「先ほど、バイデン次期大統領と初めて電話会談を行い、次期大統領および女性初となるハリス次期副大統領の選出に、祝意を伝えました。日米同盟の強化、インド太平洋地域の平和と安定に向けて協力していくことを楽しみにしている旨の発言がありました。バイデン大統領からは、日米安保条約5条の尖閣諸島への適用について、コミットメント(関与)する旨の表明がありました。

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 できる限り早い時期に、一緒に会おうということでも一致しました。訪米については、今後しかるべきタイミングで調整することになります」

 菅義偉首相は、日本時間の11月12日朝、ジョー・バイデン次期大統領と電話会談を行ったと、記者団に自ら述べた。

「アジアでは一番先の電話会談」との自負

 外務省関係者が解説する。

「わずか13分の短い会談だったが、最大のポイントは、『できる限り早い時期に会う』ということ。来年1月20日バイデン政権が始動し、1月末には日本で通常国会が始まるので、バイデン大統領の就任後、一日でも早く日米首脳会談を行いたい。

 電話会談に関しては、カナダイギリスフランスドイツなどに次いでとなったが、アジアに関しては一番先だった」

「アジアに関しては一番先」――これが外務省プライドというものである。菅首相との会談を終えたバイデン次期大統領は、続けて韓国の文在寅ムン・ジェイン大統領に電話をかけたからだ。つまり、アジアの友好国との電話会談の順番は、日本が一番で韓国が二番だったということだ。

「日本より先にバイデン大統領との首脳会談は可能なのか」

 これは、韓国としては面白くない。先週11月5日、韓国国会の予算決算特別委員会総合政策質疑で、与党・共に民主党の朴用鎮(パク・ヨンジン)議員が、外交部の李泰鎬(イ・テホ)次官を問い詰めた。

「わが大統領が日本よりも先に、アメリカの大統領当選者と首脳会談を行うことができるのか?」

 これに対し、李次官は、やや恐縮した表情で答弁した。

「われわれは最大限の努力をし、頑張るつもりです」

 韓国政府関係者が語る。

「われわれの『最大限の努力』は、すでに始まっている。8日から11日まで、康京和(カン・ギョンファ)外務長官(外相)が訪米。来週16日からは、共に民主党が訪米団を派遣する。12月初旬には、超党派の国会議員団の派遣も予定している。4年前の『トランプ・ショック』の時の二の舞は演じない」

世界に先駆けトランプと会談した安倍前首相

 4年前、11月8日に行われたアメリカ大統領選挙で、ドナルド・トランプ候補が奇跡の勝利を掴むや、11日後の17日に、安倍晋三首相がトランプタワーに駆けつけて、祝意を述べた。日本が世界に先駆けて機先を制したことで、その後4年にわたる「トランプ・シンゾー」の蜜月関係が築かれた。

 その後、2017年1月20日にトランプ政権が発足すると、安倍首相は早くも翌2月10日に、ホワイトハウスに招かれた。そこから、フロリダ州にあるトランプ大統領の別荘「マー・ア・ラゴ」にまで招かれ、ゴルフに興じる厚遇ぶりだった。

 それに較べ、当時の韓国は、朴槿恵パク・クネ大統領に反対する「ろうそくデモ」が爆発し、対米外交どころではなかった。2017年3月10日朴槿恵大統領が弾劾され、5月10日文在寅大統領が就任。文大統領がようやくワシントンへ行けたのは、6月30日のことだった。

「トランプとの初対面」は、安倍首相に半年以上も遅れたのである。しかも、危険なミサイル実験を繰り返す北朝鮮怒り心頭だったトランプ大統領は、北朝鮮のことを懸命に擁護する文在寅大統領にも立腹。「一体、どちらの味方なんだ? 韓国はアメリカの同盟国ではないのか?」――米韓首脳会談後に、トランプ大統領がボヤいた言葉が伝わっている。

 そんな状況だったため、文在寅政権としては、「4年前の轍を踏んではならない」と、「菅首相に先がけてのバイデン詣で」に躍起になっているのである。

日本より先にブッシュJr.と会談した金大中

 実際、韓国の大統領が日本に首相に先がけて、アメリカの新大統領と会談したことが、過去に一度だけある。それは2001年1月20日ジョージ・W・ブッシュJr.大統領の就任時だ。

 この時、韓国の金大中(キム・デジュン大統領が、3月8日ブッシュ大統領との米韓首脳会談にこぎつけた。日本の森喜朗首相が日米首脳歓談に臨んだのは、その11日後の3月19日のことだった。韓国側は「勝利」に沸き、失意の森首相は、ワシントンから帰国した翌月に辞任した。

 前出の外務省関係者が続ける。

「ただあの時、金大中大統領がブッシュ大統領に気に入られたかと言えば、そんなことはなかった。ブッシュ大統領は最後まで金大中大統領の名前を覚えられず、『This man』と呼び続けた。これは韓国にとっては屈辱的なことだ。

 それに対し、日本は韓国より僅差で遅れたけれども、次の小泉純一郎首相は、その後5年以上にわたって、ブッシュ大統領との蜜月を築いた。2005年にブッシュ大統領が再選された際、小泉首相が望めば、いの一番ホワイトハウスに駆けつけることができた。しかし小泉首相は、『オレ以上にブッシュ大統領ツーカーの関係の首脳はいないのだから、急いでいく必要なんかない』と余裕綽々だった」

 ちなみに2005年には、6月10日ワシントンで、ブッシュ大統領と廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領との米韓首脳会談が開かれている。

「あの時の米韓会談は、廬武鉉政権が『バランサー論』(韓国は米中2大国の真ん中で、バランサーの役割を果たすという新外交)なるものを突然掲げ、怒ったブッシュ大統領が廬武鉉大統領を呼びつけた会談だった。当時のホワイトハウスは、廬武鉉政権のことを『青瓦台タリバン』と呼んでいて、米韓関係は破綻しかけていた」(同外務省関係者)

 その廬武鉉大統領の弟分が、いまの文在寅大統領である。文大統領としては、一刻も早くバイデン次期大統領と会い、「金正恩キム・ジョンウン)政権は話せば分かる政権だ」とアピールしたいのだろう。だが、「戦略的忍耐」と言って北朝鮮を無視していたバラク・オバマ政権で副大統領をしていたバイデン次期大統領が、文大統領の進言に、すんなり耳を傾けるとも思えない。

 ともあれ、「バイデン詣で」という、もう一つの日韓外交戦の火ぶたが切って落とされた。

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2013年12月、来日して安倍晋三首相と会談した副大統領時代のバイデン氏(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)