代替テキスト

国内の科学者を代表する機関である日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、6人を菅義偉首相が任命しなかった問題が波紋を広げている。日本学術会議の「会員」を務め、現在も「連携会員」である上野千鶴子さん(72)はこの問題をどう考えているのか。

「今回の任命拒否問題には、怒り心頭というよりも、学問の自由が脅かされることに強い危機感を持っています。これまで日本学術会議は、政権に対して耳の痛いことを言ってきましたから、“潰したい”という意図があるのだと思います」

今回、任命拒否された6人は、安倍政権下で安全保障関連法や“共謀罪”に反対の立場をとった学者たちだ。以前から政府の意に反する学者は排除しようという動きはあったと上野さんは語る。

「たとえば、自民党杉田水脈議員は『慰安婦問題は捏造だ』と主張して、研究する学者たちを攻撃しました。さらに、ジェンダー研究など自分が敵視している研究に対して、『科研費(予算)を助成することは問題だ』と繰り返し発言。要は政権の方針に反するような研究はするなと考えているのです」

2018年に杉田議員はツイッターでこんなツイートをしている。

《国益に反する研究は自費でお願いいたします。学問の自由は大事ですが、我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない。そんな国民の声を受け止めてください》

中傷を受けた4人の学者が原告になって杉田議員を提訴、こんな内容の声明を出した。

<杉田議員は、私たちに対して「反日」というレッテルを多用し、さらには「国益を損ねる」研究に科研費を助成することは問題であると繰り返しています。自らの偏った価値観から「国益」とは何かを決め付けること自体問題ですが、その上にそれを理由に学問研究に干渉・介入することは、学問の自由を保障する民主主義国家において許されません>

杉田議員は性暴力被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんを「女として落ち度がある」「仕事が欲しいという目的で…男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性」などと中傷し、今年8月に伊藤さんからも提訴されている。さらに9月には自民党の部会で、女性に対する性暴力に関連して「女性はいくらでもうそをつける」と発言し、党内からも批判を受けた。

このように杉田議員は“性暴力に抗議の声を挙げる女性”を一貫して攻撃し続けてきたのだ。また、LGBTのカップルを「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」と主張したこともある。上野さんはこんな危惧をしている。

「私が活動してきた日本学術会議のジェンダー関連分科会では、刑法改正への提言で性犯罪の成否に“同意の有無”を加えることや、性的マイノリティの権利保障などを提言してきました。万が一、杉田議員が総理大臣官房長官になったらどうでしょう。彼女のような人物が、人事に介入してくることになったら、ジェンダー研究者も学術会議から放逐されるでしょう」

今回のような学問に対する政治の不当介入を見過ごし前例としてしまえば、ある学問分野を敵視する政治家が人事権を握ったときに、歯止めがきかなくなるおそれがあるのだ。

政府が日本学術会議を敵視する理由のひとつに「軍事研究」の問題があると上野さんは指摘する。日本学術会議は“戦争を目的とした科学研究”には協力しないという方針を70年間貫いてきた。

一方、政府は2015年に、“防衛装備品”の開発に役立つような研究に研究費を出す「安全保障技術研究推進制度」を創設した。

「政府の意に反する研究をしている者には予算もポストも与えないようにする一方で、このような研究にはお金を出していく。こうして、政府の望む方向に研究者を誘導していくのでしょう。学問への政治介入は、今後さらに露骨になっていくはずです」

上野さんはこの問題が学者だけの問題ではないと、警鐘を鳴らす。

「たとえば、家父長制という言葉、ジェンダーという言葉、ドメスティックバイオレンスセクシュアルハラスメント……。これらは学問を通して日本語に定着していった言葉です」

これらの言葉が、それまで“あたり前”とされていた女性への差別や暴力を可視化した。

「私たちジェンダー研究者は、調査し、研究し、データをまとめて、有無を言わさぬ形で社会を説得してきました。学問によって社会を変えてきたんです」

男女平等だけではなく、言論の自由も、民主主義の発展にも、学問は大きな役割を果たしてきた。しかし、学問の自由が阻害されることによって、そうした流れが停滞したり、場合によっては後退してしまうことになりかねない。

「この問題を見過ごすと、あなたの自由がなくなり、言いたいことが言える社会ではなくなるかもしれない。決して対岸の火事だと思わないでください」

そう力強く語った上野さん。学問は政権のためではなく、私たちのために存在するのだ。

PROFILE

上野千鶴子

社会学者。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。近年は高齢者の介護とケアも研究テーマとしている。

「女性自身」2020年11月3日号 掲載