1971年東京オリンピック大阪万博を経て日本が経済成長を達成した豊かな時代、「カバトット」という小さなアニメ番組が放送された。フジテレビ系列で月曜から土曜までの毎日18時55分からの5分間だけ、ほとんどセリフのないギャグ短編。制作したタツノコプロ(当時は竜の子プロダクション)はすでに「マッハGoGoGo」(1967年)で高い評価を獲得しており、翌年には大ヒット作となる「科学忍者隊ガッチャマン」(1972年)の放送を控えていた。
リアリスティックな絵柄で独自の作風を確立しようとしていた創成期のタツノコプロにとって、「カバトット」のような帯番組はどんな意味があったのだろう? 同社の設立に深く関わり、「カバトット」の監督も務めた笹川ひろしさんに、タツノコプロの60~70年代を振り返っていただいた。

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吉田竜夫のキャラは難しくて誰にも描けない? 第1作「宇宙エース」誕生まで


── 「カバトット」は、カバと鳥のトットがお互いにおちょくりあう、「トムとジェリー」のような構造のコメディですね。

笹川 そうですね、毎回なにか事件が起きてギャグで笑わせる。「カバトット」のような短編だけでなく、タイムボカンシリーズでも同じことです。アニメーションでも漫画でも、それが基本だと思います。タツノコ作品の中では、「ギャグ物なら笹川だろう」とよく言われるのですが……。


── 「カバトット」の前だと「おらぁグズラだど」(1967年)、「ドカチン」(1968年)、「ハクション大魔王」(1969年)、すでに何本もギャグ作品を監督なさっていましたね。

笹川 ええ、もちろんギャグ物は好きです。だけど、監督してはSF物もやりたいし、サスペンス物も好きなんです。「刑事コロンボ」、アガサ・クリスティヒッチコックの映画も大好きです。SF映画では、「2001年宇宙の旅」が最高だと思っています。

── タツノコプロ竜の子プロダクション)の創立は、1962年ですね。当初は、ギャグアニメをつくるためのスタジオではなかったと思うのですが?

笹川 タツノコは、吉田竜夫さんが自分のキャラクターリアルアニメ作品をつくろう、という目的で旗揚げした独立プロダクションです。しかし、吉田さんのキャラは少し顔を動かしただけで崩れるぐらい、描くのが難しいんです。アニメーターの人たちが「難しくてとても無理だから、勘弁してください」と嫌がってしまって、大変でした。当時のテレビアニメといえば、「鉄腕アトム」(1963年)のように省略とデフォルメが当たり前で、同じ絵を何度も使いまわしていました。いかにして少ない枚数でつくるかが、テレビアニメの宿命だったんです。「アトム」の手塚治虫先生は先生なりに、だいぶ苦労されたと思います。

── 笹川さんは、「アトム」でも絵コンテを書いた経験もあったと聞いています。

笹川 僕は手塚先生のアシスタントでしたから、タツノコプロ創立の話があったころ、先生に相談に行きました。「吉田竜夫さんと知り合って、アニメ会社をつくりたいと持ちかけられているんです」と話したら、手塚先生は嫌な顔をしてらっしゃいましたね。言葉にこそ出しませんでしたが、僕には漫画家でいてほしかったんじゃないかと思います。また、吉田竜夫のハードな絵がテレビアニメで動くとしたら、必死にアニメ制作をしていた手塚先生としては、内心おだやかではなかったでしょうね。手塚先生は、それまで吉田さんと面識はなかったのですが、脅威に感じていたのではないでしょうか。
僕の絵は手塚流ですから、「口の動きは原画3枚を繰り返して使うのがテレビアニメの基本です」「吉田さんの絵は難しすぎて、テレビアニメには向かないのではないでしょうか」と、自分なりに理屈を考えて吉田さんを説得にかかりました。それに、漫画と違ってテレビアニメは1本を仕上げるのに、総勢200~300人もスタッフが必要です。だけど、吉田さんは「絵を描ける人間なら、自分の絵を真似して描けないはずがない」と、頑として譲らないんです。そうこうするうち、東映動画から「一緒にアニメ作品をつくらないか」というお誘いがありました。


── 東映動画1956年創立で、「狼少年ケン」(1963年)でテレビアニメにも参入していましたね。

笹川 ですから、「これはチャンスなので、笹川さんもタツノコ側のスタッフとして参加してほしい」と吉田さんに頼まれました。その当時、僕はまだ漫画を描いていましたが、3か月ほどお休みして東映動画に研修へ通いました。熊川正雄さんという有名な方に、アニメーションの特訓を受けたんです。タツノコ側はストーリー、脚本、演出まで任せてもらえる。それ以降の動画、仕上げ、撮影などを東映動画が担当するといういい話だったのですが、権利関係で話が折り合わず、破談になってしまいました。その話のすぐ後、東映動画は「宇宙パトロールホッパ」(1965年)という企画を立ち上げました。
さて、「タツノコプロはどうしよう? このまま続けるかどうか、決をとろう」という話になりました。僕は、辞めるほうに手をあげました。ところが、吉田竜夫さんは3人兄弟ですよね? 3対1の賛成多数で、このままアニメを続けることになりました。やっぱり吉田さんは絵描きだし、頑固なんですよ(笑)。何とか頑張ってつくりあげたタツノコプロの第1作目が、「宇宙エース」(1965年・笹川氏は監督を担当)です。
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1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】