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評価が分かれるアウレリアとフラミリア

text:Martin Buckleyマーティン・バックリー)
photo:Olgun Kordal(オルガンコーダル)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

  
高く評価された車種の後継モデルは、ファンから否定的に見られることが少なくない。ランチア・アウレリアB20 GTと、その後継車種にあたるフラミニア・クーペも、そんな関係にある。

客観的には全体的に前身より優れていた、1958年登場のフラミニア。しかし、アウレリアのように多くの称賛を集め、広く認められるモデルにはなれなかった。現在のアウレリアB20 GTの取引価格を見れば、その差は今も変わらないようだ。

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ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8

筆者はこれまでフラミニアを数台所有し、その価値を理解している。しかし、コレクターがアウレリアを珍重し、高い価格で売買する気持ちもわからなくはない。

技術的には、この2台は似通っている。兄弟関係にあるといっても良い。

アウレリアとフラミニアは、いわゆる普通のクルマと、フェラーリマセラティ、アストン マーティンなどの大型なエキゾチック・クーペとの間に位置するようなモデルだ。一方で、実用的なメルセデス・ベンツランドローバーなどとも違う。

英国の例でいうなら、6気筒のブリストルが、V6エンジンを積んだランチアとイメージ的には近いかもしれない。目の肥えた人が選ぶような、わかる人にはわかるタイプ。

この頃のランチアには、ドライバーへの訴求力も、技術的な洗練性も備わっている。美しいボディと、機能的な素晴らしさも。見られ方が、大きく異なる以外は。

モータースポーツのイメージが牽引

アウレリアB20 GTには、革新性とモータースポーツでの栄光という物語がそばにある。レーシングドライバーに憧れた多くの人が、少なくない現金を準備して、アウレリアを手に入れた。1950年代の、高性能なスポーツカーだった。

ところがフラミニアには、機会を逸した失敗作というイメージが染み付いている。技術的に古いというイメージや、感心を集めにくいスタイリングが、フラミリアの販売の足を引っ張った。

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ランチア・アウレリアB20 GT S6(1957年1958年

一方で、ランチアとして最も高い製造品質を備えた時代のモデルだと、考えている人も少なくない。この頃のランチアは、深刻な財政難に苦しんでいた。2台の高い水準とは裏腹に。

1955年ランチアの経営はランチア家から、カルロ・ペゼンティへと移り変わる。その楽観主義といえる戦略の中で、フラミリアは誕生した。

実際のところ、フラミニアは全面的な改良が加えられていた。技術者アントニオ・フェシアが手掛けた、不等長のウイッシュボーン・サスペンションをフロントに採用。独立懸架式を採用し続けたランチアとしては、大きな方針転換といえた。

この進化が、熱心なランチア・ファンを遠ざけることになった。スライディング・ピラーと呼ばれる、古いサスペンション構造に執着する気持ちが、フラミニアの否定へとつながった。

魅力がなかったわけではない。先代のイメージを高めたモータースポーツとは違うスタイルとして、1960年代初頭の新しいブランドを提示していた。

出だしは好調だったフラミリア

フラミニアのスタートは順調だった。1957年サルーンベルリーナが発表されると、ドライバーやマスコミは大歓迎で新しいランチアを迎えた。だが、2.5Lのサルーンとして最も高価な1台に数えられたモデルを、買える人は限られていた。

1958年には、ツーリングやザガート、ピニンファリーナ・ボディの特別な2ドア・クーペが追加。肯定的な注目を集めることに成功した。合理化を進めるべきだったランチアだが、モデルレンジの拡大を進めた。

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ランチア・フラミリア・クーペ 2.8(1963年1967年

フラミニア・ツーリングGTは、アウレリアB20に最も近いモデルだったといえる。一方で販売的には、4シーターのピニンファリーナ・クーペの方が、より直系になったといえるだろう。

1970年の製造終了までに、3424台のフラミニア・サルーンランチアは販売していたが、ピニンファリーナ・クーペは5282台が市場に出た。製造年は1958年から67年とわずかに短いものの、フラミリアでは主要な位置を占めていた。

クーペはサルーンより軽量で、全長は少し短い。3B型と呼ばれる2.5LのV6エンジンを搭載し、最高出力は120ps版129ps版が用意された。後期になると2.8Lへ排気量を拡大。3チョークのソレックス・キャブレターを装備し、138psを獲得している。

一方、前身のアウレリアB20では、シリーズ4が最もパワー・ウエイト・レシオに優れる。最高出力は120psだったが、フラミリアのクーペより活発に走った。この事実が、ランチアの後継モデルの勢いを鈍らせた理由の1つだったといえる。

世界初の量産V6エンジンを搭載

ラグジュアリー路線のフラミリアと比べると、アウレリアはアスリート系。フラミリア・ザガートですら、モータースポーツでのエピソードは残っていない。

1950年代を通じて、アウレリアは多くのレースシーンで活躍。ミッレ・ミリアル・マン、タルガ・フローリオなどで、ランチアを強くイメージ付けた。

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ランチア・アウレリアB20 GT S6/ランチア・フラミリア・クーペ 2.8

アウレリアは、ジャンニランチアの指揮のもと、伝説的な技術者のヴィットリオ・ヤーノが設計を手掛けている。後継モデルには太刀打ちできない、成り立ちの上での感情的な強みがある。

50年に及ぶ歴史の革新的なブランドとして、アウレリアには卓越した内容が期待された。その結果、世界初の量産V6エンジンを搭載し、トランスアクスルレイアウトを採用する。

リア・サスペンションは先進的なセミトレーリングアーム式。当時のランチア水準でいっても画期的で、高い洗練度を備えた内容だった。さらに4ドアサルーンベルリーナより小さく軽量なボディも、当然のように派生した。

1951年のトリノ・モーターショーで登場したのが、B20 GT。2.0Lエンジンに2+2レイアウトのファストバック・ボディをまとった。サルーンよりホイールベースも短い。

最高出力76psで、最高速度は160km/h。グランドツアラーというクーペ・スタイルを提示した。

イタリア高速道路を、3.0Lや4.0Lエンジンのモデルと同様に安楽にクルージングでき、長距離を短時間でこなした。それでいてステルビオ峠では、ミシュランXタイヤを有効に使った走りを楽しめた。

この続きは後編にて。


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