映画祭の目的はなんだろうか。その答えは、映画監督から観客まで、それぞれ参加した人の数だけある。監督デビュー作『幻の光』(95)がイタリアのヴェネチア国際映画祭に招待されて以来、世界中の映画祭に参加してきた是枝裕和監督にとって、映画祭は作品を上映する場であると同時に、世界と触れる出会いの場だった。MOVIE WALKER PRESSは是枝監督に独占インタビューを敢行し、2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により、各国の映画祭がこれまでと大きく異なる開催形式や判断を求められるなかで、是枝監督が変わらずに持ち続ける「映画祭のあるべき姿」について、思いの丈を語ってもらった。

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■是枝監督が発信し続けてきた、東京国際映画祭への提言

ヨーロッパや北米、アジアの映画祭を回るたびに、出身国である日本の東京国際映画祭について思いを巡らせなかったわけがない。その想いから、東京国際映画祭のディレクターやチェアマンが変わるたびに、世界の映画祭との比較と東京国際映画祭が進むべき道を“提言書”として手渡してきた。是枝監督による意見具申のポイントは以下のようなものが含まれている。

1.コンペティション部門の廃止

日本国内の報道では賞の結果ばかりもてはやされるが、コンペ部門は華やかさだけを競う場ではない。東京国際映画祭が行われる時期は世界の映画祭が行われた直後で、東京でワールド・プレミア(注:コンペ部門の出品資格には主要な当該映画祭が世界初披露であることを求められる場合が多い)を行える優れた作品を探すのは難しい。そこに労力をかけるのであれば、カナダトロント国際映画祭のようにコンペ部門をなくし、新しい才能を発見し育てる場にするべきだ。

2.政治的介入を排除

映画祭とは、映画と映画が築く文化を培う場である。各映画会社が公開予定作品のお披露目の場として映画祭を使うのではなく、上映ラインナップから東京国際映画祭が今、映画をどうとらえているのかを世界に提示できるようになるのが理想。映画祭は国威発揚の場ではなく、政治家が登壇し映画が国益にどう貢献するかというような話をする場にしてはいけない。

3.人を育てる場所にする

映画監督、観客、ジャーナリスト、運営スタッフとの交流などを通じ、映画祭に参加することによって気づくことや学びがあるはず。例えば、以前は発行していたデイリーニュースを再開し、上映作品やゲストのインタビューをすることによって、日本における映画や文化の報道・批評も育っていくだろう。同じように、子ども向けの上映や映画教室も、映画を観る目を育てるものになる。

「あちこちでずっと、東京映画祭なんて恥ずかしいからもうやめちゃったほうがいいと言っていたんです。日本推しが気持ち悪くて、あまりにもみっともないから。30年以上もやってきているのに、そもそも映画祭とはどういうものかという認識がちゃんと培われていないから、まったく成熟していない。映画祭に参加した時の質も豊かさも、世界的な認知度も後発の釜山国際映画祭(注:1996年創設、韓国釜山市で毎年10月に開催される国際映画祭)に完全に抜かれてしまった。もうやめちゃえばって思ってたけど、開催ホスト国の監督としては、そうも言ってられないでしょう?」

そういった想いから、5年ほど前から当時の映画祭ディレクターに提言書を手渡していたが、小さな変更点は生じても根本的な問題は解決されないままだった。昨年8月に、前国際交流基金理事長の安藤裕康氏がチェアマンに就任した際にも、是枝監督が考える東京国際映画祭の問題点について共有したところ、「どうせなら協力してください、実現できるものは一緒にやっていきましょう」という申し出があったそうだ。安藤チェアマンは外務省や国際交流基金で海外における日本文化発信を手掛けていた人物。テレビディレクターから映画監督へと転身した是枝監督同様、“映画界出身ではない”ところに多少の共感があったようだ。

