1週間のレイトショーからロングランヒットを記録したミステリースリラー『狂覗』(17)の藤井秀剛監督、並びにスタッフ&キャストが再結集!ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のアジア映画部門でグランプリを受賞し、すでに世界48ヶ国にて配給、話題を呼んだその『超擬態人間』(10月30日公開)とはどんな作品なのか?藤井監督を直撃した。

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■「児童虐待をテーマししたスラッシャーホラー」

「ジャンルで言えば『超擬態人間』は、児童虐待をテーマにしたスラッシャーホラーになりますが、海外では『悪魔のいけにえ』(74)や『ザ・チャイルド』(76)に言及されることが多いですね」

前者は説明不要だろう。殺人鬼レザーフェイスが登場する、トビーフーパー監督のホラー映画マスターピースだ。後者は知る人ぞ知るナルシソ・イバネッツ・セラドール監督の、未だカルトな人気を誇るスペイン産ホラーである。

「当然、『悪魔のいけにえ』を引き合いに出してもらえることは至福でしたけど、『ザ・チャイルド』はもっと嬉しかったです。なぜならば、僕が目指した映画だったので。ある離島の子供たちが突如集団で反乱しだして、大人を無差別に殺してゆく内容なんですが、今風のわかりやすい映画には背を向けた、深読みも可能な潜在意識に訴えかけてくる作品なんですよ。僕にも子供がいて、児童虐待は許せない現実として目の前にある。でも単に『虐待はダメ!』と声高に叫んでもまったく効力を発揮しない。つまり、表層的ではないアプローチで映画をつくろうと発想できたのは、『ザ・チャイルド』のおかげなんです」

■「悪魔のディズニーランドだという感想も(笑)」

『超擬態人間』の冒頭は、切れたチェーンを腕に巻いた少年が全裸で廃線を歩いているシーン――だが事の始まりは、その前日に。舞台となるのは森の中。そこでなぜか目覚めた親子が血に飢えた“ナマハゲ”に襲われ、かたや結婚式場の下見にやって来て、森の片隅に潜む古民家へと迷い込んだ一行にも魔の手が。少年時代であった80年代、ビデオ黎明期の頃に浴びるように観た様々なホラーが原体験になったと言う。

「片っ端から何でも観ましたねえ〜。なかでも僕の血肉となったのは、セリフに頼らず“映像と音響”のみで物語を語ることのできる巨匠アルフレッド・ヒッチコックブライアン・デ・パルマなんですけど、B級に括られてしまう映画も大好きです。『超擬態人間』には、脱出に成功した男が底なし沼にはまってズボズボと埋まっちゃうシークエンスがあるのですが、あれは僕が子供の頃、テレビでよくやっていたリチャード・クレンナ主演、ガス・トリコニス監督の『新・悪魔の棲む家』(78)の影響ですね。その他いろいろなアメリカン・ホラーへのオマージュがあるので、海外では『超擬態人間』は“悪魔のディズニーランドだ”という感想もありました(笑)」

メインの舞台となった「深い森」は、選ぶべくして選び、監督、脚本、編集のほかに撮影も担当。自らカメラを回しながら演出を施していった。

「人間をどこか抑圧するような“閉所空間”に対する偏愛があるんですね。それとこれは、インディペンデント作品ですから予算的な制約もあり、“森”でのロケは過酷で厳しいけれども、ワンシチュエーションで見せ切るというのはクリエイターとしても腕の見せどころなわけで、スタッフ、キャストの頑張りによって画的な充実度が得られるんです。撮影は本来ならば演出に集中するため、本職の方にお任せしたいのですが、中途半端な人がやるのであれば自分で回そうかと。実はアメリカでの大学時代、『CBS News』からスカウトされまして撮影には自信があるんですよ。ただし最近、香港映画、ジョシー・ホー主演の『怨泊~On Paku~』(公開未定)で、岡本喜八組のキャメラマンとして有名な加藤雄大さんにお願いしたらさすがに素晴らしく、惚れ惚れしました」

■「自分自身の闇と対峙する怖さをぜひ感じてほしい」

中学卒業後、単身渡米し、カリフォルニア芸術大学を卒業。10年間の米国生活を経て今日に至る。作り手の意図が「理解できる、できない」といった次元を超えた、そんな衝撃を持つ、重量級のパンチのごとき映画を志している。

「もともとこの脚本を書いたのは20年ほど前で、当時は内容が違いました。僕は“お化け”と呼ばれる存在に興味を感じないというか、物理的に信じられないんですね。だからお化けだと思われていたものが科学的に解明できる映画をつくろうと考え、『擬態霊』のタイトルで脚本を完成させたんです。ところがある事情で製作できず、そんな折に、明治生まれの日本画家、伊藤晴雨の『怪談乳房榎図』と出会ったんですね。たまたま新聞を見たら載っていて、日本で唯一、赤子を抱えた男の幽霊のそのデザインに圧倒され、作品が醸し出すエネルギーを映画のベースにしたところがあります」

さて最後に、タイトルの肝となっている“擬態”という言葉。フライヤーなどには「天敵から身を守る為に変異すること」とある。

「観ていただくとわかると思いますけど、“擬態する奇形たち”と複数形にした『Mimicry Freaks』という英題のほうが内容に合っているかもしれませんね。もともと昆虫の擬態に興味があったのですが、昆虫は生きる手段として即物的に擬態を選ぶ。ところが人間の場合は“心の闇”に繋がっている。すなわち僕もそうですがみんな、表と裏の顔が違っていて、擬態は隠そうとした自分の弱さを逆に炙り出してしまうんです。自分自身の闇と対峙する、人間の深層領域の怖さをぜひ感じてほしいですね」

取材・文/轟夕起夫

『超擬態人間』藤井秀剛監督にインタビュー!