三菱「スペースジェット」の本格的な開発が実質上ほぼ一時凍結され、久しぶりの「国産旅客機」の実用化はしばらくお預けとなりました。かつて日本では「YS-11」が実用化に成功していますが、その違いはどこにあったのでしょうか。

国としては結構イケイケだったこともある「旅客機産業」

2020年10月30日三菱重工傘下の三菱航空機が手掛けるジェット旅客機「MSJ(スペースジェット)」の開発の大幅な縮小が発表されました。同社は、新型コロナウイルスによる航空需要減退などの影響としています。

このことで、「国産旅客機」の実用化はしばらくお預けということになってしまったと言わざるを得ない状況です。とはいえ、日本ではかつてターボプロップ機「YS-11」が開発され、航空会社で実用化もされています。この2種類の旅客機には、どのような差があったのでしょうか。

戦後、日本では航空機の製造がアメリカにより禁じられていました。YS-11は、1952(昭和27)年にこの規制が解除された後、通商産業省(現・経済産業省)の赤澤璋一課長が立案、推進した「国産民間機」計画に基づき、「輸送機設計研究協会」が設立され、そこで基礎計画が作成されます。

ただ実際の製造では、航空機メーカーのノウハウが必要だったことから、現在の三菱重工川崎重工富士重工、新明和工業、日本飛行機など国内メーカーの総力を結集し、準国立の「日本航空機製造株式会社」が設置され、設計、製造、試作、飛行試験、製造販売が実施されています。つまりYS-11は、国と多くの企業が一体となって実用化に至ったというわけです。

YS-11の実績が世界的にも評価された結果、日本の企業はボーイング社などから航空機部品の製造を受注することにつながり、1995(平成7)年にデビューしたボーイング777型機では、先述の企業が製造事業に参画するまでに成長したのです。

「自国で旅客機を…」 その時期に到来した追い風

一方、「YS-11に次ぐ旅客機を自国で造りたい」という野望もあり、YS-11の発展型やジェット旅客機開発も摸索されました。しかしYS-11の販売に課題があり、赤字のためにプロジェクトは頓挫しています。

ところが1990年代に入ると航空業界のトレンドが大きく変わり、それが日本にとって「追い風」になります。

この時代、「ジャンボジェット」ことボーイング747型機などに代表される、大型で長距離をカッ飛ぶことを強みにした旅客機から、100席以下の大きさの旅客機に「売れ筋」が変化します。小振りの機材は地方路線でも効率が良く、採算性が高いとして評価されるようになってきたのです。加えて、国内であればYS-11など、地方路線を支えてきた「ターボプロップ・エンジン」を搭載した旅客機の更新時期も近づいており、その後継機が模索されていました。

また、こういったコンセプトの旅客機「リージョナルジェット」の開発は、ボーイングエアバスといった業界最大手の航空機メーカーでなくても参画が可能です。実際にブラジルのエンブラエルやカナダのボンバルディア(旧・カナディア)といったメーカーが開発にトライし、実用化に成功しています。

日本の経済産業省はそのような「追い風」のなか、すそ野が広く、高度な技術を要する国内の航空機産業を育成しようと2003(平成15)年、「環境適応型高性能小型航空機プロジェクト」を開始。産業全体のレベルアップに着手しました。

そして固まる「スペースジェット」の全貌

このプロジェクトでは、機体はもちろん、エンジンや装備品の国産化を進める事業を含め多様な計画案が出ましたが、最終的には「70席クラスのターボファンジェット旅客機」という形でコンセプトが決定されています。

最終的に旅客機の開発、製造に関しては三菱重工が、エンジンは海外の大手メーカーを使い、開発は三菱が単独で手掛けることに。同社はボーイングやエンブラエルともつながりがあったこともあり、そこも総動員すれば実用化ができると判断したのでしょう。ジェット旅客機は「MJ」(三菱ジェット)と称され、2003(平成15)年から2013(平成25)年までの10年間で試作機を飛行させるスケジュールとなっていました。

MJのライバルメーカーは「リージョナルジェット」の皮切りともいえるERJ145を手掛けたエンブラエルと、日本では、アイベックスJAL日本航空)グループのJ-AIR(当時)などで採用されているボンバルディアなど。MJは2007(平成19)年には「MRJ」(三菱リージョナルジェット)と名前を変え、開発も本格化し、ANA(全日空)を中心に航空会社もそれを後押しします。

とはいえ、航空機のパーツ製造に長けていても、最終的にそれを組み立てて「1機」の飛行機に仕上げるまでとなると、また別の難しさがあるようです。MRJはその後、当初の計画から納入延期のアナウンスが5回繰り返されたのち、ブランドイメージ刷新のため2019年、「スペースジェット」に改称。2015(平成27)年に初飛行こそ果たしているものの、状況が好転することなく延期は続き、現在に至ります。

今回の足踏みはなぜ発生したのか

今回の開発遅れの決定打として最も広く知れわたっているのが、航空機のモデルごとに必要な「型式証明」の取得でしょう。

旅客機が飛ぶ際には所定の検査が必要ですが、量産された機体すべてを国が検査するのは現実的ではありません。型式証明は、そのモデルが一定の安全基準を満たしているかどうかを国が審査する制度です。クリアすれば、あとはメーカーが機体ごとに検査を実施するだけになります。

今回のMSJの場合、旅客機を久しく造っていなかった日本企業、そして基準を設け審査をするCAB(国土交通省航空局)とともに経験が乏しいことから、「手さぐり」にならざるを得ません。さらに「スペースジェット」の顧客には海外の航空会社も含まれているため、FAA(アメリカ連邦航空局)やEASA(欧州航空安全機関)といった海外機関の型式証明の取得も必要になります。

このため当然「世界で通用する基準」が求められることになるわけですが、この基準が甘く、万が一の事態に陥ってしまえば、日本の製造業の信用問題にも関わります。しかし型式証明に関する経験が乏しく、さらに言ってしまえば「さじ加減ひとつ」でNGにできるような曖昧なものもなかにはあります。

ボーイングなどにはこういった審査に関するノウハウがありますが、審査を受ける「新参」の航空機メーカーとなる三菱重工グループ、そして審査を行うCABにはこれがありません。型式証明は、膨大な検査項目のひとつでもダメと判断されれば承認が下りることはない一方で、これが通らなければ実用化も難しい状態でもあるのです。

「スペースジェット」今どうなってるの?

とはいえ、かつてのYS-11も、実際に飛ばしてみると横安定性が不足して急遽上反角を大きくしたり、ターボプロップ・エンジンの交流で昇降陀(エレベーター)の利きが悪くなり水平尾翼の改修を加えたり、実は運航してからも雨漏りで苦労したり……という話も。「工業製品あるある」ともいえますが、新たな製品は、基準をクリアしてもまだトラブルがあり、それを克服して、はじめて安定性の高いものにつながるともいえるでしょう。

ただ、筆者(種山雅夫:元航空科学博物館展示部長 学芸員)がYS-11初飛行50周年の講演会に参加したとき、YS-11開発のノウハウを次の機体に生かせなかったのは、もったいないという意見を聞いたことがあったりもします。

現在、渦中の「MSJ」はどうなっているのでしょう。2020年夏ごろ、「MSJ」の格納庫がある小牧空港を訪問した際、「Spacejet」と書かれた大きな格納庫にはすでに機体の部品は置いていないようでした。ゼロから航空機を開発する大変さがわかるエピソードといえるでしょう。

三菱スペースジェット(旧・三菱リージョナルジェット)(画像:三菱航空機)。