行事を宮中で執り行うことで強力な呪力を独占し、敵対する勢力に用いられないよう管理した。

 空海は鎮護国家の祈りを捧げる壇を建て51回、修法を修したと伝えられる。

 朝廷で密教行事が執り行われた期間は、室町時代の一時期の中断期を除き、明治維新の前まで約1000年続いた。これほど長く日本で権力者に重んじられた宗教は他に例がない。

 権力者が法力の効果にすがった歴史が示しているのは、呪術(祈る技術、呪う技術)の効験は現実であり、その神秘的な働きは科学的な現象と確信していたからである。

呪う側の論理

 法律は社会秩序維持のため、不特定多数、千差万別の感情をもつ人間の行動を制限し、処断するためにつくられた。

 法律が発布されたのは紀元前3000年に遡る。古代エジプトの法律には社会的平等性の尊重、公平性の重視を特徴の民法があったという。

 古代メソポタミア文明から拡大したバビロニア帝国の初代王ハンムラビは、紀元前1760年にバビロニア法典を発布。

 国の至る所に法典を散在させ、国民が閲覧できるように体制を整えた。

 だが、人間の性合は、己が愚弄されれば人を恨み、憎き相手には呪いをかけたくなるもので、法律は人間の感情の内側に進入して予防したり、裁いたりすることはできない。

 恨みといった目に見えない現象には、法律や警察も無力なのだ。

 もし、呪いの心が生まれ、呪的な行動をとったとしても、それが悪辣不義と一方的には言い切るわけにはいかない。

 なぜなら、人間は社会的生物であり、常に立ち位置というものが存在するからである。

 鼠小僧次郎吉は大名屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人たちにそれを施したとされ、義賊として伝説化された。

 施された貧しい人たちの恩義の論理をとるか、それとも大金を奪われた大名の欝憤の視点に立つか。どちらの側にも抗弁はある。

 学校における「いじめ」だけでなく、企業や官公庁にも大人のいじめである「パワハラ」が横行している。

 呪う弱者(犠牲者)と呪われる強者(攻撃者)。だが、畏怖されるべきは人の心。御座形(おざなり)にするべからず、である。

 生き霊、怨念という概念は、依然、現代でも活発に生き続けている。

 呪う心には隠された力がある。強力な恨みや憎しみが限界を超えれば、潜在意識の領域に影響する。

 すると、神秘的な力が発動され、原因不明の災厄を招きかねない。人を呪う心。怨念を晴らさんとする呪性は、果たして正義か不義なのか。

 その価値判断は、それぞれの立場の論理があり、その違いにより見解は変わる。

 祟り神同様、人の心も、普段から丁寧に祀り上げるのがよろしい。

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