安藤さんには変える意思がある。まだチェアマンに就任して初めての映画祭なので、暗中模索だとは思うのですが、外から映画祭というものを客観的に捉える目線は持っていらっしゃるので、そこは信頼しています。日本ではお金を出した人が口を出す状況があって、そこを排除じゃなく納得してもらい、お金を出して良かったなと思っていただけるところに持っていけるかが重要だと思う。そのうえで、映画祭をトータルでプロデュースし、どう東京国際映画祭らしさを打ち出して行くか。どこまでできるのかまだわからないけれど、少しでもサポートできればなと思っています。そういう意味でいうと、安藤さんは映画業界の人ではないから、しがらみのなさに期待している。今年は非常時なのでともかくとして、ここから来年以降どこまで手をつけられるかに注目しています。だからこれは批判じゃないですよ、期待しているんです」

■「映画祭に参加した監督たちが集えるラウンジを」

「前向きな提言をしたつもりなのに、“辛辣な批判”って書かれる。自分では率直なだけだと思っているけど(笑)、まるくして言っても誰にも伝わらないし、それじゃあ変わっていかない」と語る是枝監督。東京国際映画祭に限らず、日本の映画界全体について意見を述べると、いつも“見出し重視”で発言の過激な部分だけ切り取って報道されてしまうことに憤りを湛える。

「だから、いままでの人にも『変える意思が見られない』って直接言うようにしていたわけで。でも言い続けますよ、責任があるので」。批判には責任が伴う。是枝監督にはその覚悟があるから、経験に基づいた率直な意見を呈し続け、今年の東京国際映画祭では「アジア交流ラウンジ」の企画プロデュースに関わることにした。

「5年前に東京国際映画祭のディレクター・ジェネラルを務めていた椎名さん(保、現公益財団法人ユニジャパン副理事長)に『なにが間違っているか』を羅列した手紙を渡した時に真摯に受け止めてくれて、映画祭に参加した監督たちが集えるラウンジを作ってくれたんです。映画祭の根本的なことは変わらなかったけど、その想いがあったからディレクターが変わるごとに同じことを言い続けて。これは交流ラウンジだから、例えばアメリカの作家が来て日本の監督とトークするのでも全然構わないし、本来はそういう広がりを持つべきだと思うけど、まずは僕らがアジアの一員であるっていう意識を持つこともすごく大事だと思うんです。ヴェネチア国際映画祭で、ヨーロッパの各映画祭のトップたちが壇上に登って、このパンデミックをどう乗り越えていくかを話し合い、結束して見せた。あれがすごく羨ましくて、本来ならばああいうことを東京国際映画祭の場でアジアの映画祭と連帯していけるのが理想。映画祭は、政治に従属するのではなく、映画と映画人が、政治と政治家ができないことをやってみせるというのがとても大事だと思ってます」。

11月1日から11月8日にかけて、オンラインでアジアと日本の映画人によるトークシリーズを開催する。是枝監督は事務局と共に人選に携わり、自らも台湾のホアン・シー監督と対談、そして韓国のキム・ボラ監督と女優の橋本愛によるトークのモデレーターとして登壇する。

「(人選は、)いま誰を呼ぶとおもしろいか、誰と誰を組み合わせたら刺激的かっていうことを考えつつ、楽しい作業でした。ホアン・シー監督とは初めてちゃんとお話をするんだけど、とにかく『台北暮色』がすばらしかったので。台北の街が美しく映されていて、主人公の女の子から目が離せなかった。キム・ボラ監督の『はちどり』も、あの主人公の女の子を撮るんだっていう監督の意思が伝わってきて。橋本愛さんに対談相手をお願いしたのは、なんとなく橋本さんはキム・ボラ監督の映画に出ていても不思議ではない雰囲気があるから」。

