(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

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 現在、議論を呼び起こしている日本学術会議は、日本国が昭和や平成、令和という元号を使うことにも断固反対してきた。そのことをどれだけの人が知っているだろうか。

 日本の科学技術の発展に励むべき学者たちの集まりが、なぜそんな政治的な、しかも日本国民多数の心情に反するような動きをとってきたのか?

 現在の国会などでは、日本政府機関である同会議の会員候補6人の任命を政府が拒んだ理由を説明せよという主張が唱えられている。だが、そもそもこの機関がなんなのか、その実態の解明があってこその人事の議論であるべきだ。その点、この元号問題も、日本学術会議の実態を伝えるあまり語られない一面だといえよう。

今も生きている元号廃止の主張

 日本学術会議1950年昭和25年)5月に、時の総理大臣あてに「天皇統治を端的にあらわした元号は民主国家にふさわしくない」としてその廃止を申し入れる決議を発表した。当時の日本学術会議は同会議の決議として、亀山直人会長の名で時の吉田茂首相らに「元号廃止、西暦採用についての申し入れ」を送ったのである。

 その決議には以下の記述があった。

「法律上からみても元号を維持することは理由がない。現在の天皇がなくなれば、『昭和』の元号は消滅し、その後はいかなる元号もなくなるだろう」

「新憲法の下に天皇主権から人民主権にかわり、日本が新しく民主国家として発足した現在では元号の維持は意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない」

 日本学術会議は、「国民」ではなくあえて「人民」という用語を使っている。こうした明白な政治性は過去の話としては済まされない。元号廃止の主張の背後には、明らかに皇室の存在への批判的な態度が浮かぶ。

 日本学術会議は、日本がまだ米軍を主体とする連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあった1949年に設置された。そしてその翌年の1950年4月に、軍事関連の科学研究には一切かかわらないという声明を出した。元号の廃止を決議したのはその翌月の同年5月だった。

 いずれも70年も前の話であるが、日本学術会議は軍事関連の研究を禁止する「軍事的安全保障のすべての否定」という声明を更新し、2017年にその継承を改めて宣言している。元号廃止の主張も、その後に修正したり変更したりした記録はみあたらない。日本学術会議の元号廃止の主張は今も生き続けているのである。

GHQの意向と合致する日本学術会議の主張

 私は今回の日本学術会議をめぐる論議を見ていて、日本国憲法を起草したチャールズ・ケーディス氏の言葉を思い出した。おかしな連想かもしれないが、両者が奇妙に重なり合うのだ。

 ケーディス氏はGHQの幹部で、民政局次長という立場の米陸軍大佐だった。そして、日本国憲法の草案作成の実務責任者となった法律家である。私は1980年代ニューヨークで同氏に長時間インタビューし、日本憲法作りの実情を詳しく聞いたことがある。

 日本国憲法を起草するにあたって、当時の米国側が求める最大の目的はなんだったのか、という私の質問に同氏はためらいなく答えた。

「最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」

 GHQとしては、日本をもう二度と軍事脅威にさせないために、自国の防衛という独立国家の基本権利を抑えてでも非武装を押しつける意図があったのだという。

 ただしGHQの「日本国の自衛も否定する」という本来の方針を、ケーディス氏は自分自身の法律家としての判断から「それでは国家になり得ない」と考えて、憲法9条にあえて書かなかったのだ、ともらした。

 私がケーディス氏の言葉を想起したのは、日本学術会議が求める軍事研究の全面禁止や、その基礎にある防衛、自衛の否定が、同氏の明かした当時のGHQの“日本非武装化”の意向とぴたりと合致していたからである。

 当時の占領軍は、独立後の日本を国家らしくない国、本来の伝統や文化を弱める国にすることを明らかに狙っていた。なにしろ日本語の表記をすべてローマ字にするという案までが真剣に考えられたほどなのだ。皇室につながる元号というのも、当時の米側からみればできれば排したい「旧日本」だったのだろう。

 そんな占領下の特殊状況で、日本学術会議が日本の元号の廃止を公式に決議したことが、偶然であるはずはない。そもそも同会議の発足自体がGHQの意向に沿っていたのだ。

共産主義陣営への共鳴を続ける学術会議

 昭和、平成、令和といった元号の使用を止めろという、現在なら過激な決議も、戦後間もない時期には時代の先取りと考えられたのかもしれない。ただし問題は、その当時でも、そんな「先取り」に反対する多数の日本国民が厳存したことである。

 また、日本学術会議が当初、追随したGHQも、背後の米国政府も、その後まもなく日本のあり方への基本政策を変えていった。朝鮮戦争の勃発や東西冷戦の激化により日本の防衛や軍事への政策を転換し、日本にも自衛だけでなく軍事的な貢献を期待するようになった。日本への不信や敵視を薄めたわけである。対日政策の正常化ともいえよう。

 ところが日本学術会議は当初のGHQ方針を頑なに守るだけでなく、日本国民を「人民」と呼び、元号の廃止を求めるという当時の共産主義陣営に共鳴するような主張を強めていった。

 この流れは、日本学術会議の多数の旧会員、現会員が多様な形で日本共産党との連携を続けている事実にもうかがわれる。その結果、同会議は現代の米国の政策とはかけ離れた地点にまで走っていった。この点は歴史の皮肉ともいえようか。

 いずれにしてもいまの日本学術会議のあり方の論議では、この組織の特殊な出自や政治活動歴の検証も欠かせないのである。

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