1935年にソ連で始まった「スタハノフ運動」。国家計画に基づいて定められた生産量(ノルマ)を超過達成しようという大増産キャンペーンだ。しかし、過酷なノルマが逆に生産性を低下させ、ノルマさえ超過達成できれば質はどうでもいいというものとなり、弊害ばかりが目立つようになった。

1950年代の中国で行われた「大躍進政策」では、農業生産量が激減したことで、数千万の餓死者を出してしまった。多くの国で、この手のキャンペーンは行われなくなったが、例外が北朝鮮だ。

近年に入っても、2016年の70日戦闘、200日戦闘など、期間を決めた大増産運動を繰り返し、現在は来年1月に開かれる朝鮮労働党第8回大会に向けた「80日戦闘」が繰り広げられている。それが開始早々、犠牲者を出してしまった。

事故が起きたのは、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の清津(チョンジン)製鋼所だ。今月12日、復旧させたばかりの3号溶鉱炉で事故が発生し、労働者5人が窒息死し、4人が重篤な火傷(3度熱傷)を負った。高温の中で労働者が倒れた現場の様子は悲惨で、地獄絵図のようだったという。

現地のデイリーNK内部情報筋は、事故の原因を次のように説明した。

一度火入れした溶鉱炉で作業を行うには、温度が低下するまで10日以上待たなければならない。製鋼所の幹部と技術者は、それを知りつつも、80日戦闘を一日も早く始めなければならないとの焦りから、充分に冷めていない溶鉱炉で労働者を作業に当たらせた。

中央党(朝鮮労働党中央委員会)と道党(朝鮮労働党咸鏡北道委員会)は、慌てて事故の調査に乗り出し、14日に事故審議を行った。製鋼所の党委員会は「溶鉱炉は10日以上冷まさなければならないが、国の計画が達成できていない状態で、80日以内に後れを取り戻し、さらなる成果を上げようとして事故が起きた」と釈明した。

中央党のイルクン(幹部)は、長い沈黙の末に「他の方法を考えるべきだった、事故を起こしてどうするのか」と発言した後、「いかんせん80日戦闘に突入した製鋼所のイルクンの思想精神的態度はよろしい」と称賛したという。

金日成主席、金正日総書記の肖像画を事故や災害から守るために命を投げ出した人を称賛するのと変わりない。

調査チームは、亡くなったり怪我を負ったりした労働者に対して慰めの言葉を発した上で、技術課の課長と副技師長に党的処罰を与えるという、形式的な処罰を下すことにして、審議を終わらせた。

この話は現地の住民の間に広がり、非難と嘆きの混じった声を上げている。

「(80日)戦闘が人を殺す」
「腕のある技能労働者が突撃隊に動員された挙げ句、事故に遭った」
「昼夜を分かたず戦闘、戦闘と言って彼らを死なせたら、一体誰と革命を達成しようというのか」

重い火傷を負った労働者は、平壌医科大学病院に搬送されたが、家族はただでさえ生活が苦しいのに、患者を抱えることになりお先真っ暗だと泣いているという。

そんな話を聞いた住民たちは「今のように生活が苦しい時期に、一生の重荷を背負い込むことになった。(苦しみは)死んだ労働者の遺族と同じだ」と気の毒がっているという。

慈江道にある軍需工場、将子江工作機械工場を視察する金正恩氏(2019年6月1日付朝鮮中央通信)