■シンポジウム『映画の未来と配信』を語る

そして、11月4日には特別セッション『映画の未来と配信』で、ここ数年世界の映画祭が議論してきた問題を話し合う。

「全部オンラインだと盛り上がりに欠けるので、日本在住の方々に集まっていただいて、『映画の未来と配信』をテーマにパネルディスカッションをやります。映画祭って本来は『そもそも映画とはなんなのか』っていうことをずっと考える場じゃない?配信作品をコンペに入れるかどうかでカンヌとヴェネチアは意見が分かれていて、単純に業界のしがらみではなくこれからの映画を私たちはどう考えるかっていう問題提起になれば。本来であれば、東京国際映画祭は映画というものをいまこう考えているというのが、作品のセレクションから伝わるのが映画祭の哲学の一番美しい提示方法なんだけど、それができるまでには相当時間がかかるから、まずは作り手やプロデューサーや監督がそれを語ってみようかと考えています」。

映画の未来と配信。この問題は是枝監督ら作り手だけでなく、観客一人一人にも深く関係してくる。現在の日本映画が置かれている状況を直視して問題の所在を明らかにし、さらに世界の動きを知ったうえで、考えていかなくてはいけない。

「僕は個人的には映画は映画館で観たいなと思っているし、映画館で観て欲しいなって思う人間だけど、このコロナ禍で映画館に行けない間に一番見ていたのは、配信のドラマだった。アメリカでもそうだと思うけど、配信のほうが予算もあるし、自由がきく。作り手に権利も残る。もう、日本で映画を作っていても、使える予算など限界が見えちゃってるんですよ。どんどん圧縮されていく道しか残ってなくて、日本では自分で企画発案して脚本を書いているのに権利配分がほとんど認められてない。興行収入から数パーセントを企画者に戻すべきいうことをずっと言い続けて、やっとようやくなんです。お金の流れの健全化に業界全体で取り組んで変えていかないと作り手は必ず配信に流れるでしょう?唯一、劇場を優先するっていうある種の価値観さえ捨てれば、多分そっちのほうが作りたいものが作れるっていう状況ができちゃってる。そんななかで、『映画は映画館で観るもの』と言っている日本の映画産業が、どこまで作り手のことを、そして何より観客のことを視野に入れながらその発言をしてるのかっていうことを、観客の皆さんにも、身にしみて感じてほしい」。

■東京が目指すべき映画祭

映画祭は、参加した人の数だけ目的があり、経験がある。最後に、いままで数多くの映画祭に参加してきた是枝監督の記憶に残る映画祭を挙げてもらった。

「うーん、そうですね。スペインのサン・セバスティアン国際映画祭と、釜山映画祭と…。でも、映画祭での個人的な体験があるから、その映画祭が好きだっていうのもある。単純にテレビディレクターの目で見た時に、ここの映画祭は優れてるなっていう映画祭と、自分が参加した時の個人的な体験とは違う。例えば提言書にも書いたんだけど、客観的に見ると東京が目指すべきは都市型のトロント国際映画祭だと思う。コンペをなくし観客賞だけにしてすごく成功している映画祭で、行くたびに勉強になります。サン・セバスティアンは、街も美しくて食べ物も美味しくて、お客さんや運営している人たちの顔がすごくいい。釜山は、短期間で映画祭とはこういうものだと、すごくいい形で作り上げた。映画祭って人が動かしているものだから、生き物なんですよ。だからどんどん変わっていく。あと、カンヌ国際映画祭は華やかなだけじゃなくて、映画のセレクションから受賞結果まで、ジャーナリストから徹底的に叩かれる。映画祭とジャーナリストが真剣勝負をしている、ヒリヒリした空気を感じます。あの場所では一歩間違えると監督も作品も殺されかねないので、こちらも態勢を整えて臨まないといけない。ジャーナリストも映画マーケットに参加している人たちも含めて、それぞれのプライドを賭けてみんな闘っているのはおもしろいよね。映画祭本来の豊かさとは少し違うかもしれないけど、ああいう時間は好きですね」。

第33回目を迎える東京国際映画祭が間もなく開幕する。「これは批判ではなく期待」と明言する是枝監督が手掛けた「アジア交流ラウンジ」を通じて、観客の皆さんも傍観者ではなく参加者として、東京国際映画祭そして日本の映画産業の未来について考えるきっかけにしてほしい。

取材・文/平井伊都子

是枝裕和監督へ独占インタビューを敢行